元厚生次官を連続襲撃 異常な憎悪を抱き続けた殺人犯の半生

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第30回

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元厚生事務次官やその妻が連続で襲撃されるという事件が起きたのは2008年11月。犯人はみずから出頭して逮捕されたが、逮捕前に報道各社にメールを送りつけるなどその犯行の特異性が際立っていた。犯人がなぜ事務次官を襲撃したのか、ノンフィクションライター小野一光氏が、事件の背景をレポートする。

取り調べを受けていた麹町署から警視庁に移送される小泉。顔を伏せることもなかった

〈今回の決起は年金テロではない! 今回の決起は34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである!(中略)やつらは今も毎年、何の罪も無い50万頭ものペットを殺し続けている〉

報道機関に対して、こうした書き出しで始まるメールを送りつけ、直後の2008年11月22日に警視庁に出頭し、逮捕された埼玉県さいたま市の無職・小泉毅(逮捕時46)。彼はその5日前の11月17日に元厚生事務次官(旧称、以下同)のAさん(当時66)と妻のB子さん(当時61)を刃物で刺殺し、翌18日には、やはり元厚生事務次官であるCさん(当時76)の妻・D子さん(当時72)を刃物で襲い、重傷を負わせていた。

小泉が出頭時に乗りつけた軽自動車はレンタカーで、車内には犯行に使われた柳葉包丁や血痕の付着した手袋などが残されており、DNA鑑定の結果、死傷した3人の被害者のものと一致した。

厚生労働省の元次官宅を狙い、連続して襲撃するという異常な犯行の動機は、これもまた異常なものだった。警視庁担当記者は語る。

「逮捕された小泉は取り調べに『自分はチロの仇を討つために生きてきた』という供述を繰り返しています。小泉は少年時代に飼っていた愛犬・チロを、1974年に保健所で殺処分されたことに恨みを抱き、34年の長きにわたって厚生次官襲撃計画を抱き続けていたというのです。彼は当初、大臣を殺そうと考えていたそうですが、『大学などで勉強しているうちに、この国は官僚が動かしているとわかった。官僚のトップは次官なので狙った』と話し、『これは決起であり、悔いはない』と嘯いているそうです」

山口県柳井市で生まれた小泉は、高校卒業後に国立の佐賀大学理工学部に入学するが、2年になってから留年を繰り返すようになり、中退している。その後、神奈川県横浜市にあるコンピュータソフト関連の会社に勤めるが、この時期から近隣住民とのトラブルを起こすようになっていた。彼が住んでいたアパートの管理会社社員は言う。

「住んでいたアパートの前に寺があるんですが、『寺の鐘がうるさい』と言って、怒鳴り込んでいたことがありました」

結局、小泉は同ソフト関連会社を3年で退職し、94年3月から実家の両親のコネを使い、広島県広島市にある食品卸売会社に転職する。同社の関係者は彼が就職に至る経緯について説明する。

「小泉がやっていたのはアイスクリームのルート営業です。これは担当地域を持って一人でトラックを運転し、店舗に納品する仕事。通常ですと見習いから経験を積んで、面接を経て社員になるケースがほとんどなのですが、彼の場合、実家がアイスクリーム問屋をやっている関係で、親の紹介を受けて見習い期間や面接を経ずに、すんなり中途採用という形で社員になりました。そういう経緯で社員になった人はほとんどいません。親としても実家を継ぐために当社で勉強してこい、という気持ちだったんだと思います」

この仕事で転居することになった小泉は、以前にも増して、近隣住民とのトラブルをエスカレートさせていた。同じアパートの隣室にいた住民は証言する。

「小泉がここを出て行ったのは95年の3月でしたが、近隣に文句をつけ始めたのは、出て行く半年前からです。だいたい私が仕事を終えて部屋に帰ってくるのが午後7時過ぎなんですが、それから始まり、遅いときは深夜2~3時ごろまでありました。内容は、私が家に帰ってテレビをつけたり、あと電話で話したり、友達が来て話したりすると、壁をガンガン何度も殴ってくるというもの。コンコンではなく、ガンガンというような激しいものでした。また、チャイムをしつこく鳴らすこともありました。たいていはその繰り返しで、なにか言葉で言ってくるということはほとんどありません。そのたびに私はドキドキしましたけど、大家さんに訴えることはしませんでした。ただ、そろそろ我慢の限界となり、大家さんに言おうと思った矢先に、向こうが出て行ったんです。なんでも、小泉の部屋を挟んで私の部屋の反対側に女子大生が住んでいたんですが、彼女に対して刃物をちらつかせたみたいで、それを聞いた大家さんが退去を命じたとのことでした」

部屋を追い出されたことをきっかけに、小泉は同社の山口営業所に転勤となる。だが、同年9月末に、彼は”ある出来事”をきっかけに退職するのだ。当時の同僚は私の取材に対して以下のように答えている。

「山口営業所時代に、駐車違反のお金を払わんちゅうて、営業所と揉めちょったみたい。結局、交通刑務所に入るようになってしもうて、それで実質クビになったようなもんよ。いまから思えば、あの頃から警察とか役所とかが嫌いやったんかもしれんねえ。普通やったら、払わんな捕まるいうことになったら、反則金くらいは払うじゃろうもん」

やがて、犯行時に住んでいた埼玉県さいたま市のアパートに小泉が引っ越してきたのは98年8月のこと。この頃から実家とは音信不通になるが、近隣とのトラブルは相変わらずだった。アパートの2階から住民にそうめんの食べかすを投げつけたり、新聞販売員の集金に対して「(購読料は)払わない」と声を荒げる姿が目撃されている。また、近隣住民とのトラブルに収まらず、05年にはタクシー会社を相手に”当たり屋騒動”まで起こしていた。同社の関係者は話す。

「12月のことでしたが、横断歩道を渡り終えた小泉は、停車していたうちの車のフェンダーミラーを折り曲げながら、『いま、当たったろ』とわめき始めたのです。運転手は即座に否定したんですが、『3000円を払って土下座しろ』と主張しました。結局、この件は人身事故扱いとなり、損害保険会社から治療費が支払われています。しかも、それ以降も毎日のように会社に電話をしてきて、乗車料金をこちらの負担にして病院に通っていました」

その直前に小泉は、東京都内のコンピュータ関連会社を「仕事ができない」との理由でクビになっており、以降は定職に就いていない状態だった。そうしたことから、逮捕後の家宅捜索の際に自宅から押収された預金通帳の残高は数千円で、数社の消費者金融からの借入額は数百万円に及んでいた。前出の記者は捜査員への取材で次の言葉を耳にしている。

「ある捜査員は『本人は仇討ちなんて言っているが、借金に困ってヤケクソになっただけじゃないか』と漏らしていました」

のちに開かれた裁判で、小泉は「愛犬の殺害をした厚生省(当時)幹部は魔物であり、殺害をすることは正当である」と無罪を主張したが、10年3月にさいたま地裁は死刑判決を下し、翌11年12月に東京高裁も控訴を棄却。14年6月に最高裁が上告を棄却したことで、死刑判決が確定した。

いつもカーテンが閉まったままだったという小泉の自宅
  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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