平尾誠二が夢見たラグビーの「理想型」がいまの日本代表にはある

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平尾の命日に、南アフリカと決戦

いまから3年前の10月20日に天国へと旅立った平尾/写真:山田真市(アフロ)

快挙が蹉跌に光を当てる。ワールドカップにおける日本代表のヒストリーも例外ではない。2019年、とうとう8強入りを果たした。しかもプール組の1位通過で。すると1999年の失意がよみがえった。第4回のウェールズ大会。監督はあの人物であった。

敬称略を許してもらおう。平尾誠二。いまから3年前の10月20日(今回の準々決勝の南アフリカ戦と同日である)に雲の上へと向かう。1997年2月。34歳でジャパンの監督に就任した。いま思うと、大変な名誉であって、なお酷でもあるのだが、本格的な指導経験なしに頂点の指揮を託された。

ジャパンは第3回の南アフリカ大会でオールブラックスに17-145の惨敗を喫していた。ともに故人、宿澤広朗監督、平尾誠二主将で臨んだ第2回大会の健闘で「魅力に富んだ独自性」をせっかく評価されたのに、指導体制が替わると、パワーに偏る戦法や一貫性を欠くセレクションなど、海図なき航海へと戻ってしまう。専門誌の売り上げが大きく落ちるなどラグビー人気は低下した。

停滞を打破、なんとしても湿地帯を抜け出したい。そこで選手としてリーダーとして国内で勝ちまくったヒーローに「ジャパン再生」の声はかかった。京都・伏見工業高校で、国民的なテレビ番組『スクール☆ウォーズ』の題材ともなる全国制覇、同志社大学に進めば史上初の全国大学選手権V3を遂げ、神戸製鋼では7年連続日本一のまさに主役を務めた。19歳4カ月にしてジャパン入り、選手で3度のワールドカップを経験していた。文句なしの経歴だった。

初めから、勝つだけでなく日本のラグビーを変革する役を担った。後年、2015年の南アフリカ戦勝利から現在への流れによって、実は「強国からの勝利こそが本当の変革をもたらす」とわかるのだが、当時は、華のある才人が登場しないと、日本のラグビーがますますしょんぼりしてしまう、という危機感があった。

もっと個がたくましく。もっと個が判断をできるように

就任1年後、本稿筆者はインタビューした。若き日本代表監督はこう言い切った。

「個人の差を詰めて、ようやく、日本の形がどうだとか攻め方がどうだとか、という話が出てくる」

正直、時間切れになると思った。指導者が、目標との関係を熟慮、先に日本のスタイルを定め、そこから逆算して選手選考、戦法完遂のための体力やスキルを積み上げていく。「一般的な基本」ではなく「戦法に応じた基本」を身につける。これが挑む側(環境、選手層、体格、経験などで)にふさわしい手法ではないか。先に個人の差を詰める。戦法はその先に。それでは時間との勝負に負けてしまう。ウェールズ大会は全敗に終わった。

平尾監督の問題意識は正しい。「もっと個がたくましく。もっと個が判断をできるように」。そうでないと、どのみち通用しないのだから。そして、20年後、ジャパンの後進は「個人の差を詰める」鍛錬と「日本の形」の追求を同時進行させた。もちろんジェイミー・ジョセフHC(平尾ジャパンのナンバー8であった)の率いる代表である。

個がたくましく判断もできる。当たり負けず、押し負けず、それどころか押し込んで、駆け引きをしながら攻め守る。あのとき平尾誠二には見えていた景色のはずである。ファンに見せたかった景色でもある。

現在のジャパンには「日本の形。日本の攻め方」が厳然とある。あえてキックを多用して混沌(カオス)を演出、試合の途切れる時間をなるだけ減らす。あらかじめ混沌に備える体力、判断、意思伝達の能力を醸成してあるから、混沌は混乱とならず、ただ相手の混乱をもたらす。そうした構図を描き、3年を費やして磨いた。ひとつをきわめると応用も効く。アイルランド戦、スコットランド戦では、一転、キックをなるだけ用いず、ひたすら短いパスでアタックを仕掛けた。見事に「プランB」は機能する。ほとんど自由自在にも映った。「自由自在」。平尾誠二その人の墓碑銘である。

「個人の差を詰める」ことと「日本の形」は本当は両立した。しかし、あのころの環境では「個」を強調しないとメッセージとして弱いと考えたのかもしれない。エディー・ジョーンズだってジェイミー・ジョセフだってコーチを始めてほどない34歳であったらうまくできたかわからない。その声を聞けぬのが無念なのだが、いま、たとえば放送席で「解説の平尾さん」がジャパンの猛攻を凝視したなら「これや」とアナウンサーにふられる前につぶやくだろう。

  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『北風』(集英社文庫)、『序列を超えて』(鉄筆文庫)

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