犠牲者63人の御嶽山大惨事から5年 遺族・行政間に深い溝
5人はいまだに「灰の下」に残されている
日本百名山のひとつで、地元では敬意を込めて「おやま」と呼ばれる御嶽山(おんたけさん)が噴火してから、9月27日で5年が経った。
「実は噴火の規模としては極めて小規模なものだったのですが、不運な条件が重なり大きな被害が出てしまった。御嶽山は3000m級の山の中では比較的登りやすく、多くの登山客が訪れます。しかも紅葉シーズンで、火口が近い頂上付近に最も多くの登山客がいる土曜日昼。あと2時間噴火が遅かっただけで犠牲者の数はかなり変わっていたはずです。御嶽山の噴火は火山と登山の安全対策に大きな教訓を与えました」(高橋学・立命館大学歴史都市防災研究所教授)
噴火は’14年9月27日午前11時52分のことだった。犠牲となった63人のうち5名は行方不明のままである。犠牲者遺族会「山びこの会」事務局代表のシャーロック英子さんが語る。
「噴火前にメイン登山道だった王滝から八丁ダルミを経て頂上へと向かう道は、頂上付近に次いで犠牲者が多かった場所ですが、まだ入山禁止が続いています。犠牲者の多くが王滝から頂上を目指していたので、同じ道をたどりたいという遺族は多く、行政側に申し入れをしているのですが、かなえられていません。噴火当時、私たちは麓の待機所にいました。そのとき私の隣にいた方は行方不明者の家族の方です。私は(義弟の遺体が)見つかって、あの待機所を出ましたが、彼らの心は今もまだ、あの待機所にずっといる。やりきれない思いです」
今年は噴火後初めて開山日の7月1日から10月16日まで黒沢口ルートでの山頂入山が規制解除され、一般客や御嶽講の信者が剣ヶ峰頂上を目指した。
そこには今も痛ましい噴火の跡が残っている。山頂へと続く二ノ池は、今もどろどろに灰が溜まり、池の体を成していない。頂上直下にあった御嶽頂上山荘は解体され、その木材などがまだ山積みになっている。代わりに設置されているのが、一つにつき30人ほどが待避できる分厚いコンクリートシェルター3基。そして、5年前の犠牲者を悼む慰霊碑だ。
頂上に至る最後の階段の上部には、大きな石灯籠が傾いたまま建っており、頂上広場には欠けた石碑が残されている。前出・シャーロック英子さんは言う。
「御嶽山噴火の痕跡は、残してほしいと思っている家族が多いと思います。噴火、噴石というものがいかに恐ろしいか、やはり被害の跡があるとないとでは伝わり方が違います。実は噴火当時閉鎖されていた頂上の祈祷所も、ボロボロになった姿を残してほしいと要望を出したのですが、壊して再建されてしまいました。行政は山で起きたことは自己責任、と言い続けていて、もう検証に熱意をこめていません。この5年間で行政と遺族の間には深い溝ができてしまいました。今後は少しでも歩み寄りができればと思っています」
『FRIDAY』2019年10月11日号より
- 撮影:渡辺幸雄 防衛省統合幕僚監部(3枚目写真)