ケガからの復帰で金星トライ 福岡の強運を生み出した心の強さ

アイルランド戦での劇的勝利の立役者

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15年W杯南アフリカ戦以上の番狂わせが起こった。開幕前の世界ランキング1位であるアイルランドに対して、19-12で、日本が見事勝利を収めた。勝負を決定づけたのは福岡堅樹が決めた後半18分の劇的トライである。

直前のケガから復帰、万感の思いで決めたトライ。「自分で決めたことは必ず成し遂げる」福岡の心の強さを、かつての恩師が振り返る。

後半18分、見事な逆転トライを決めた福岡堅樹

ケガからの復帰、そしてW杯初トライへ

9月6日、日本代表にとってラグビーW杯前の最後のテストマッチとなった南アフリカ戦。7−41のスコア以上にファンを不安にさせたのは、前半4分に足を痛めた福岡堅樹の退場だった。幸いケガは当初予想されたほど深刻なものではなく、ロシアとの開幕戦の3日後の9月23日から全体練習に合流。2戦目のアイルランド戦は直前でのメンバー登録となり、後半から出場、「スピードスター」の名にふさわしい見事なトライを決めた。

これほど福岡のケガが取りざたされるのは、とりもなおさず現在の日本代表における存在の大きさゆえだ。7月末から8月にかけて行われたW杯の前哨戦となるパシフィック・ネーションズカップでは、3試合連続でトライをマーク。その圧倒的な決定力は、ジャパンが史上初のプールマッチ突破を果たす上で欠かせない武器といえる。

ひとりだけ早送りで動いているように見えるほどの俊足は、ユース時代から評判だった。中学3年時は福岡県選抜で冬の全国大会に出場し、トライを量産して優勝に貢献。ちなみにこの時、決勝で対戦した東京都スクール選抜のエースは、松島幸太朗だった。

高校は福岡県屈指の名門である県立福岡高校に進学。両膝の前十字靭帯を断裂したこともあって高校代表には選出されなかったものの、3年時は花園に出場して高校ラグビーの聖地で圧巻の走りを披露した。

その後、医学部を目指し1年間の浪人生活を送ったが、トップレベルのラグビーにチャレンジしたいという思いも強く、悩んだ末に筑波大学の情報学群に進む。圧倒的なスピードが当時のエディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)の目に止まり、2年時の春に日本代表デビュー。2か月後にはウェールズ代表から歴史的初勝利を挙げたチームの一員にもなった。

2015年のラグビーワールドカップはスコットランド戦のみの出場にとどまったが、7人制代表として臨んだ翌年のリオデジャネイロ五輪では、ニュージーランド代表撃破、準決勝進出という快挙の原動力となる。その後はフィジカル面やゲーム理解力が向上したことで自慢のスピードがさらに生きるようになり、日本代表やサンウルブズのトライゲッターとして世界にその名を知られる存在となった。

かねてから15人制は今回のワールドカップ、7人制は来年の東京五輪を最後に現役生活に区切りをつけ、その後ふたたび医師の道を目指す意思を明らかにしている。名将エディー・ジョーンズ氏が「チーターよりも速い」と評した剛脚は、日本代表初のベスト8進出に欠かせない武器である。

自分で決めたことは「必ず成し遂げる」

福岡堅樹の在学中、現日本ラグビー協会会長である森重隆監督とともに部長として福岡高校ラグビー部を指導していた牟田口享司先生(現柏陵高校教諭)は、自身の息子が玄海ジュニアラグビークラブの同級生だったこともあり、幼少時から福岡をよく知る人物だ。のちに日本代表の切り札となる俊足ランナーの当時の印象を、こう振り返る。

「昔から足が速くて、とにかくすばしっこかった。ただ小学校まではすごく体が小さかったんです。それが中学生になったくらいからだんだん大きくなって、それに連れて活躍することが増えていきました」

福岡高校では入学直後の春からレギュラーとして公式戦に出場。しかし2年時の夏合宿中の練習試合で、左ヒザの前十字靭帯断裂という大ケガを負う。手術を経て3年の春に復帰したものの、7月の遠征で今度は右膝の前十字靭帯を負傷。この時は3か月後の全国大会福岡県予選を見すえ手術は行わず、テーピングでガチガチに固定して県予選を戦い抜き、チームを実に28年ぶりの花園出場に導いた。

完調ではない状態でも、相手を置き去りにするパフォーマンスも圧巻だったが、何より牟田口先生の記憶に残っているのは、最短時間で復帰するためにリハビリに取り組む福岡の姿勢だった。

「高校生だから普通はついトレーニングがおろそかになって、こちらが考える予定通りには筋肉がつかないものですが、あの子は自分でジムに通ったりしてきっちり戻ってきた。『こうしなければいけない』と自分で納得して決めたことに関しては、徹底して計画通りに遂行できる。そこは高校の時から本当にすごかった」

そうしたキャラクターは、学業面でも一貫していた。ラグビーに没頭する一方、3年時にはバンドを組んで文化祭で演奏するなど多彩な高校生活を送りながら、学業でも常に好成績を維持。「いくら練習で疲れていても、『これだけはしなければ』ということは必ずやっていた」と牟田口先生はいう。

「だから今も引退後に医者になるために、しっかり準備していると思います。『大学卒業から何年も経って本当になれるのか』と思われるかもしれませんが、これをすると決めたら、自分でとことん計画して実行する子なので」

15年W杯の悔しさを、見事に晴らした

実は高校時代の福岡はスピードこそ飛び抜けていたものの、持久力と相手に接触するコンタクトプレーが課題だった。しかし現在はそうした面でも飛躍的な成長を遂げ、速さに強さと仕事量を兼ね備えたプレーヤーとして、代表首脳陣から絶大な信頼を得ている。

「正直、世界のトップレベルでここまで強さを発揮できる選手になるとは思っていませんでした。海外で通用する選手になるためにはスピードだけじゃダメだと自覚して、相当努力したのだろうと思います。目指すところから逆算して、自分の強みと弱みをしっかりととらえられる。トップレベルまでいく選手は、そういうところも違うのかもしれませんね」(牟田口先生)

2015年のW杯ではジャパンの快進撃に日本中でラグビーフィーバーが巻き起こったが、福岡にとっては必ずしも力を存分に発揮できた大会ではなかった。「あの性格ですから、相当悔しかったはず(笑)」という牟田口先生は、2回目にしておそらく最後のワールドカップに挑む教え子への期待を、こう口にする。

「やっぱりトライを取るのが彼の一番の仕事なので、『これは無理だろう』と思うようなところでトライを取ってほしい。もうひとつは、『やられた!』というシーンにカバーで戻って止める。そういう場面をぜひ見たいですね」

満を持しての復帰。いうまでもなく本人にも、心に期すものはあるだろう。走りだした福岡堅樹はもう止まらない。

  • 取材・文直江光信

    1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)

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