ラグビーW杯 泣き虫先生が語る平尾誠二の命日に開催される南ア戦 | FRIDAYデジタル

ラグビーW杯 泣き虫先生が語る平尾誠二の命日に開催される南ア戦

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平尾誠二氏の恩師であり、伏見工時代の指導がドラマ化された山口氏
平尾誠二氏の恩師であり、伏見工時代の指導がドラマ化された山口氏

愛称は「泣き虫先生」。

山口良治は名選手にして、名監督である。もちろん、教育者でもある。

フランカーとして日本代表のキャップ(協会が定める国際試合出場数)は13。

現代と比較すれば少なく感じるが、山口が代表だった1968年から1973年の6年間のキャップ対象試合は16。つまり、その間は桜のジャージーの中心にいたことになる。

京都市役所で現役引退後は、保健・体育教員として伏見工(現京都工学院)に赴任する。1974年だった。翌年、ラグビー部監督に就任。わずか6年でチームを高校日本一に導いた。

その第60回全国大会(1980年度)の決勝では試合終了間際、逆転トライを挙げ、大阪工大高(現常翔学園)を7-3と振り切る

山口は男泣きする。

主将として「司令塔」と呼ばれるスタンドオフをつとめていたのは平尾誠二だった。

その軌跡は、テレビドラマ『スクール★ウォーズ』となって全国津々浦々に喧伝された。直接、指導を受けた教え子たちからは、「オヤジ」と慕われている。伏見工を含めた京都工学院の全国大会優勝回数は4。これは歴代6位である。

76歳になった山口は総監督として、今でも京都工学院を支える。ラグビー界でも稀有なその存在が、日本開催のワールドカップに思いを込めた。

■ワールドカップは試合会場に足を運ばれましたか

ええ、3試合を見ました。開会式直後の日本×ロシア(9月20日・東京)、日本×アイルランド(9月28日・静岡)、フィジー×ジョージア(10月3日・大阪)です。やはり、すごい迫力でしたね。

■日本が予選リーグを4戦全勝(注1)で突破し、9回目のワールドカップで初めて8強(決勝トーナメント)に進出しました。しかもA組を1位で通過しました

よかったなあ、すごいなあ、と思いますよ。日本ラグビーの新しい歴史を切り開きましたね。あの大きな声援、レプリカジャージーを着たたくさんのファンを目の当りにした選手たちは勇気づけられましたね。大きな励ましをもらったに違いありません。

(注1)日本はロシアに30-10、アイルランドに19-12、サモアに38-19、スコットランドに28-21とする。

■日本代表が強くなった理由は

本大会まで、300日間近い代表合宿をしたと聞いています。そこまで徹底できれば強くなります。みんなが同じ方向を向きますしね。

■決勝トーナメントの初戦(準々決勝)はB組2位の南アフリカになりました(10月20日、19時15分キックオフ=東京スタジアム)

日本はパワーとパワーのぶつかり合いでは強豪チームにヒケを取らないくらいに成長しています。しかしながら、南アフリカは強敵です。私はこの大会のウォーミングアップゲーム(注2)を見ましたが、体は大きく、その力は強い。おそらく、日本戦ではその特徴を前面に出してくるでしょう。

日本としては前に出て、強いタックルを繰り返し、相手のミスを誘うべきです。綺麗なラグビーはいりません。粘り強く、泥臭くいく。そして、数少ないチャンスをものにする。ウイングの福岡君(堅樹)には世界にヒケを取らない決定力があります。そこに素早くボールを回したいですね。

日本に有利なのはホームアドバンテージがあること。会場の盛り上がりは選手に力を与えます。それは大きいと思いますね。

(注2)9月6日、日本は埼玉・熊谷でワールドカップ本番への最終戦と位置付けて南アフリカと対戦。7-41と大差で敗れた。

■南アフリカ戦の20日はくしくも教え子の平尾誠二さん(注3)の祥月命日になります。

平尾はどこからか見てくれているでしょう。そして、ベストエイトに進出したことを喜んでいるでしょう。ワールドカップを日本で開催するのは彼の夢でした。代表選手たちが、平尾のためにも頑張ろう、という気持ちを心の片隅にでも持って戦ってくれれば、うれしい限りですね。

(注3)神戸製鋼のゼネラルマネージャーだった平尾は、ワールドカップ組織委員会の総長特別補佐も兼務していた。

■代表メンバーの中には2人の伏見工OBがいますね。スクラムハーフの田中史朗(キヤノン)、スタンドオフの松田力也(パナソニック)です。

2人とはショートメールでやり取りをしています。予選リーグ最終戦のスコットランドとの試合直後には、「お疲れさん。よく頑張ったね」と送りました。2人からはすぐに、「ありがとうございました」という返信がありました。伏見を出た子たちが日本のために戦ってくれていることは誇らしいですね。

田中は途中出場になってもさばきのよさで流れを変えられる選手です。34歳という年齢から考えると、最後のワールドカップという感じが強い。悔いを残すことなく日々を過ごしてほしいと思います。

25歳の松田はピチピチしている(笑)。ゴールキックの精度も高いので、出場機会があれば、頑張ってもらいたいですね。

最終的にメンバーに入れなかった内田(啓介)もタスマンで自分を磨いています(注4)。まだ27歳。代表入りを諦めることなく、精進を重ねてほしいですね。

(注4)内田啓介はパナソニックのスクラムハーフ。日本代表キャップは22。代表メンバーから漏れた後、ニュージーランドのタスマンに渡り、国内選手権(マイター10カップ)を戦っている。トップリーグ開幕の来年1月までにはチームに戻る。

■予選リーグを見て、優勝候補は。

やはりニュージーランドでしょう。3連覇を狙うチームは隙がありません。選手ひとりひとりにプレー選択の創造性があって、ベテランと若手がかみ合っています。相手が力まかせに来ても、それをいなす技術もある。素晴らしいチームだと思います。日本が対戦するためには決勝まで行かなくてはなりませんが、そうなるように応援しています。

◆山口良治(やまぐち・よしはる) 1943年(昭和18)2月15日生まれの76歳。福井県美浜町出身。若狭農林(現若狭東)でラグビーを始め、日大から日体大に編入する。京都市役所でラグビーを続け、フランカーとして日本代表キャップ13を持つ。1974年、保健・体育教員として伏見工(現京都工学院)に赴任。翌年から監督就任。ラグビー部を全国屈指の強豪に育て上げる。第60回全国高校大会(1980年度)にはスタンドオフ・平尾誠二を擁して、初優勝した。京都市役所に戻った1998年から総監督をつとめる。チームの全国大会優勝4回は歴代6位の記録である。

  • 取材・写真・文鎮勝也

    (しずめかつや)1966年(昭和41)年生まれ。大阪府吹田市出身。スポーツライター。大阪府立摂津高校、立命館大学産業社会学部を卒業。デイリースポーツ、スポーツニッポン新聞社で整理、取材記者を経験する。スポーツ紙記者時代は主にアマ、プロ野球とラグビーを担当

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