鈴木大地が語る「開幕スタメン落ちと、一生忘れられない打席」 | FRIDAYデジタル

鈴木大地が語る「開幕スタメン落ちと、一生忘れられない打席」

FA取得で去就が注目される鈴木大地(千葉ロッテ)の独占インタビュー!

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開幕戦でスタメン落ちするなど、苦闘続きだったプロ8年目のシーズンを振り返る鈴木大地(千葉ロッテ)
開幕戦でスタメン落ちするなど、苦闘続きだったプロ8年目のシーズンを振り返る鈴木大地(千葉ロッテ)

たくさんの声が聞こえてきた。
ちびっこファンの黄色い声援から、オールドファンのしゃがれ声に至るまで。
この劣勢をなんとかしてほしい、頼むぞチームリーダー。そうした声が一体となって、ネクストサークルから打席に向かう彼の背中に降り注ぐ。2019年3月30日、ZOZOマリンスタジアムの東北楽天戦。7回裏、スコアは3対9と6点のビハインド。代打で登場した千葉ロッテ・鈴木大地は、この打席に向かう、この瞬間を生涯忘れることはないという。
それはなぜか? 時計は昨年(2018年)秋へと遡る。

プロ野球ファンの視線がクライマックスシリーズの一点に集中していたのと同じ頃、千葉ロッテはその年の全日程をひっそりと終了した。
それから間もなく、チームは秋季練習と秋季キャンプのメンバーを発表。参加免除の枠に入ったのは、福浦和也をはじめとするいわゆるベテラン組だが、プロ7年目にして初めて、鈴木大地もその枠の中に加わることになった。
「昨年の成績を考えたら、秋季キャンプには行くものだと思っていたんですけどね。免除されたということは、春季キャンプまでに相当な覚悟でやっておけと監督に言われたような気がしました」

2018年の成績は143試合にフル出場。打率.266、本塁打8、打点49。盗塁も過去最高の8個を決めるなど、傍目にはそこまで悲観する数字ではないように思える。
しかし、自他ともにリーダーとして認める鈴木の考えは違った。
「これは笑い話ですけど秋キャンプは正直きついですし、(若い頃は)早く免除にならないかなとか思っていたりもしたんです。だけど、初めてその立場になって、それも成績を残しての免除ではなくて、あまり成績を残していなかった年の免除だったので逆にすごくプレッシャーがかかりましたね」

‶ひとり″で迎えた初めてのオフは何かと不安ばかりが募った。
これまでの実績をいったん白紙にして「横一線」でのポジション争いをするという井口資仁監督の方針が、盛んに報じられた。さらに2年目の大砲候補・安田尚憲に期待する声や、北海道日本ハムでプレーした4年間で131本の本塁打を放つなど日本での実績もあるブランドン・レアードの補強など、鈴木の立場を脅かすニュースがほぼ毎日のように耳に入ってきた。
「安田やレアードは、僕のポジション(2018年は主にサード)と丸かぶりでしたし、さらにバルガスが来たり、ファーストには井上晴哉もいる。毎年、レギュラーを確約されているわけではないとは思ってやっていましたけど、より一層厳しいシーズンになるなと覚悟を持ってスタートしました」

自主トレも、キャンプインからの激しいポジション争いを見据え、例年と内容を変えてみることにした。
「練習量自体は過去と変わらないですけど、2月1日から紅白戦をやると言われていたので、『よーいドンで結果を残す準備を』と考えました。本体が鴨川キャンプに行っている間も、昼間は(体のケアなど)他の用事を済ませて、夜8時とか9時くらいからここ(ZOZOマリン)に来て、ウエイトトレーニングやランニングしたり、ブルペンにある(バッティング)マシンでガンガン打ったりもしていました。キャッチボールはさすがに相手がいないので、落ちているボールを拾ってネットスローをしたり。例年なら11月から12月の頭くらいまではボールを使う練習はしないんですけど、なるべくボールから離れないようにと。それだけオフの内容が変わりましたね」

それでも彼の心の中では何度も不安がよぎったという。
「『よし、やってやるぞ!』という気持ちと『もしかしたらレギュラーを奪われてこのまま終わってしまうんじゃないか』って不安が、いろんなタイミングで訪れるんです。昨年でいえば連続試合出場も続いていたので、『いつか途切れてしまうのかな』とか」
そうした複雑な想いを何度もかき消しながら自主トレは終了。2月1日のキャンプインを迎えた鈴木だが、オープン戦終盤の不振がたたって、開幕戦はスタメン落ちすることになる。

「開幕前に3日間練習があって、その1日目の練習前に監督室に呼ばれたんです。『開幕戦は頭からはないよ』と。たぶん気を遣っていただいてそのタイミングで言ってもらえたんだと思います。それでも、試合中はいつでも行けるようにと準備もしていたんですけど・・・」
結局、開幕戦で鈴木の名前は最後まで呼ばれなかった。

試合が終わり、ロッカーに戻るとチームメイト達が傷心の鈴木に気を遣って様々な声をかけてきた。
「また明日もあるから」
「あと142試合もあるよ」
だが、そうした声を鈴木は素直に受け取ることができなかった。

「そのときは悔しすぎて、逆に話しかけてほしくない気分だったので、逃げ込むように室内練習場に行って、とにかく打ち込んでいました」
2015年のシーズン途中から続けてきた連続試合出場もこの日「532」で途切れた。数字自体は阪神・鳥谷敬の「1939」に遥かおよばないと鈴木自身も言う。だが、鈴木なりのこだわりを持っていた連続試合出場が、シーズンのまさか最初の試合で途切れるなんて、さすがに想像もできなかった。

鈴木にとって、プロとして、1軍の選手はこうあるべきだと方向性を定めた試合がある。
プロ2年目の2013年8月7日の福岡Yahoo!ドーム(当時)、福岡ソフトバンク戦だった。6回表、1点リードされた場面で打席に入った鈴木は、森福允彦が投げたインサイド高めのストレートを左腕に当て、肘を押さえ、体を「く」の字にしながら悶絶した。
「そのときはもう腕がパンパンに腫れて。試合も6回だったのでその試合はなんとか終えることができたんですけど、明日以降の出場は無理だなと。それくらい腫れ過ぎていたので。でも、当時の内野守備走塁コーチだった佐藤兼伊知さんとトレーニングコーチだった大迫幸一さんが『出ろ』と。『痛くてもなんでもとにかく出ろ』と言って、僕も『頑張ります』みたいな感じで返したんですけど、そこからもう1ヵ月くらいは痛すぎて。でも、試合にはなぜか出続けることができたんですよね。さすがにトレーナーがストップをかけたら無理だとは思いますけど、ストップをかけられない限りは試合に出続けようと思った出来事でした」

そういう想いで必死につないできた連続試合出場が、こういう形で途切れてしまう。
気持ちの整理がつかないのも無理はなかった。

しかし試合後、室内練習場に残り、誰もいなくなるまでマシンを相手に打ち込むと、自然と気持ちが落ち着いてきた。
「打ち終わって帰りの車に乗ったくらいですかね、『あと142試合残っているんだ。なんとか巻き返してやろう』と切り替えられたのは。だけどあのときは本当に悔しくて」

翌日の開幕第2戦も、鈴木の名前はスタメンから外れていた。
「どんなことが起きても後悔だけはしないように、一年間終わったときに最高だったと思える年にするという想いだけでした。正直へこたれそうなときもなかったわけではないですけど、そこでへこたれたり心が折れたりしたら、一瞬で(キャリアが)終わるんだと自分に言い聞かせていたので。なんとかこの状況でできることを悪あがきしてやろうと」

そんな中で迎えたのが、冒頭の場面である。
あの打席、あの瞬間を思い出すと、今でも鈴木は感傷的な気分になる。
「あの瞬間を、う~ん、なんて言ったら良いんですかね。とにかくすごかったです。本当にいろんな声が聞こえてきて『頑張れ』とか、名前を呼んでくれたりとか。コールされる前から打席に入るところまで本当に嬉しかったですし、泣きそうでしたもん。もちろん泣いちゃいけないんですけど、それくらい背中を押されました。結果はレフト前ヒットでしたけど、打っても打たなくても、今までの人生の中で一番の打席でしたね。一生忘れることは絶対にない打席になったし、それくらい感謝しています。あの打席が僕の中ではすごく大きな、今年の僕の背中を押し続けてくれた原動力になりました」

そうして始まった2019年シーズン。鈴木は確固とした定位置を確保することはできなかったが、ファースト、セカンド、サード、ときには入団時以来のショートや、中学生以来というプロでは初めての外野も任されるなどして140試合に出場。614回打席に入った。
最終成績は打率.288、本塁打15、打点68とそのいずれもがキャリアハイ。
鈴木が言う。
「一年間しっかり前を向いて、ブレずに駆け抜けられたのかなと思います」

今年4月12日、鈴木は出場選手登録が7年に達したことで国内FA権を取得した。
そんな中、鈴木は残りの野球人生について、こんな言葉を残す。
「何歳までやりたいと考えていても、そのとおりになる世界じゃありませんから。携わってくれた人の想い、自分の想い、家族の想いをしっかり感じながら一日、一試合、ワンプレー、そして一年をしっかり大切にしてやりたいなと。一歩、一歩、今は見えないゴールに向かって」
その言葉のひとつひとつを噛みしめるように言った。
「残留」か、それとも「移籍」か。
このオフの去就が最も注目されている男は、通算1000本安打まであと一本に迫っていることを最後の質問として振ると、少し照れくさそうにしてこう言った。
「一本だけ残しているのって、本当に情けないですよね(笑)。ただ、数字的な目標を作ると、正直そこに固執してしまう自分がいて。そこに固執しないように、今できることを一歩、一歩しっかり積み重ねて、一年でも長く、もちろん一試合でも多く、一本でも多く、自分の中での感動を味わえたらいいですね」
そのとき、彼はいつもの屈託ない笑みを浮かべていた。

 

  • 取材・文・撮影永田遼太郎

    スポーツライター 1972年 茨城県出身 雑誌編集を経て、05年からフリーとして活動を開始。現在は文藝春秋「Number web」、集英社「web Sportiva」などスポーツ系Webサイトを中心に寄稿。

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