「勇気なくして栄光なし」FWの柱、堀江を変えたワセダへの反骨心
日本のラグビー界が世界に衝撃を与え、歴史を塗り替えるとき、必ずこの男がいる。
4年前のワールドカップ(W杯)で南アフリカ撃破の試合に先発し、9月28日、世界ランク2位(当時)のアイルランド代表から金星を挙げた試合で「プレイヤー・オブ・ザ・マッチ」に輝いたHO堀江翔太は、13日のスコットランド戦にむけて気持ちを高めている。
アイルランド有利とみられていたスクラム、ラインアウトのセットプレーを安定させ、ブレイクダウン(タックル成立後、密集におけるボールの争奪戦)でも、タックルでも働き続けた。妻が編んでいるというトレードマークのドレッドヘアのベテランは試合前、こう明かしていた。
「(4年前の南アフリカ代表戦同様に)勝てる雰囲気がある。自分が持っているものをすべてチャレンジできる。そのためにはいろんな人に感謝しないといけないし、恩返しを見せたい。そしていいプレーして、チームとしていい結果を残したい」
アイルランドからの金星はまさに、有言実行だった。
33歳。日本代表では60キャップを超えて、FWではトンプソン ルークに次いで2番目のベテラン選手だ。
「W杯は年齢的に今回が最後になるかもしれない。全部、賭けたい。一試合一試合、全力でやって集大成にしたい」
そう語ってきた堀江は、日本人FWとして初めてスーパーラグビー選手になったHOだが、かつては突破力に定評のあるバックロー(FL&No.8の総称)だった。
もともとサッカーをやっていて三浦知良選手が好きだったが、「太ってきた」という理由で、母親の勧めもあり小学5年からラグビースクールで競技を始めた。中学時代はバスケットボールもしていたが、ラグビースクールにも通い続けて大阪・島本高に進学。花園予選では決勝で涙を飲んだ。
帝京大に進学後、すぐに頭角を示すが、まだ常勝軍団になる前ということもあり、大学選手権では、早稲田大に敗れてベスト4に入るのがやっとだった。優勝した早大の同期にFB五郎丸歩、PR畠山健介、FL権丈太郎(現・早大コーチ)らがいた。
「あいつらに勝つには海外にいくしかない」
大学卒業後の2008年、ニュージーランド挑戦を決め、カンタベリーアカデミーで(スクラムの最前線を担う)HOに転向した。堀江は「本当は、海外は嫌い」というものの、「上手くなるためにはそれしか選択肢がなかった」と、ニュージーランドの高校の寮で用務員として働きながらラグビーに打ち込んだ。
日本では三洋電機(現パナソニック)にも所属しながら、ニュージーランド挑戦は2年にわたったが、結局、ニュージーランドの国内プロリーグとの契約はかなわなかった。ただ、武者修行の成果はすぐにプレーに表れて、トップリーグの活躍が認められて、2009年秋には日本代表初キャップを獲得。2010年度はトップリーグの年間MVPにも輝き、2011年W杯にも出場した。
だが2011年W杯で日本代表が0勝3敗1分と惨敗し、堀江は再び、海外挑戦を決める。ニュージーランドのオタゴ代表でSH田中史朗とともにプレーし、2013年からオーストラリアのレベルズと契約を勝ち取った。2014年には中軸として活躍し「やっとHOらしいプレーができるようになってきた」と成長を実感していた。
ラグビー漬けの生活をしていた堀江の身体に異変が現れる。左手の握力が10kgほどになってしまい、前回W杯の2015年に入るとすぐに首の手術を敢行。日本代表合宿でもリハビリを繰り返しながら、7月に戦列に復帰し、どうにか大会に間に合わせて日本代表の躍進に大きく貢献した。
前回のW杯後はピッチ外でも身体を張った。2016年からは、日本のスーパーラグビーチームのサンウルブズでもプレー。サンウルブズは当初、選手が集まらないかもしれないという危機的状況にあったが、堀江は「日本ラグビーのために」「スーパーラグビーの経験が絶対、役に立つから」と他の選手を説いて回った。サンウルブズの初代キャプテンを務め、2016年秋にジェイミー・ジョセフヘッドコーチが日本代表の指揮官に就任すると共同キャプテンのひとりにも選ばれた。
W杯まで1年となった2018年9月、パナソニックの一員として出場したトップリーグで右足に違和感を覚え、途中交替。「いつもの痛みじゃなかった」。右足甲の舟状骨の疲労骨折だった。
「最初は、手術はしたくなかった。人によって治り具合が違うみたいで。もう一度、(骨が)割れたら終わりなので……」。
本人が望んだ自然治癒はかなわず、昨年11月末に手術を決断、骨を削ってネジを入れたという。2015年から堀江が信頼を置く佐藤義人トレーナーの下で、リハビリを重ねて、3月末に半年ぶりに試合に復帰。W杯にむけて徐々に調子を上げていき、今回の高いパフォーマンスにつながったというわけだ。
そんな堀江が大事にしている言葉に「勇気なくして栄光なし」がある。
「いろんな分岐点に立ったときには、何か行動して一歩を踏み出さないと栄光をつかめない。失敗しようがしまいが何か行動しないと、栄光は見えない。失敗なのか、失敗じゃなかったのかは、その後の行動で決まる。自分が選ぶ道に後悔したくない。選んだ道に対して後悔しないように、いい行動や次につながることをしていきたい」
プロラグビー選手として「40歳まで現役でプレーしたい」言い続けている堀江は、個人の研鑽だけでなく、常に、広い視野に立ち、選手という立場から日本のラグビー界のことも考えて行動してきた。
「W杯でベスト8に進出して、ラグビー人気を後押しするようなことができれば」
その願望をかなえる戦いは、もうすぐ目の前に近づいている。
- 取材・文:斉藤健仁
スポーツライター