ラッパー監督が思わず「かっけえ」と言った野村周平の男気とは | FRIDAYデジタル

ラッパー監督が思わず「かっけえ」と言った野村周平の男気とは

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極貧の母子家庭で育ち人前で話すことも笑うことも苦手な主人公の青年・アトム。アトムが家計を支える清掃のアルバイトの途中でラップに出会い、音楽を武器に夢に向かって歩き始めようとするのだが……。

佐巻アトム(野村周平) ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
佐巻アトム(野村周平) ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会

野村周平が主演する映画「WALKING MAN」(ウォーキングマン:10月11日から全国公開)。王道の青春ストーリーが、95分という時間をめいっぱいに使って、青年の葛藤や心の揺れ、そして不器用ながらも自分の意志で戦い始めようとする姿が、じっくりと丁寧に描かれており、観客の心に静かな勇気が沸き上がってくる珠玉の作品に仕上がっている。

この作品を監督したのが、なんとラッパーのANARCHY(アナーキー)。RAPの世界ではカリスマ的存在だが、映画作りに関しては(情熱はあっても)何の知識もなく、クランクインの日に、撮影が始まれば戦場と化すロケ現場にスケボーで登場し、スタッフから白い目で見られてしまった、と反省する愛すべき人物なのだ。

一見怖そうだが、優しいはんなりトークをする京都出身のANARCHY監督(プロフィールは記事末)に、初監督作品となった「WALKING MAN」がどのようにして作られたのか、そして、ANARCHY監督が「彼が今まで出たどの映画よりも、この映画の中の彼の方がかっこいい」と絶賛する野村周平の俳優としての資質や、侠気(おとこぎ)に満ちた“キャスティング秘話”をインタビューした。

ANARCHY監督、野村周平の心意気に「こいつ、かっけえな」と感動 撮影:竹内みちまろ/ヘアメイク:長谷部篤(HairSalon F)/スタイリスト:keisuke kanoh
ANARCHY監督、野村周平の心意気に「こいつ、かっけえな」と感動 撮影:竹内みちまろ/ヘアメイク:長谷部篤(HairSalon F)/スタイリスト:keisuke kanoh

ラッパー・ANARCHYの初監督映画が完成「ドキドキ、ワクワクしています」

――公開を迎える現在の心境からお願いします。

ANARCHY:関係者以外の映画ファンやヒップホップファンの方がやっと見てくれる時が来たので、みんなどんな感じで見てくれるのかなと、ドキドキ、ワクワクしています。ラッパーの仲間たちはまだ見ていないと思いますが、僕が監督して映画を作ったと言うと、「すごいね」としか言わないです(笑) みんな、映画を作るということがどういうことなのか分からないと思いますが、映画を作ること自体はすごいことだと思っているようです(笑)。

――ご自身でご覧になった感想は?

ANARCHY:初めてなので100のことはできなかったのですが、今、自分にできることは全部やれました。この映画の主人公みたいに、伝えたいことを伝えられなかったり、踏み出せないでいる人たちが、一歩前に進める映画を作りたいな、というところが映画作りの始まりだったのですが、伝えたかったメッセージは、ちゃんと込められたと思いました。僕はヒップホップやラップに出会って人生が変わったし、ラップという武器があったから一歩前に踏み出せました。みんなも、自分がやりたいことを見つけてほしいなと思います。

俺の目の前にヒップホップがあったように、「やりたいこと」は、よく見たら、みんなの周りにもあると思います。成功とか、失敗とかを言い始めたら踏み出せないので、「やりたい」と思ったら、やらないまま終わっちゃうのではなく、「1回やっちゃえよ」と。そんなメッセージを込めてこの映画を作りました。

映画監督は、話の流れで「その気になってしまった感じ」

――ご自身について教えてください。ラッパーになろうと思ったのは何歳のとき?

ANARCHY:「俺はラッパーだ」と言えばその時点でラッパーになれますし、少なくとも、この映画の主人公のアトムのように、ステージの上で自分の伝えたいことを歌い始めたら、もうラッパーですよね。そういう意味では僕も13歳くらいのころにはラッパーだったのですが、22、3歳のころに今のスタッフと出会ってラップで飯を食うようになりました。今の若い子たちは高校生くらいからラッパーとして出始めるので、僕は遅めでした。

――映画監督に挑戦することになった経緯は?

ANARCHY:25歳のときに10年後くらいに映画を作りたいなと思い始めました。音楽だけでは表現できない部分があると思っていて、そこを映画で表現したいと思ったことと、あとは、誰でも1回は「映画を作りたい」と思うことがあると思います。僕は「やりたい」と思ったらやっちゃうので、実行してみました。

――「映画を作ろう」と思って、まず何をしたのでしょう。

ANARCHY:漫画家の髙橋ツトムさんに相談し、脚本家の梶原阿貴さんと3人で会いました。髙橋さんに相談したのは、あの人が作る物語やストーリーに今まで”食らったもの”がいっぱいあり、僕にとっては“音楽を作るときにいつも相談に乗ってくれるお兄ちゃん”みたいな存在で、手ぶらで相談に行ける人があの人くらいだったので。

実は、そのときは映画が作りたかっただけで、自分が監督をするなんて思ってもいませんでした。ただ、髙橋さんと梶原さんから、「お前が監督をやらないとお前の映画じゃなくなるぞ」と言われました。思わず「できるんですか?」と聞き返したのですが、「優秀なスタッフを見つけて、ちゃんとした座組さえ組めればできるよ」と言われ、その気になってしまった感じです。

撮影現場にスケボーに乗って登場「あれは、失敗でした」

――監督としての最初の撮影現場にスケボーに乗って登場したそうですね。

ANARCHY:あれは、失敗でした。川崎市(神奈川)の工業地帯での撮影だったのですが、僕は「滑るスポット、あるのかな」くらいの気持ちで行ったのですよ。そうしたら、みんなから、“滑る暇なんてあるわけないだろ”みたいな白い目で見られました。実際、撮影が始まってみると、「次の場面をここから撮りたい」などと話しているうちに飯を食う時間もなくなりました。限られた時間の中で撮影を終わらせなければならないので、本当にみんなが動き続けていて、僕も「止まるわけにはいかない」と実感しました。

――“監督としての心得”は、事前に頭に入れていた?

ANARCHY:話を聞いて、ある程度、勉強していました。例えば、俳優さんにはちゃんと「こうしてほしい」と言わなければならないとか。一方では、「俳優さんに伝えるときは、みんなの前で言わずに、俳優さんと2人きりのときに言わないとダメだよ」ということも聞いていました。それを聞いていなかったら、僕はみんなの前で、「周平、ここではアトムはこういう気持ちなので、こうして!」と叫んでいたと思います。僕はそういうことが分からないので。でも、実際の撮影では、周平に耳元で「ここ、こうしようか?」とか言ったら、周平も「いっすね」と言ってくれました。

そんな基本的なことから何もかもが初めてだったので、初日や2日目くらいは相当パニックでした。助監督としても参加してくれた梶原さんなど近い人たちには僕がパニックに陥っていることが分かったと思います。でも、3日目くらいから、慣れていきました。

――撮影は予定通りに終わった?

ANARCHY:はい。撮影は11日間だったのですが、本当に濃い時間でした。その間は、5時間、寝られたらいいくらいでした。スタッフはもっと寝ていないと思います。予定通りに終わったのは僕が回したからではなく、助監督をはじめ優秀なスタッフたちが時間内でやってくれたからです。

――「本当に完成するのだろうか?」との不安は?

ANARCHY:映画が完成することに対しては不安はなかったです。僕が映画を作りたいと言った時点で、映画ができあがることは見えていました。ただ、チームが作れるかどうかは不安でした。カメラマンの人に知り合いはいないし、照明さんや美術さんも1人も知らないので。撮影に入ってからも、プロの技術の部分は分からないことだらけで、撮影したものを映像として見たときに、「やっぱ、プロはすげえな」と思いました。

――スタッフとは、どんなコミュニケーションを取ったのでしょう。

ANARCHY:できるだけ、僕から近づくようにしました。照明さんに「それ、どんなことしているんですか?」と聞いたり。監督らしくはないのかもしれないけど、色んな人の意見を聞いて、みんなのモチベーションを高めていって……ということは好きなので。チームが出来上がっていたら、それこそ“あうんの呼吸”になるのでしょうが、それがまったくない状態でのスタートだったので、スタッフの方々とは、色んな話をしました。

――ご自身にとっては“まさかの展開”で映画監督をすることになったようですが、やり遂げて得たものは?

ANARCHY:僕は、音楽のときは自分がステージに立ちます。裏方として何かをプロデュースした経験もありませんでした。今回は、フロントに主演俳優を立てて、自分は制作側に回るというまったく別のアプローチを経験することができました。ものを作る大変さをはじめ、たくさんのことを勉強することができました。

キャスティングが難航したときに野村周平が「僕、やりますよ」

――野村周平さんには、監督がオファーしたのですか?

ANARCHY:周平とは、まだ2、3年の付き合いなのですが、実は、僕から「出演してほしい」とは言っていないのですよ。映画を作る話は少ししていて、「1回、読んでみて」と脚本も渡していました。僕がキャスティングに難航して、手詰まりになっていたときだったのですが、周平に「キャストがまだ決まってないんだ」と言ったら、「僕、やりますよ」と言ってくれました。

ただ、周平は”忙しい子”じゃないですか。「やりたい」と言ってくれても実際にやってもらうことは難しいなと思ったので、「会社(=事務所)とかもあるやろ」と言ったら、「僕がやりたいものは絶対にやります」と言ったのですよ。「こいつ、かっけえな」と思いました。「自分がやりたいことはやる」って言える奴はなかなかいないし。その後に、もろもろに話が通って、正式に出演が決まりました。

ANARCHY監督、野村周平の心意気に「こいつ、かっけえな」と感動 (撮影:竹内みちまろ)
ANARCHY監督、野村周平の心意気に「こいつ、かっけえな」と感動 (撮影:竹内みちまろ)

――物語前半の気弱そうなアトムと、自分の道に踏み出すことを決意した後半のアトムは、完全に別人でしたね。

ANARCHY:本当に、もう、別人ですよね。すごいなと思いました。周平は、物語の前半と後半で、歩き方も変えているんですよ。最初、僕は、それに気づかなくて。撮影はストーリーの時系列に沿ってやるわけではなく、映画の冒頭の場面を撮影が何日も経ってから撮ったりもするのですが、あるとき、周平がとぼとぼと歩いていて、つまずいたのです。それで周平に「今、足、引っ掛かったやろ」とささやいたら、「演技ですよ」と突っ込まれました。

周平は気弱な青年を生きるために、台本をそこまで自分の中に入れていました。僕らでは絶対に無理ですよね。周平は役者なので、監督の僕よりも、アトムという個人に入り込んでいたと思います。あとは、周平が、「帽子を拾ったばかりのときは、帽子のかぶり方を知らないので、このくらいの被り方ですかね」と言って、どんくさい被り方をしてくれたり、後の方になると、“クラブに入るときに帽子を被る”など細かい部分でもアイデアを出してくれました。

――交差点の場面で、アトムがパイプ椅子に座り込んで交通量調査のアルバイトをするシーンもよかったです。

ANARCHY:あの場面で、カメラが周平を捉えながら360度くるっと回るのは現場で決めました。僕は後ろ姿を見せたかったのですが、それをスタッフに伝えると、「回ればいんじゃない」となって。あと、パイプ椅子に座り込んだまま日が暮れて暗くなる場面があるのですが、あそこは「周平、ごめん。暗くなるまで座って」と言って、本当に暗くなるまで座っていてもらったのです。もちろん、あらかじめ時間を調べておいたのですが、なかなか暗くならず、結果、周平に30分座っていてもらうことになってしまいました。僕たちは周平の後ろ姿しか見えないのですが、胸が痛くなって。さすがに、周平も「眠くなりましたよ」とぼやいていました。あの場面は、僕が「時間経過を絶対に撮りたい」とワガママを通させてもらいました。

――この作品の周平さんは、本当にかっこいいですね。

ANARCHY:周平にはもともとストリートの部分があります。それが表情だったり、仕草だったりに出ていて、劇中では周平がラップを歌うシーンもあります。周平は青春映画や恋愛映画、学園ものなどいろんな映画に出ていますが、“かっこいい野村周平の顔”はこの作品の方が撮れている自信があります。彼が今まで出たどの映画よりも、この映画の中の彼の方がかっこいいと思っています。

監督が自信の、“かっこいい野村周平の顔” ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
監督が自信の、“かっこいい野村周平の顔” ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会

気になる次回作は?

――今作がこれだけすばらしいと、次回作への期待も高まります。

ANARCHY:今回は、アトムが成長していくところを一番のポイントに置き、1本のメッセージに向かった無駄のない映画ができました。アトムはほとんどしゃべらないので、表情の部分だったり、歩き方だったりなどを意識したし、苦労もしましたが、この映画のいいところは、“アトムの成長物語だけ”を撮っているところだと思います。サイドストーリーもない映画になりましたが、今の僕にはこれが精一杯だし、これでよかったなという充実感があります。

ただ、音楽も同じですが、作り終わると、“次はもっといいものができるのに”という気持ちが湧いてきて、また作品を作りたくなるのです。作品が完璧になることはほとんどありませんし、僕はそういうところが大好きです。映画作りについてひと通りのことを経験したので、今なら「もっと違うやり方があったな」とか、「ここをもっとこうしたい」と思えてきます。初めての監督経験で得た知識と、好きになったスタッフの方々と一緒に、次のアルバム……、アルバムじゃなくて映画ですね(笑)。次の映画を撮りたいです。今回はラップの映画を作ったので、次は、もっとヒップホップに精通したものを作りたいなと思います。次の作品でも監督をしますし、今回の作品で多くのことを学べたので自信があるのですよね。

――最後に、映画ファンへメッセージをお願いします。

ANARCHY:音楽にしても、映画にしても、見てもらって何かを感じるものを作りたいと思っています。初心者ながら精一杯、映画を作りました。ぜひ、「WALKING MAN」を見て、何かを感じてもらえたらと思います。感じ方はそれぞれの自由で構わないので。それで、「よかったよ」とか、「面白くなかったよ」とか、いろいろ言ってほしいです。それが次の映画にも繋がっていくと思うので。

***

ANARCHY監督は、漫画家の髙橋ツトム氏とは“暴走族あがり”という共通点があり、親交が深いそう。ただ、インタビューのために初めて会ったANARCHY監督は何でも気さくに話してくれ、“撮影初日のスケボー”の話題では、「あれは、失敗でした」と本当に情けなさそうに肩をすぼめていた。そんなANARCHY監督だが「僕が映画を作りたいと言った時点で、映画ができあがることは見えていました」と真っすぐに言い切ったときの顔つきは、“この人なら本当に映画を作ってしまうだろう”と思わせる説得力に満ちていて、事実、佳篇を撮り上げた。「WALKING MAN」を生み出したANARCHY監督が次にどんな映画を作り上げるのか期待したい。

アトムの妹・佐巻ウラン(優希美青)©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
アトムの妹・佐巻ウラン(優希美青)©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
主人公行きつけの中華店の美人店員:キム・ヘジョン(伊藤ゆみ)©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
主人公行きつけの中華店の美人店員:キム・ヘジョン(伊藤ゆみ)©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
職場の先輩・山本さん(柏原収史) ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
職場の先輩・山本さん(柏原収史) ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
ラップバトルに臨むアトムだったが… ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会
ラップバトルに臨むアトムだったが… ©2019 映画「WALKING MAN」製作委員会

【プロフィール:ANARCHY】

京都・向島団地出身。父子家庭で育ち、荒れた少年時代を経て逆境に打ち勝つ精神を培い、成功への渇望を実現するため、ラッパーとして活動することを決意。2005年のデビュー以降、異例のスピードで台頭し、日本を代表するラッパーの地位を確立。2014年にはメジャーデビューを果たし、日本のヒップホップシーンを牽引している。

 

「1周見たので、自信はあるんですよね」と次作映画にも意欲を燃やすANARCHY 撮影:竹内みちまろ
「1周見たので、自信はあるんですよね」と次作映画にも意欲を燃やすANARCHY 撮影:竹内みちまろ
  • 文・撮影竹内みちまろ

    1973年、神奈川県横須賀市生まれ。法政大学文学部史学科卒業。印刷会社勤務後、エンタメ・芸能分野でフリーランスのライターに。編集プロダクション「株式会社ミニシアター通信」代表取締役。第12回長塚節文学賞優秀賞受賞。

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