母国サモアから初トライ 「頼りない男」を完全脱却したラファエレ | FRIDAYデジタル

母国サモアから初トライ 「頼りない男」を完全脱却したラファエレ

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サモア代表に38-19で勝利し、決勝トーナメント進出を大きく引き寄せたラグビー日本代表。なかでも1試合で4トライ以上決めると得られるボーナスポイントはとても大きな収穫だった。ファーストトライを決めたのはサモア生まれのラファエレティモシー。いまや日本代表でもっとも「信頼できる男」だが、昔はまるで違う印象だったという。かつての盟友が振り返る。

サモア戦前半27分、今大会初トライを決めたラファエレティモシー
サモア戦前半27分、今大会初トライを決めたラファエレティモシー

ジャパンの快進撃はラファエレから始まっている

ロシア代表との開幕戦では、巧みなバックフリップパスで11分の松島幸太朗のトライをお膳立て。アイルランド戦でもオフロードパスや、スペースを突く絶妙なキックで多くのチャンスを作り出し、58分にはタックルを受ける寸前にクイックパスを通して福岡堅樹の決勝トライをアシストした。そして昨夜のサモア戦では、嫌な流れを断ち切るファーストトライを決めた。

W杯のジャパン快進撃の裏にはラファエレティモシーの攻守にわたる活躍があったのは明らかだ。

ラファエレはサモアに生まれ、4歳の時にニュージーランドに移住。初めて日本に来たのは、高校時代に福岡県宗像市で毎年開催されるサニックスワールドユースに出場した2009年だった。卒業後は吉田浩二監督(当時/現FWコーチ)の熱心な誘いで山梨学院大学に進み、4年時は主軸としてチームを関東大学リーグ戦1部昇格に導いている。

もっとも、本人が「その頃はいいプレーをしてトップリーグチームからオファーをもらえたら…、というくらいで、日本代表に選ばれるなんて想像できなかった」と振り返るように、大学までは決して飛び抜けたプレーヤーではなかった。

しかしコカ・コーラレッドスパークスに加入し、一途に努力を重ねたことで、恵まれたポテンシャルが花開く。3年目の2016年シーズンにトップリーグで全試合先発フル出場を果たすなど飛躍を遂げ、同年秋に日本代表デビュー。以降、ジャパンおよびサンウルブズのミッドフィールドの要として、確固たる地位を築いてきた。

あのティモシーが、あんなに自信満々に

コカ・コーラで共同キャプテンを務める山下昂大は、かつてチームメイトだったラファエレと親交が深い。妻同士も仲が良く家族ぐるみの付き合いをしていたこともあって、ラファエレが今春に神戸製鋼に移籍する際には、両家で寿司屋に集まり送別会をしたほどだ。加入当初のラファエレの印象をこう振り返る。

「入ってきた頃は今より全然細かったし、頼りない印象だったんです。ボールを持った時は『え、そこを抜けるんだ』という、すごいランをすることもありましたが、左方向へのパスができなかったりして、正直『大丈夫か?』と。先日もワールドカップの試合を見ながら妻と『あのティモシーがあんなに自信満々にプレーするなんてすごいね』と話したくらいで(笑)。あれほどの選手になるとは全く思っていませんでした」(以下、カッコ内は山下)

幸運だったのは、ニュージーランドの強豪クルセイダーズやハイランダーズで活躍した名センター(CTB)ティム・ベイトマンが、ラファエレの入団と同じタイミングで3季ぶりにコカ・コーラに復帰したことだ。スキルフルで経験豊富なベイトマンは、身体能力こそ高いもののそれをプレーに活かしきれていなかったラファエレにとって、うってつけのお手本となった。

なかなか出場機会の得られなかったこの時期、生来の真面目な性格でベイトマンから真摯に学び、全体練習後の個人練習で黙々とキックやパスを繰り返したことで、ラファエレのパフォーマンスはみるみるうちに向上していった。

もうひとつ、チームが契約していたニュージランド代表のストレングス&コンディショニングコーチを務めるニック・ギル氏の指導でフィジカル強化に取り組んだことも、飛躍の一因となった。厳しいトレーニングをひたむきにこなし、大幅な体重増と筋力アップを実現。コンタクトに不安がなくなり、余裕を持ってプレーできるようになった。

「今はひ弱なところがまったくないし、本当に中心選手ですよね。風貌もトッププレーヤーの貫禄が出てきたなと。以前は無理なプレーが結構あって、ラインブレイクをするけどミスも多い、という選手だったのですが、最近はオフロードパスなどギリギリのプレーもきっちり成功させる。自信が表れているし、相当努力したんだろうな、と感じます」

一人称が「俺」になった

自他ともに認めるシャイな性格で、頑健なプレーとは裏腹に、ピッチを離れれば佇まいはどこまでも物静かだ。真面目で誠実な人柄でも知られ、外国人選手にありがちな規律や時間にルーズな部分は皆無だという。

メディアの取材では正確を期すために通訳を介することが多いものの、日本語は日常生活のコミュニケーションならほぼ完璧に近いレベル。博多弁をマスターするまでには至らなかったが、2017年10月に日本国籍を取得した頃から「一人称が“俺”になりました」と山下は笑う。現在は神戸へ引っ越したが、福岡での生活にもなじんでいたようで、ジャパンの同僚でもあるウィリアム・トゥポウとともに、定食屋でよくオムレツやとり天を食べていたそうだ。

サモア戦を前に、山下はこうエールを送っていた。

「派手なプレーも安定したプレーもできるので、相手にとってはイヤな選手だと思います。とにかくケガなくやってくれるのが一番。実力的には十分勝てるレベルだと思うし、楽しみにしています」

盟友からのエールに見事応えたラファエレ。コツコツと努力を重ねて国際級のCTBとなった信頼の男は、あらゆるシーンでジャパンを支える柱となるはずだ。

サモア戦もフル出場、豊富な運動量も魅力のラファエレ
サモア戦もフル出場、豊富な運動量も魅力のラファエレ
サモア戦も鋭いパスが光った
サモア戦も鋭いパスが光った
  • 取材・文直江光信

    1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)

  • 撮影渡部薫

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