オールブラックスにパンツを触らせなかったラグビー元日本代表

ラグビー伝説のスタンドオフ「松尾雄治」

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新日鐵釜石の7連覇を牽引した松尾雄治 写真:山田真市/アフロ

ジャパンを引き締めた伝説のリーダー

オールブラックスをワールドカップ制覇へ導いた名手を「イモ」と一蹴した人物がいる。南アフリカ人でもオーストラリア人でもない。日本に生まれた男だ。

松尾雄治。いま65歳の永遠の背番号10。明治大学で社会人を倒して日本一、新日鐵釜石では日本選手権7連覇、そしてジャパン、日本代表の作戦遂行の中枢を担い国際的な評価を得た。リーダーとしては、高校を出て釜石に入ったばかりの無名少年、ジャパンの猛者、どちらも明朗にまとめて、ここというところで引き締めた。現役引退後は当時としては珍しくタレントとして広く活躍、その存在がどれほどラグビーの存在を老若男女に伝えたことか。グラウンド内外の「公人」として敬称略を許してもらおう。

冒頭の一言は、技術誌(『ラグビークリニック』)のための取材時、14年前に聞いた。「イモ」とはラグビーが不細工という意味である。対象は、グラント・フォックス。こちらも背番号はいつでも「10」。時計のように正確なキックと冷静なゲーム運びで、全身黒ずくめのニュージーランド代表の司令塔を長く務め、1987年の第1回ワールドカップの優勝へ導いた。現在57歳。王国の重鎮だ。ちなみに息子のライアンはヨーロッパのPGAツアーにも加わるプロのゴルファーである。

松尾雄治は「相手を抜く」秘訣を語り、1982年の日本代表のニュージーランド遠征を振り返った。

「外国人を抜くのは簡単だった。あとでオールブラックスの主力になったグラント・フォックスなんか、ジャパンの遠征で戦ったけど、俺のパンツにさわれなかった。イモでしたよ、あのころは。百発百中、抜いた。腰が砕けてたもの。あんなのオールブラックスに選ばれて、がっくりきたよ。そのあとゴールキック、夜まで練習してたけど。あんなに抜かれたくせに黙々とゴールキックですよ」

あわれフォックス、まだ国代表になる前、NZU(ニュージーランド大学選抜)で日本の誇るスタンドオフと対峙した。試合は30対25で勝ったが、どうやらよく抜かれた。ちなみに当時のNZUは近年とは異なり国代表にも準ずるような強豪だった。

後年の世界の顏にパンツをさわらせなかった。もとより自慢をしたり対戦相手を貶めるような人ではない。拝聴しながら誇張とはまったく思わなかった。なぜなら松尾雄治の全盛を目撃してきたからだ。優しく宙を飛ぶパスは、軌道に身を任せると受け手が必ずタックルを逃れられた。あのころの皮革のボールを蹴れば、それは何度でも同じ位置へ落ちた。広い側から狭いスペースへふいに走る際の名人のコースどり。防御における予知能力。観察のもたらすランの鋭利。活字で紹介するのももどかしい。次の事実が才能と努力と実力を証明している。

14年前、すでに今の日本代表の戦い方を発想していた

日本代表としても活躍した 写真:山田真市/アフロ

ウェールズのカーディフ近郊に『グロッグス(Groggs)』という「ラグビー人形」のショップがある。およそ選手であれば、ここで自分を模した型がつくられることは本当の名誉だ。4年前、ジャパンが南アフリカを破ると「アユム・ゴロウマル(五郎丸歩)」がこしらえられた。実は「史上2人目の日本選手」であった。栄えある最初のひとりは、この稿の主人公、「ユウジ・マツオ」である。

1983年、日比野弘監督率いるジャパンのキャプテンとしてウェールズへ遠征、素早くボールを動かすスタイルで人気を集めた。10月22日のアームズパークでの最終戦、ウェールズ代表に24-29と迫った。強豪クラブとの連戦で「日本のラグビーはおもしろい」との評判は高まり、当日券を求めるファンが殺到、行列ができて開始が15分遅れた。松尾雄治の統率はツアーを通して際立ち、グロッグスの主人の眼鏡にかなった。ここに「初のジャパニーズ」の制作は決まる。

本場の伝統のラグビー人形となった男は、あのウェールズ戦をこう率先した。

「いっぺん差がつきかけた(10ー29)。そこで考えたんです。ここで逃げて守れば、大善戦。いい遠征だった。そう評価される。つい、それでいいかとなっちゃうんですよ。だけど、これだけの大観衆、日本にも深夜の衛星中継がある。ここ(後半20分)から仕掛けよう。日本の速攻で勝負しよう。つないで。つないで。みんなでつなごうと」

連続3トライ。ジャパンは称賛された。筆者は1998年11月、ウェールズのスラネスリーのスタジアムで観客に声をかけられた。「俺は1983年のジャパンを見た。あれは本物のテストマッチだった」。素直に誇らしかった。

14年前、松尾雄治は、自分の現役時代とは様変わりしたラグビーを鋭い視点で考察している。いわく。

「いまのラグビーではディフェンスの壁がすぐできる。僕ならどうするかと考えると、やはりキックは多用します。正確なキックを壁のうしろへ蹴り分けていく。2次、3次攻撃でボールがどこへ動くかをチーム全体で理解できるか。ここが大切でしょう。僕なら、そこのボールをすぐにウイングへ運ぶ。それが大原則。すると相手が外へ外へ広がるから、裏をついてフルバックやフォワードのランナーでタテ突破」

壁とのむやみな衝突を避けて多様なキックを使い、いったん攻撃を始めればタッチラインぎわに素早くボールを回す。いまのジャパンではないか。「キックは外への攻めの布石」「連続ラックからスタンドオフがさっと方向を変えて走り込むのはものすごく効果がある」とも語っている。まるで先日のアイルランド戦を解説しているようだ。

若いファンに「松尾さんは(前回大会優勝のオールブラックスの10番)ダン・カーターよりうまかった」と話すと、たいがい、微妙な笑みを浮かべる。こちらにジョークのつもりはないのでいつも困る。

  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『北風』(集英社文庫)、『序列を超えて』(鉄筆文庫)

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