球界の盟主・巨人軍の知られざる「黒歴史」

ああ、まさかの13連敗で早くもV絶望!

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江川入団をめぐるトラブル、桑田の登板日漏洩事件、長嶋&原の突然の辞任ほか、新聞テレビでは絶対に報じられない”球界の盟主”の黒い履歴書!

読売ジャイアンツの創立者で初代オーナーの正力松太郎は、選手をこう訓戒していた。「常に紳士たれ!」。だが巨人軍の内情はドロドロ。監督交代では現場とフロントの意見が衝突し、選手は暴行事件や飲酒運転騒動を繰り返す。関係者が闇に葬り去ろうとした名門球団の暗黒の歴史だ。

南海入団に監督降ろし! ミスターの明と暗

’80年10月、長嶋は読売新聞本社で会見を開き監督辞任の理由をこう語った。「成績不振。男としてのケジメをつけ責任を取りたいということです」

巨人の前身『大日本東京野球倶楽部』が、1934年に誕生してから80年余り。読売ジャイアンツの栄光の歴史には、深い闇もある。ミスタージャイアンツ、長嶋茂雄(81)にしても例外ではない。ヤクルトの元スカウト(取締役編成部長)で立教大学時代、長嶋の1年後輩だった片岡宏雄氏が語る。

「長嶋さんは、南海に行くものだと思い込んでいました。’10年に亡くなった、立教で長嶋さんの2年先輩の大沢啓二さんが南海にいて、太いパイプがありましたから」

大沢は南海に入団の際、鶴岡一人監督から「ウチが日本一になるために君と長嶋茂雄、杉浦忠の力が欲しい」と言われたとされる。立教の後輩、長嶋と杉浦のパイプ役として期待されての入団だったのだ。大沢氏の著書『球道無頼』によれば、長嶋は南海から栄養費をもらい入団がほぼ決まっていた。その額は月に2万円だったという。大卒新入社員の初任給が、約8000円の時代にである。

なぜ長嶋は方向転換したのだろう。長嶋の父親は、彼が大学1年生の時に急逝している。母親は息子が遠くに行ってしまうことを恐れ「プロなら在京球団に入団してくれ」という願いを持っていたとされる。巨人はそうした事情を察知して母親に接触。彼女を通じて、長嶋を翻意させたという。

「長嶋さんは5シーズン連続でベストナインに選ばれ、リーグ新記録となる通算8本塁打を放った六大学のスターです。巨人は、どうしても欲しかったんでしょう。最終的には本人の判断だと思いますが、立教大学の先輩の新聞記者が、巨人との間に入り暗躍していたという話も聞いています」(片岡氏)

長嶋を獲得して、球団の人気を上げようという巨人の目論見は成功する。長嶋の出るプロ野球中継が、読売新聞系列・日本テレビの強力なコンテンツになったのだ。片岡氏が続ける。

「本格的にプロ野球人気が出始めたのは、長嶋と金田正一との初対決がテレビ中継されてからです。プロにはこんなにすごい選手がいるんだと、認知されるようになったんです」

巨人は長嶋獲得に失敗した時のために、別の大学生にも触手を伸ばしていた。

「関西六大学リーグで通算7本塁打という、当時のリーグ記録を打ち立てていた関西大学の難波昭二郎という選手です。巨人は昔からカネはあっても計画性がなく、取りたい選手を取っていたんですよ」(片岡氏)

難波は中日への入団が内定していたが、巨人は関西大学の先輩で読売新聞運動部記者を通じて勧誘、翻意させたのだ。その後、長嶋の入団が決まると、巨人は中日へ行ってもいいと伝えたが難波は決心を変えなかった。だが、長嶋を獲得した巨人に難波の居場所はなかった。

「難波は巨人で、ほとんどチャンスを与えられませんでした。5年目に西鉄に移籍して、引退してしまったんです。その後、巨人は他球団で活躍した選手をどんどん取っています。昔の金田、張本勲、近年では清原和博などです。なかには難波のように、運命を変えられてしまった不運の選手がたくさんいます」(片岡氏)

ちなみに、難波は現役引退後、実業家、音楽プロデューサーに転身。長嶋茂雄関連の音源権利を任され、さだまさしや小林幸子など有名アーティストを担当した。

首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回と選手としては華々しい成績を残した長嶋だったが、監督としては恵まれなかった。結果が出ないと、あっさりと解任されてしまったのだ。監督就任6年目の’80年。シーズン中から自分を降ろそうとする動きがあることを察知した長嶋は、正力亨(しょうりきとおる)オーナーに直談判。「Aクラスを確保できれば留任」という約束を取り付けたのだ。だが、Aクラスを維持したもののシーズン終了前に解任が決定する。実は当時、正力オーナーには人事権がなかったという。

「実権を握っていたのは監督としてV9を成しとげた川上哲治さんと、彼と仲の良かった読売新聞の務臺光雄(むたい)社長です。最終的に長嶋さんの解任を決断したのは、務臺社長ですから。川上派としては6年間でBクラス2回と低迷し、ヘッドコーチの青田昇さんに暴力団との交際が発覚するなど、巨人の歴史に泥を塗る長嶋政権に我慢ならなかったのでしょう。『外野手の柴田勲をトレードに出せ』などと、次第に干渉するようになったんです。極めつきが’80年8月に川上さんが声をかけ、週刊文春誌上で行われた藤田元司さんや国松彰さんらとの座談会です。そこでは長嶋さんの後の監督候補についても話し合われた。これで長嶋降ろしの動きが本格的になったんです」(スポーツ紙元巨人番記者)

川上派の動きに長嶋は恨みを抱いて巨人を退団。遺恨は、その後も続く。

「当時の巨人OB会会長は川上さんです。そのため長嶋さんは、長い間OB会に欠席し続けました。’90年に『これ以上出席を拒むと除籍する』という勧告を受け渋々参加。ようやく川上さんと和解したと言われています」(前出・記者)

ミスターの知られざる苦難の半生だ。

早稲田大学進学を表明しておきながら、急転、巨人への入団を決めた桑田真澄

ドラフト前日、いわゆる「空白の一日」に江川卓は巨人と入団契約。大騒動に

優しさがアダとなった原辰徳の転落人事

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長嶋と同様、選手時代の活躍に対し監督として冷たい仕打ちを受けた人物がいる。4番打者として、’83年には球団史上4人目の3割30本100打点をマークした原辰徳(59)だ。’95年にヤクルトから巨人へ移籍し、’99年まで在籍した広澤克実氏が語る。

「私がFAで巨人に移籍したのは、長嶋さんの第2次監督時代の3年目。原さんはその年限りで引退しますが、まだ現役で頑張っていました。選手の中には、原派と言われる人たちが多くいましたね。原さんは後輩の面倒を、長年よくみていた。元気のない若手を食事や飲みにつれて行き、励ましていたんです。私自身も、『トラ(広澤氏のあだ名)、メシを食いに行こうぜ』と何度か誘っていただきました。彼らの原さんへの思いは深い。一試合だけ、原さんに代わってサードで先発したことがあります。すると『原さんをスタメンから落として、なぜ広澤をサードで使うのか』という声がチーム内から聞こえてきました。原さんは特別な存在だということに、改めて気づかされました」

同僚からの信頼は厚かった原だが、監督としての球団からの評価は必ずしも高くはなかった。監督就任1年目の’02年にいきなり日本一になるも、翌年3位に下降すると事実上の解任に追い込まれたのだ。渡邉恒雄オーナーや堀内恒夫・新監督と臨んだ辞任会見では、こう言って悔しさを滲(にじ)ませた。

「一人ひとりの力を十分に発揮させることができず、不甲斐ない成績に終わってしまった……。すべては私の責任」

解任の原因は、現役時代から周囲を大切にした原の優しさにあった。

「原さんは鹿取義隆や篠塚和典など、巨人で共に戦った同僚たちをコーチに据(す)えていました。彼らへの人事権も、渡邉オーナーに要求していたんです。ところがシーズン終盤の9月に、球団代表が原さんの理解者である土井誠さんから、渡邉オーナーの腹心である三山秀昭さんに交代すると状況は一変。三山さんは優勝を逃(のが)したことを理由に『ヘッドコーチ格の篠塚を二軍監督に配置転換しろ』などと、コーチ陣の大幅な入れ替えを要求し始めたんです。日頃から『コーチはファミリー』と話していた原さんにとって、とてもではないが受け入れがたい要求でした。両者の溝は深まる一方。結局、原さんが押し切られ、自ら身を引く形で解任させられたんです」(スポーツ紙デスク)

原監督の辞任会見で渡邉オーナーは、こう言い放った。

「辞任とか解任とかでなく、読売グループ内の人事異動にすぎない。実に明快に話は進んだ」

だが事態は、渡邉オーナーの思い描いた通りには改善しなかった。フロント主導でスタートした堀内政権は、’04年こそ3位をキープしたが翌年は散々。球団史上最悪の80敗を記録し、借金18で26年ぶりの5位に沈んだ。

最近でも、原の1億円不倫揉(も)み消し事件、高木京介や笠原将生らの野球賭博。山口俊の病院スタッフ暴行騒動など、巨人の監督や選手のトラブルが後を絶たない。

「内部告発で内情が暴露される風潮はありますが、巨人や読売の力が落ちているのも事実です。以前なら傷害や賭博などは、警察の協力を得たり、マスコミに圧力をかけ表面化しなかったかもしれません。そうした力の衰えを理解せず、球団幹部は以前と同じような感覚で、選手や指導者の育成に力を入れようとしない。今後は、こうした幹部たちのスキャンダルも噴出するかもしれません」(前出デスク)

紳士たる名門球団は、どこへ向かおうとしているのだろうか。

(一部敬称略)

暴力団フロント企業の役員を務めていたことが発覚し篠塚コーチが謝罪

渡邉オーナーの意向に背き、監督を事実上解任された原。’06年に復帰すると10年間にわたる長期政権を築く

巨人から裏金をもらっていた一場。騒動後楽天に入団。プロ6年で引退

監督や選手に圧力をかけつづける渡邉氏。現在も大きな権力を握っている

ジャイアンツ真っ黒履歴書

’57年11月 長嶋茂雄入団騒動

長嶋は立教大学時代から、同期の杉浦忠投手とともに鶴岡一人監督や同大OBの大沢啓二外野手から南海へ熱心に誘われていた。栄養費と称した小遣いももらっていたという長嶋だったが巨人と契約。杉浦は南海に入団しただけに大騒動になった

’73年3月 湯口敏彦怪死事件

’70年にドラフト1位で入団した湯口投手が思うような成績を残せずうつ病に。川上哲治監督の激しい叱責や中尾碩志二軍監督の暴行により状態は悪化。入退院を繰り返し、病院のベッドで変死体となって見つかった。球団は「死因は心臓麻痺」と発表

’78年11月 江川卓入団騒動

江川がドラフト会議前日に巨人と電撃的に入団契約。巨人は、ドラフトの前日は自由の身分で、前年ドラフト指名したクラウンの交渉権は消滅、よってドラフト外の江川との入団契約は可能と主張した。「空白の一日」を利用した契約は猛批判を受けた

’80年10月 長嶋茂雄監督解任騒動

成績不振により読売新聞社は「長嶋解任やむなし」の方向に。長嶋は正力亨オーナーに直談判し「Aクラス確保なら留任」の約束を取り付けた。だが、Aクラスを維持していたもののシーズン終了前に長嶋の解任が決定。反長嶋派の陰謀論が囁かれた

’85年11月 桑田真澄強行指名

KKコンビ・清原和博は巨人入りを熱望、桑田は早稲田大学進学を表明していたが、ドラフトで王貞治監督が指名したのは桑田だった。他球団が桑田の指名を回避した間隙を衝いた強行指名に、巨人の裏取引、桑田とも密約があったと揶揄された

’85年11月 定岡正二トレード拒否

’85年オフにトレード要員となった定岡。有田修三捕手とのトレードで近鉄バファローズへの移籍が発表されるが、定岡は移籍を拒否。29歳という若さで突然の現役引退になった。最終年は47試合登板で防御率3点台という余力を残した状態だった

’90年2月 桑田真澄登板日漏洩

桑田と専属契約を結んでいたスポーツ用具メーカーを解雇された中牧昭二氏が、桑田が自らの登板日を知人に漏らしていたことを著書で明らかに。桑田が「前科がある人」に登板日を教えたらしい旨の記述があったため、桑田に野球賭博疑惑が持ち上がった

’97年11月 高橋由伸入団裏金疑惑

慶応義塾大学の高橋はヤクルトが本命と思われていたが、家族会議の結果、一転して巨人を逆指名した。元ヤクルトスカウト部長の片岡宏雄氏が自著で真相を暴露。高橋の父には約60億円の借金があり、大金を出してくれる巨人に入団を頼み込んだという

’99年10月 篠塚コーチ車庫飛ばし(暴力団交際疑惑)

篠塚和典コーチが家宅捜索を受ける。所有者を偽ってナンバーを登録する「車庫飛ばし」の容疑で経営者が逮捕された自動車販売会社の役員を務めていたため。同社は後藤組のフロント企業とされていたため、篠塚本人と裏社会の交友も取り沙汰された

’00年10月 杉山直輝捕手強制わいせつ騒動

日本シリーズに備えて宮崎で行ったミニキャンプ中に、宮崎市内のスナックで女性と一緒に酒を飲んだ際に身体を触り、靴で頭を殴ったとして、強制わいせつ・強制わいせつ致傷の疑いで杉山捕手が逮捕された。その後、示談が成立、起訴猶予処分となった

’01年4月 岡島、元木、高橋飲酒運転騒動

4月に岡島秀樹、7月に元木大介と高橋由伸の飲酒運転が発覚。その一部始終は本誌がスクープしたが、警視庁は飲酒が少量などという理由でいずれも注意にとどまり、道路交通法違反容疑などの処分は見送った。巨人による揉み消し疑惑がささやかれた

’03年9月 原辰徳監督解任騒動

3位で終わったこのシーズン。当初、原監督は次シーズンも指揮を執ることが内定していたが、三山秀昭球団代表との確執もあり、監督を辞任し特別顧問に転任。渡邉恒雄オーナーの「読売グループ内の人事異動」発言が世間から猛反発を受けた

’04年8月 一場靖弘裏金問題

ドラフト1位候補の明治大学・一場靖弘投手へ裏金として総額約200万円の現金を渡していたことが発覚した。土井誠球団社長や三山秀昭球団代表など幹部4人が解任。渡邉恒雄オーナーと堀川吉則会長が辞任した。問題は全球団に波及した

’08年7月 二岡智宏不倫でトレード

タレントの山本モナと新宿2丁目のゲイバーで意気投合して泥酔。タクシーでキスを交わしながら五反田のラブホに向かったことが週刊誌に報じられ、同年オフに日本ハムに電撃トレード。二岡の試合出場時には「モナ岡!」など容赦ない野次が飛んだ

’11年11月 清武の乱

清武英利球団代表が記者会見を開き、来季のヘッドコーチ人事を巡って渡邉恒雄球団会長が不当に介入、会社の内部統制とコンプライアンスを破ったとして渡邉を批判した。清武はこの問題を理由に、同月読売巨人軍におけるすべての職を解任された

’12年3月 入団契約金超過問題

球界で申し合わせた新人契約金の最高標準額を超える契約を、上限額を設定した’07年以前に高橋由伸、阿部慎之助、上原浩治ら6選手と結んでいたと朝日新聞が報道。巨人は損害賠償などを求めたが、東京地裁は報道内容を事実と認め請求を棄却した

’12年6月 原監督1億円不倫騒動

暴力団関係者が、’88年前後に原と不倫関係にあった兵庫県のホテルの女性スタッフが当時綴っていた日記帳を入手。これをネタに原を脅迫した。原は要求された1億円を警察に相談することもなく用意し、暴力団関係者に渡したことが報じられた

’14年12月 澤村拓一暴行騒動

澤村拓一投手が六本木のクラブで事件を起こしていたことが発覚。阪神とのクライマックスシリーズ直前、若者グループとトラブルになって20代男性に暴行。男性は警視庁に被害届を提出するも、球団が手を回し示談に。被害届は取り下げになった

’15年10月 野球賭博問題

福田聡志投手が知人を通じ野球賭博に関与していることを球団が発表。その後、笠原将生投手、松本竜也投手も野球賭博を行っていたことが判明。NPBの熊崎勝彦コミッショナーは3選手を無期失格処分とし、球団には1000万円の制裁金が科せられた

注:個人の肩書、チーム名は当時のモノ。本文も

(FRIDAY増刊ダイナマイト8月23日号より)

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