アジアを制した17歳の女子高生プロサーファー・松田詩野に密着
湘南が生んだサーフィン女子は東京五輪2020日本代表最有力候補
17歳の少女の快挙に世界中のサーフィンファンが心を奪われた。彼女の名は松田詩野(しの)。現役の女子高生サーファーだ。
’19年9月9日、宮崎県・木崎浜海岸で開催されたサーフィン世界選手権でアジア最高位に輝き、条件つきで東京五輪出場の内定を果たした。だが、後でインタビューに訪れた本誌記者が改めてお祝いを言うと、彼女は大人びた表情で大会を振り返った。
「アジア1位という最低限の結果は残したけど、世界大会でメダル獲得を狙っていたので、悔しかったです」
サーフィンの聖地、神奈川県茅ヶ崎市で生まれ育った松田は、両親の影響もあり6歳でサーフボードに触れた。
「サーフィンを続けて、いつか世界一のサーファーになりたいと、小さい頃から思っていました。世界に出ていくためにはプロにならなきゃいけない。14歳でプロに転身したのは、私の中では自然な選択です」
それから3年かけて、松田は着実に実績を積み重ねていった。プロになった’16年に全日本選手権で優勝。’18年にはジュニアの世界選手権で銀メダルを手にした。
「競技サーフィンは、自然との闘いです。いつ、イイ波が来るかわからない。だからどんな時も平常心でいて、波に備えている必要があるんです。自分で言うのも何ですが、常に冷静さを保てるところがサーファーとしての私の強みかな。普段の生活でも、割と淡々としているというか、客観的にみても『私、冷静だな』と思います(笑)」
’16年8月にサーフィンが初の五輪種目に決定してからというもの、松田はサーフィン三昧(ざんまい)の生活を送っている。日本の競技環境はまだまだ発展途上で、海外で過ごす時間も多くなるため、通信制高校に進学した。まだ17歳と遊びたい盛りの年頃だが、同世代の友人との学校生活への憧れはなかったのだろうか。
「中学時代は、友達と買い物に行きたい、買い食いしたい、そんな遊びたい気持ちがありました。でも、高校生になってからは夢がはっきりして、サーフィンに集中できる環境のほうが楽しくなってきた。
去年からは栄養士さんが作った食事を食べるようになり、試合へ向けた取り組みも一層本格的になりました。波がない日はジムでパーソナルトレーニングを受け、体幹を鍛えたりしています。世界に一歩ずつ近づいている感覚が楽しいです」
競技に対するこうした真摯な取り組みが、今年の飛躍に繋がっている。もっとも、話題がサーフィンから離れれば、女子高生らしい彼女の一面も垣間見えた。
「オフは基本、家でゴロゴロしたり、近所に買い物へ行ったりー。特に変わったことはしていないです。あ、でも今年に入って『ネットフリックス』に加入しました。『テラスハウス』と『ストレンジャー・シングス』が好きです。ドラマを観ている時間は、オフって感じがして落ち着きます(笑)」
と話しつつ、爆笑しはじめる松田。マネージャーによると、すぐ「ツボに入っちゃう」とのこと。箸が転んでもおかしい年頃なのだ。
女子サーフィン界で、松田たちの世代は黄金世代と呼ばれている。プロ最高峰の世界大会の予選シリーズで優勝した都筑有夢路(つづきあむろ)(18)、同じく予選で好成績を収めた脇田紗良(17)ら、未来のトップサーファーになる可能性を秘めた逸材が揃う。ほぼ同世代のライバル同士で切磋琢磨しているのだ。
「強い同世代がいて良かったです。もちろん負けたら悔しいですが、小さい頃から刺激しあった結果、ここまで来れました。あの子たちに負けたくない。そういう存在がいることで強くなれたと思うんです」
メディアからは”美女サーファー”と称されることもよくある。
「女性アスリートって、だいたい”美人”って冠につくじゃないですか。だから、自分が言われてもあまり気にならないです。とか言いながら、メディアとかでそう取り上げてもらうと、本当は少し嬉しいですけどね(笑)」
最後に、松田にプロサーファーとしての今後の展望を聞いた。
「サーフィンは、いかに深い集中に入れるかが大事です。私の場合、海に入る前にルーティンのストレッチをして、気持ちを落ち着かせます。海の中ではその試合の中で一番イイ波に乗って勝ちたい。イイ波に乗りきったあとの、『やりきった!』という感覚がたまらないんです。競技中も波に乗るのを楽しめていれば、調子も良くて勝ち上がれるんですよ。東京五輪に出場できたら、まずは競技を楽しむことに集中したいです」
弱冠17歳にしてアジアの頂点に立ったサーフィン少女。彼女の目は地元・湘南の海の先に広がる世界をまっすぐ見据えていた。
これが松田選手のスーパーライドだ!
『FRIDAY』2019年10月25日号より
- 撮影:小松寛之(1枚目、3~6枚目写真)