「國松長官狙撃事件」の封印を解こう | FRIDAYデジタル

「國松長官狙撃事件」の封印を解こう

オウム捜査の始まりから終わりまですべてを知るホンモノの刑事(原雄一氏)が渾身のノンフィクションを上梓

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狙撃事件が起きた東京・南千住のマンション。國松長官(当時)は3発の銃弾を受け、一時は意識不明の重体に

「自分自身のキャリアの中でも、オウム真理教の存在は本当に大きかった。いま振り返っても、私の刑事人生の全体を覆っていたように思います。地下鉄サリン事件が起きてから教団関連のすべての裁判が終わるまで、彼らの動きを見続けてきた。自分はオウムとは離れられない運命にあるように感じます」

そう語るのは、3月27日に上梓された『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社)の著者・原雄一氏(61=以下「 」内はすべて同氏)だ。

原氏は’95年3月20日に発生した地下鉄サリン事件をキッカケに、同30日の國松孝次警察庁長官狙撃事件や’12年の平田信受刑者(53)・菊地直子元信者(46)の逮捕劇に至るまで、捜査の第一線に立ってきた。まさにオウムのすべてを知る〝ホンモノの刑事〟なのだ。

そんな同氏が長年の封印を解いて記した作品だけに、『宿命』は生々しい捜査の実像が描かれている。たとえば、松本智津夫死刑囚(63)を逮捕した上九一色村・第6サティアン突入のシーン。原氏は教団施設の隠し部屋に籠もっていた松本を発見した瞬間を鮮明に記憶している。

「当時は、警視庁内でもオウムに関連する情報共有が完全ではなかった。相手の出方もわからない状況でサティアンに突っ込むしかなかったんです。実際、捜査員の間では、何名か殉職者が出るだろうという緊張感があった。松本を見つけて彼を担ぎ下ろした瞬間、『重くてすみません』と漏らしたあの声は忘れられません」

さらに本書で初めて明らかにされたのは、警察庁長官狙撃事件(’10年3月30日に時効成立)の捜査の全容だ。

現在でも、多くの国民が長官狙撃はオウムによる犯行だと思い込んでいる。しかし、原氏は捜査の過程で出会ったテロリスト・中村泰(ひろし)こそが真犯人ではないかと確信するに至る。

中村はそれまで武蔵野市の警察官殺害や名古屋の現金輸送車襲撃など、数々の罪を犯してきた男だった。原氏は清瀬市で発生した警察官殺害事件を端緒に彼を調べ上げ、長官狙撃事件に中村が関わっていることを突き止める。そして、取り調べの中で、自分が狙撃事件の犯人だという自供まで引き出しているのだ。では、なぜ中村は逮捕されなかったのか。

「当初、この男が長官狙撃に関係する人物だとは夢にも思わなかった。ところが、彼を調べるほどに、狙撃事件の真犯人なのではという疑いが強くなっていったんです。結局、事件は時効を迎えてしまった。ハナからこの一件がオウムの犯行だと決め、それ以外の可能性を潰してしまった警察庁公安部の判断が原因です(原氏は刑事部に所属。長官狙撃事件は公安部が捜査を主導していた)」

原氏は’16年に警視庁を勇退し、捜査の第一線から離れている。しかし、現在でも〝宿命〟は続いているという。

「今年3月17日、日暮里で『地下鉄サリン事件から23年の集い』が開かれたんです。私は講師として登壇したんですが、大勢の方が駆けつけ、当時のエピソードに耳を傾けてくれた。いまだにオウムが人々の心に傷跡を残していると実感しました。この本を出したのも、現場を知る誰かが記録を残さないと、オウム事件の大事なピースが失われると痛感したから。『宿命』を出版したことで、私に対して反論や反感を持つ人もいるかもしれません。それでも、時間が経つほどに意味を増していく本だと信じています」

23年間にわたってオウムと向き合った刑事の人生。その生き様は、現場にまみれてきたからこその迫力で満ちている。

原氏(中央)は狙撃事件捜査のため’09年に渡米。写真はラスベガス市警の殺人課刑事と

『宿命』(4枚目写真)を物した著者の原雄一氏。原氏は「行動を共にした後輩を含め、自分たちが行ってきた捜査の記録を残したかった」と語る

 

撮影:李相允(1枚目写真) 西﨑進也(著者近影) 結束武郎(書影)

 

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