ラグビーW杯 南アフリカ3度目の優勝その強さの背景にある多様性 | FRIDAYデジタル

ラグビーW杯 南アフリカ3度目の優勝その強さの背景にある多様性

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閉会式。紙テープが舞う。初の黒人主将として注目されてきたフランカーのシヤ・コリシが、金色のウェブ・エリスカップを掲げる。

左プロップのテンダイ・ムタワリラらが飛び跳ねてダンスを踊るなか、カップは色白で長髪のスクラムハーフ、ファフ・デクラークのもとへ渡る。まもなく脇のスペースでの写真撮影に移り、互いにシャンパンをかけあう。4年に1度のワールドカップ(W杯)日本大会で優勝したのは、多民族国家の南アフリカ代表だった。

2019年11月2日、神奈川・横浜国際総合競技場でのファイナルで、イングランド代表を32―12で制した。3大会ぶり3度目の栄冠を掴んだ。フランス大会(2007年)での優勝シーンを「家にテレビがなかったので近所の飲食店で見た」というコリシは、涙を枯らしてから言った。

「チームメイトの嬉しそうな顔を見たことが、自分の人生でベストの出来事でした」

ラグビーでは背の高い人、身体のがっしりした人、足の速い人、器用な人と、様々な個性を持った選手がそれぞれの個性を発揮し、互いの弱みを補完し合う。

各チームにどんな選手が多いのかは、その組織の方向性や特徴による。南アフリカ代表は比較的パワー勝負が注目されるチームで、決勝でもスクラムでの優勢が光った。ただ、メンバー全体を見渡せば、実にラグビーらしさのあるチームだとわかる。

まず身体をぶつけ合うフォワードの位置では、縦にも横にも大きなタフガイがずらり。決勝に登録されたフォワード14名中4名が身長2メートル超と大きい。なかでもフランカーのピーター・ステフ・デュトイは、掴み上げたり、腰元に刺さったりと多彩なタックルを披露。ワールドラグビーが選ぶ今年の最優秀選手賞にノミネートしている。

フォワードでは「ボムスコッド」も目立つ。「爆弾処理班」を意味するこの単語は、途中出場するベンチメンバーの呼称。ボクスは今大会の途中から、「ボム」にフォワードを通常より1名多く配置し始める。強みの最大化を図った。特にスクラム最前列のポジションにあっては、フッカーのマルコム・マークスら機動力とパンチ力のあるレギュラー候補をあえて「ボム」に回す。

準々決勝では初の8強入りした日本代表を倒していたが、この時も「ボムスコッド」が光っていた。決勝戦でパワフルなスクラムを組んだムタワリラは、こう話した。

「先発できるレベルの選手がベンチにいて、後半から出てきてエネルギーを持ってプレーしてくれる。スターターにとっても、リザーブにとってもよいことだと思います」

かたやボールを回すバックスでは、身長170センチと世界的にも小柄なチェスリン・コルビがウイングに位置。飛び上がるタイミングの妙で大男に空中で競り勝てるうえ、タッチライン際のわずかなスペースも持ち前の加速力でぶち破れる。ファイナルでも後半33分にダメ押しとなるトライをマークしていた。スクラムハーフのファフ・デクラークも身長172センチながらラン、パス、キックに加え、勇敢な防御でも光る。

フォワードの「ボムスコッド」の一員でもある191センチのフランソワ・ロウは、小さなデクラークを「防御のサポートライン(危機察知のカバーのことか)は独特。メンタルも強く、チームに重要な選手」と評する。一方でデクラークも、ロックで身長203センチのエベン・エツベスを「サイズがあるだけでなくフィジカルが強く、仕事量が多い。常にそばにいて欲しい選手です」と太鼓判を押す。

相互理解がにじむ組織を束ねるのは、ラシー・エラスムス監督だ。2018年3月に就任し、防御練習を重視しながらチーム内の規律を強化。代表活動期間外も、選手個々のトレーニングメニューを組んで成長を促してきた。内部情報によれば、今大会のチームは「ヘッドコーチを中心にいつも笑顔。本当に雰囲気がいい」とのことだ。

さらにロウは、自分たちの存在意義についてこう話していた。

「南アフリカ人でなければ理解は難しいと思いますが、母国では個々の難しい課題を抱えている方がいます。だから私たちは、彼らにとってのホープのような存在になりたい。国民の皆様には、我々のプレーを見て国に誇りを感じて欲しい。私はそれぞれが抱えるチャレンジに対し、少しでも違いを与えていきたい」

南アフリカは通称『レインボーネーション』。多くの民族が混在し、11もの公用語がある。黒人を差別する人種隔離政策が解除されたのは1994年だが、いまでも世帯ごとの経済格差は顕著のようだ。東洋人の乗るタクシーには子どもたちが群がり、夜間の大型車線には施しを求めると見られる市民がぽつり、ぽつりと立つ。

ムズワンディル・スティックバックスコーチによれば、ウイングのマカゾレ・マピンピは東ケープの貧困にあえぐ農村地帯出身。学校ではラグビーボールを蹴るのが禁止されたていたという。そのまま誰かに持っていかれないためである。決勝戦後のミックスゾーンでも、「国に色々な問題があるなか、ラグビーが国に与える影響が大きい」という趣旨の談話がいくつも集まった。

決勝の前日、コリシは言った。

「結び付けば、大きなことを生み出す。それを世界に見せたいんです」

ファイナル。マピンピは後半23分、敵陣10メートルエリア左で味方のキックを好キャッチ。サポートを受けて自軍スクラムを獲得する。続く25分には、カウンターアタックを仕掛けながらのキックと、それを捕った味方への援護を披露。チームにとってW杯決勝戦初となる、劇的なトライを決めた。

そのマピンピへ鋭いキックを託していたのは、スタンドオフのハンドレ・ポラード。西ケープ州出身のスマートな司令塔だ。この日は8本のゴールキックを決めるなどし、大会得点王に輝いた。時間をかけて醸成した仲間との信頼関係を、かねてこう誇っていた。

「チームには色々なバックグラウンドの人が集まっていますが、我々は一緒に過ごしている時間も長い。背景は違っても、仲間であることは変わりない。この人たちをリードするのは簡単ですよ。それぞれに自分の仕事をしてもらって、自分の能力を最大限に発揮してもらうだけです」

初めてのアジア開催となった今度のワールドカップ。頂点に立ったのは、選手のプレースタイルどころか背景までもが彩りにあふれる強豪国だった。グラウンドには、今回が初の海外旅行だったというコリシの父も駆けつけていた。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター。1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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