大阪女児虐待・死体遺棄事件 実母と内縁の夫の信じられない行状 | FRIDAYデジタル

大阪女児虐待・死体遺棄事件 実母と内縁の夫の信じられない行状

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第31回

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児童の虐待死、衰弱死は後を絶たないが、2009年に大阪市で発生した事件は、とても痛ましいものだった。実母と内縁の夫が逮捕されたのだが、事件を露呈させないため、偽装工作を謀るなど悪質さが目立った。ノンフィクションライター小野一光氏が事件の背景に迫る。

2009年4月23日、大阪府大阪市で小学4年生の女児が、実母とその内縁の夫に虐待され続けた末、衰弱死するという痛ましい事件が発覚した。取材に向かった私に、大阪府警担当記者は説明する。

「母親のA子(当時34)と内縁の夫である小林康浩(当時38)は、08年11月から同居を始めたのですが、それから間もなくA子の連れ子だったB子ちゃん(死亡時9)への虐待が始まったようです。B子ちゃんが死亡したのは4月5日の午後3時頃。翌6日になってその遺体を、小林は知人のC(当時41)とふたりで奈良県奈良市にある墓地に運び、深さ約70㎝の穴を掘って遺棄しています。さらに7日には、『B子がいなくなった』とA子が家出人捜索願を所轄署に提出するなど、偽装工作を謀っていました。B子ちゃんの家出に疑問を抱いた大阪府警が、周辺への聞き込みによって虐待の事実をつかみ、23日の朝から自宅の家宅捜索をするなどして、死体遺棄容疑で彼らを逮捕しました」

死体遺棄は小林が提案し、勤務先の同僚であるCを呼び出して手伝わせていた。小林らとともに逮捕されたCは、取り調べのなかで、「小林を暴力団関係者だと思い込み、仕返しを恐れて遺棄を手伝った」と供述していたことが、後に判明している。また、現場の周辺を取材すると、B子ちゃんの遺体を遺棄した翌日に、小林の連れ子である長男(当時6)の小学校の入学式に小林とA子は出席しており、後にふたりが、笑顔をまじえて食事をする姿の目撃証言なども出てきている。

B子ちゃんは5歳のときに大阪市内の芸能事務所に所属し、06年には新歌舞伎座で行われた舞台公演に、主役の長女役で出演するなどしていた。しかし07年4月、同事務所にレッスンの休み届けを出して以降、芸能活動を行うことはなかった。

当時、夫と開業したお好み焼き店がうまくいかず、生活が困窮したことから、ファミリーレストランでのアルバイトや、大阪・北新地でホステスをやっていたA子は、飲食店で出会った小林と同居することになり、夫と離婚。母親が好きなB子ちゃんは、A子のもとにいることを選択した。しかしその選択によって、運命が暗転してしまったのである。

この事件については、時間の経過とともに、正視に耐えない犯行内容が漏れ伝わってきた。前出の記者は言う。

「B子ちゃんには双子の妹がいて、最初は一緒に暮らしていたのですが、小林に殴られるということで、09年1月に実父の元に引き取られていました。ひとり残ったB子ちゃんに対しても、小林は日常的に暴力を振るっていましたが、3月10日頃、漢字ドリルを言いつけ通りにやらなかったことをきっかけに、虐待が一気にエスカレートしたようです。小林とA子はB子ちゃんに1日1個のおにぎり、もしくはバナナ1本しか食べさせなかったり、寒いベランダに締め出すようになりました。さらに小林はB子ちゃんの頭を木製のまな板で殴ったり、髪の毛が抜けるほど強く引っ張ったりしていたことが、明らかになっています」

B子ちゃんは徐々に衰弱していったが、ふたりは構わずに放置し、小林の長男とともに、3人だけで食事に行くなどしている。さらにB子ちゃんが死亡する2週間前からは、彼女を布団で寝かすことを禁じ、玄関の土間やベランダに敷いたビニールシートの上で寝かせていた。大阪地検を取材する司法担当記者は語る。

「地検の取り調べについても、ふたりはおおむね事実を認めています。B子ちゃんは3月11日頃から学校に行ってないのですが、それは小林の暴力によって身体に傷ができたことから、行かせられなかったようです」

B子ちゃんが死亡した日、彼女は午前1時か2時頃と推定される未明から、裸足で肌着の上にスウェットの上下のみという姿で、気温が10度を切るベランダに出されていた。午前中には「ひまわりを探している」とうわ言を口にするほど衰弱しており、午後2時には生存が確認されているが、それから1時間あまりで亡くなってしまう。

6月10日、大阪地検は死体遺棄罪で起訴していた小林とA子を、保護責任者遺棄致死罪で追起訴した。そのことについては当時、なぜより罪が重い殺人罪ではないのかということが話題に上った。当然ながら司法担当記者も、殺人罪を見送った理由について、地検幹部に質問しているが、それに対しては、次のような回答が出されている。

「報道のなかには殺人で立件するのが前提のようなものがあったが、そもそも前提が違う。この種の事件というのは殺人で立件するスジのものではない。過去の事件を見てもらえばわかる。この種の事件で殺人で立件できているのは、たとえば被害者が0歳児なのに、まったくお乳をあげなかったとかそういう特殊な場合。死因が暴行と直接関係していれば別だが、今回の場合、死ぬかもしれないという認識のもとにこうした行為を行ったという認定ができなかった。つまり、死ぬことを予想してやったような虐待とまでは認められなかった」

B子ちゃんに対して、暴力をふるったのが死につながったのではなく、衰弱状態を放置したことが死につながったとの認識があることが、その根拠となっている。記者は「衰弱している様子を見ていながら、外に出せば死ぬことは予想できるのでは?」との質問を加えているが、それに対しては以下の説明が返ってきた。

「ふたりが(B子ちゃんの)死につながるような身体の衰弱状況を認識していたとまでは認定できない。ふたりも死ぬはずはないだろうと思っていたという主旨の供述をしているし、その他のさまざまな事実、状況から鑑みて、死ぬことを予見していたとは言えない」

その後、10年に大阪地裁で開かれた裁判員裁判では、小林に懲役12年(求刑懲役17年)、A子に懲役8年6月(求刑懲役12年)の判決が下されている。

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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