トライアスロン・上田藍 4大会連続五輪出場を狙う女王の肉体
35歳アスリートの"鉄人ぶり"をフォトルポルタージュ
「中学は水泳部、高校では陸上部だったのですが、高校2年生の時、父の友人から”泳げて走れるなら、あとは自転車に乗れればトライアスロンができるやんか”と焚きつけられて。高3の時に腕試しで出場した小さな大会でいきなり優勝して、これだ! と思ったんです」
北京、ロンドン、リオと3大会連続で日本代表となり、次の東京五輪代表も目指す上田藍(35)。彼女は、まさに日本トライアスロン界の女王と言える存在だ。
「高校を卒業して京都の実家から千葉に移り、トライアスロンクラブの受付で働きました。当初の時給は720円。7年計画で北京五輪を目指すという目標がありましたから辛くはなかったですね。
計画を達成して北京五輪に出られたのが24歳の時。今、お台場の水質が問題になっていますが、北京の時も水に飛び込んだら藻が生えていて魚も泳いでいましたよ(笑)。そこを魚と一緒に夢中になって泳ぎました。私の必勝パターンはスイムで遅れず、バイクで追いつき、ランで勝負するというスタイルなんですが、初めての五輪では冷静になれなかった。ランまで足が残っていませんでしたね」
北京、ロンドンと経験を重ね、前回のリオ五輪ではメダル射程圏内と言われた。だが、結果は39位。
「人前で涙を流したのは、あの時が初めてでした。すこしずつ世界ランクも上がり、”勝てる選手”のゾーンに足を踏み入れたと感じていたのに……。ただ、リオの1ヵ月後、世界トライアスロンシリーズのグランドファイナルで自己最高の世界ランク3位になり、自分のやってきたことは間違いじゃなかった、と、今度は嬉し泣きをしました。それでも五輪の悔しさは五輪でしか晴らせません」
“4度目の正直”にむけて練習を重ねる上田選手を、今年3月、アクシデントが襲った。アブダビでのレースでバイクから落車し、重傷を負ったのだ。
「左肺がしぼんでしまい、救急搬送された病院で肺気胸の手術を受けました。左の脇腹にチューブを入れて膨らませ、容態が安定した後チューブを抜いたのですが、その部分の筋肉が癒着してしまって、伸び縮みしない。そんな状態でトレーニングを再開したので、スイムで蹴伸びをするだけで痛かったですね」
しかも、7月には左足底の腱膜を断裂。東京五輪の選考レースの一つだった大会を欠場せざるをえなくなった。
「大丈夫、来年3月の選考レースに間に合いますから。むしろ自分のフィジカルの強さに頼って、崩れたフォームで走っていたのがわかりました。これでも私は他の選手と比べてケガが少ないほうなんですが、負傷する時は派手なケガが多くて(笑)。でも、大きなケガから復活した時に、一段と気持ちが強くなります。何があっても乗り越えられる、という自分を信じる強さを磨き上げてきました。
今年1月には5000mのランで自己ベストを更新しましたし、まだまだ私は伸びるという手応えを感じています。目指すは東京五輪の表彰台です」
『FRIDAY』2019年11月8日号より
- 撮影:濱﨑慎治