ラグビーW杯 日本の快進撃を止めた南ア「美髪」選手の強さの秘訣 | FRIDAYデジタル

ラグビーW杯 日本の快進撃を止めた南ア「美髪」選手の強さの秘訣

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日本戦で一番目立っていた南アフリカのファフ・デクラーク。ブロンド長髪がトレードマークだ/写真 アフロ
日本戦で一番目立っていた南アフリカのファフ・デクラーク。ブロンド長髪がトレードマークだ/写真 アフロ

南アフリカを牽引する「9番」ファフ・デクラーク

また9番だ。あのブロンド長髪の選手、どうにかならないものか。

10月20日、ラグビーワールドカップ準々決勝の南アフリカ戦。ジャパンの心打つ奮闘に懸命の声援を送りながら、そんな思いで奥歯を噛みしめた日本のファンはきっと多かったはずだ。

フランソワ(ファフ)・デクラーク。負ければ終わりの決戦にあって、際立つパフォーマンスを発揮してサクラの戦士たちの前に立ちはだかったのが、“ファフ”の愛称で知られるこのスクラムハーフ(SH)だった。

あふれんばかりの気迫で仲間を鼓舞しながら、沈着冷静にゲームの流れを読みきり、正確な判断と精緻なスキルで相手の急所を鋭くえぐる。ブロンドの長髪をなびかせた、いかにも勝ち気そうな風貌は、“ジャパンの快進撃を止めた男”として長く記憶されるだろう。

公称172cm、88kgのコンパクトな体格は、世界随一のサイズを誇るスプリングボクス(南アフリカ代表)ではひと際小柄に映る。しかしプレー中の存在感なら特大だ。

エネルギッシュにフィールドを駆け回って軽快なテンポでパスをさばき、ピンポイントのキックで巧みに味方を前進させる。タックルも勇敢で強靭。日本戦では消耗で足が止まり始めた終盤、猛獣使いのごとく強力FWを操って、必死にこらえるジャパンの防御をついに打ち砕き、勝負を決めるトライも奪ってみせた。文句なしのプレーヤー・オブ・ザ・マッチの活躍だった。

スポーツ一家に育ち、趣味はハンティング

デクラークは南アフリカの首都プレトリアから東に300kmほど、世界一の動物保護区であるクルーガー国立公園にほど近い人口20万強の「ネルスプロイト」という街で生まれた。

父は軍や地元のクラブチームで40歳までプレーしたラグビー選手、母はホッケー選手というスポーツ一家で育ち、幼い頃から陸上や体操などさまざまな競技を経験。なかでも最も熱中したのがクリケットだった。

体格差をものともしない勇猛さはラグビーを始めた頃から抜き出ており、高校時代は小柄な選手が務めることの多いSHだけでなく司令塔的ポジションでもあるスタンドオフ(SO)でもプレー。そこで身につけた正確なキックとゲームコントロール力は、SH専門になった現在でも大きな武器となっている。

ちなみにトレードマークの長髪も幼少期からで、イギリスのデイリー・メール紙のインタビューに対し「幼い時は小さな女の子のように見えたと思う」と語っている。

高校卒業後は若手育成機関を経て、地元のムピュマランガ・ピューマズでプロ選手としてキャリアを重ね、2014年に22歳にして「ライオンズ」で南半球最高峰のクラブリーグ、スーパーラグビーでのデビューを果たす。2016年には主軸選手として、チームをスーパーラグビー準優勝に牽引。同年6月のアイルランド戦で、南アフリカ代表にも初選出された。

そんな彼の少年時代の楽しみは、兄弟で森へ分け入り、弓矢で野生の鹿などを狩ることだった。今でも故郷に帰ると、いつもハンティングに行きたくなるという。

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A little throwback

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獲物を追い込み、仕留める経験を通して培われたハンターのセンスは、グラウンド上でも絶大な武器となっている。ピッチのあらゆる場所にアンテナを張り、相手にプレッシャーをかけ続け、集中力が途切れた瞬間に要所を射抜く。その脅威は、先日の日本戦を見ていた人なら分かるだろう。

一方、グラウンドを出れば優しい顔も覗かせる。自身のインスタグラムには、たびたび恋人ミーネさんとの仲睦まじいツーショット写真がアップされている。彼女も美しいブロンドヘアの持ち主だ。

屈強な選手が多い南アフリカで輝ける理由

日本戦では自らトライもとって見せたファフ・デクラーク
日本戦では自らトライもとって見せたファフ・デクラーク

では、小柄なデクラークがフィジカル大国とよばれる南アフリカで活躍できるのはなぜなのか。

デクラークが代表に選出された2016年当時、スプリングボクスはニュージーランドに大敗を喫するなど深刻な低迷期にあった。そうしたなか、デクラークは2017年に南アフリカを飛び出し、イングランドの強豪セール・シャークスと3年契約を結ぶ。当時の南アフリカ代表監督だったアリスター・クッツェーに対する不信感や、南アフリカ時代とは比べものにならないほど高額な年俸が移籍の理由として噂されたが、結果的にはこれが、さらなる飛躍を遂げる呼び水となった。

思い切りよく攻め合う積極性が南半球のラグビーの魅力であるのに対し、ヨーロッパのラグビーは陣地を進めるキックと堅固な防御を軸にした守備的な戦い方が主流となっている。

主導権を握るためのゲームコントロールとFW戦を何より重視するイングランドでのプレー経験は、それまで強気の仕掛け一辺倒だったデクラークが老練な試合運びを身につける絶好の機会となった。後に本人も、「南アフリカ時代に比べて選手としての幅が広がったと思う」とコメントしている。

ひとたび風向きが変われば、運も味方するのだろう。2017年は代表メンバーから外れたデクラークだったが、2018年2月にクッツェー監督が成績不振から辞任し、知将といわれるラシー・エラスマスが任を引き継ぐと、スプリングボクスに復帰。ただちに先発に固定され、イングランドに連勝、4年ぶりにニュージーランドを破るなど、南アフリカ代表を蘇らせた。

目を見張る活躍ぶりから、デクラークは5人しかいない2018年シーズンの世界最優秀選手候補にもノミネートされた。ちなみに他の候補者は、ボーデン・バレット(ニュージーランド)、リーコ・イオアネ(ニュージーランド)、マルコム・マークス(南アフリカ)、ジョナサン・セクストン(アイルランド)とそうそうたるメンバーだ。

準々決勝でトイメンとして対峙した日本代表のSH流大も、自身のSNSで「彼のように相手にとって嫌がられるプレーヤーにならないといけないと痛感しました」と賛辞を送っている。

世界最高とも評される激しいコンタクトでジャパンを押し切った南アフリカだが、その中心には“小さな巨人”の存在があった。3大会ぶりのW杯制覇を目指すスプリングボクスは、本日27日ウェールズと対峙する。

  • 取材・文直江光信

    1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)

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