脚や腕がなくても 乙武洋匡と28歳青年が人生をあきらめないワケ

「義足プロジェクト」に挑む乙武洋匡氏と中途障害となった青年の赤裸々トーク

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爽やかな笑顔で“握手”を交わすふたりの写真。そこにはそれぞれの右腕の断端をタッチさせる乙武洋匡氏と青年の姿がある。

握手を交わす乙武洋匡氏と山田千紘さん  撮影:村田克己

「両脚を失ったとき、車椅子を使うという選択肢はありませんでしたか?」と乙武氏が尋ねると、男性は「一切、ありませんでした。義足で歩こうと決めました」と即答した。

生まれたときから四肢がなかった乙武氏。ホームからの転落事故によって中途障害となった男性・山田千紘さん(28歳)。ハンディキャップを持つふたりに、生き方・考え方の違いはあるのか? 熱く語り合った。

「人生終わり」くらい落胆したけれど

山田:(車椅子を使うという選択肢は)一切ありませんでした。20年間両手両足がある生活は、当然、不自由はありませんでした。いざなくなったときに「人生終わり」くらい落胆しました。ナースコールをしなければトイレにも行けなかったし、車椅子をこぐこともできませんでした。

当初は自分の意思で全てできることが人間らしいことと思っていて、「自分は人間じゃないのかな」とも思い詰めました。車椅子だと、どこに行くにも友達に会いに行くにも制約がある。電車を乗るときも、降りる駅との連絡がついていないと、目の前に来た電車にも乗ることもできない。こんなの絶対にありえない。なら自分の意思で歩こう、義足を使おうと決めました。

乙武:先天性の僕よりも中途障害の方のほうがよっぽどしんどい、と思います。むろん両手があったほうが便利でしょうけれど、僕はその便利さを知りません。だから「なんで僕には手がないのだろう」と、くよくよしたこともない。山田さんのようにできたことができなくなることの喪失、絶望は、先天性の僕には計り知れないものがある。健常者の方は(左腕が残っている)山田さんのほうが楽なのかなと判断されるかもしれないけれど、僕からすると圧倒的に山田さんのほうが乗り越えなければならなかった壁は高かったと思う。

おとたけひろただ:1976年、東京都生まれ。98年、大学在学中に上梓した『五体不満足』は600万部のベストセラーに。2000年に早稲田大学政経学部卒業後、スポーツライター、小学校教諭などを務める。著書に『だいじょうぶ3組』『自分を愛する力』『車輪の上』ほか

山田:入院しているときに、乙武さんの本などを読んで、四肢のない人がニコニコ笑顔で走り回っているし、運動もしている。こんなに活発に楽しんでいるのに、「なんで俺にはまだ腕が一本あるのに人生終わったように感じているだろう」と。だから絶対負けてらんない。なんなら両手両足がある人にも負けてられないぐらいの気持ちがどんどん芽生えました。乙武さんは僕がステップアップするきっかけになっていて、僕にとっての目標なんです。

ーー2017年から始まった「乙武義足プロジェクト」。義足エンジニア、義肢装具士、義足デザイナー、理学療法士らが結集し、四肢欠損の乙武氏の体型にあった義足の製作・改良・訓練を行った。乙武氏も直立して歩くための体幹づくりなど、過酷なトレーニングに挑み続けている。当初は立つことすらできなかったが、今や20メートルの歩行を可能にした。この前代未聞のチャレンジの舞台裏に肉薄した『四肢奮迅』が11月1日に刊行された。

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乙武:元々、義足エンジニアの遠藤謙さんからこのプロジェクトのオファーをいただきました。でも僕自身は生まれつき手足がなく、歩いた経験もなく3歳から乗っている電動車椅子が足替わりで不自由も感じていない。「別に今さらトレーニングを積んだところで…」と二足歩行をしたいとも思わなかった。でも遠藤さんから「中途で事故や病気で足をなくした人は電動車椅子があっても、もう一度自分の足で歩きたいという人が多い。そういう人たちの希望になるプロジェクト」と言われてここまで頑張ってきました。

だから、山田さんにそう言ってもらえるのは本当に嬉しい。『五体不満足』を出したのが、22歳大学3年生のとき。それから21年。しんどいこともいっぱいありました。自分よりも15歳も若い人が「乙武さんがいたことで」と言ってくれるのが励みになる。勇気が出るしまた頑張れます。

ーー山田さんは20歳のときに駅のホームから転落して電車に轢かれ、右腕と両脚をなくした。しかし驚異的なリハビリを続け、今では義手、義足を装着し、株式会社JALエアテックの一般職として社会人生活を送っている。そして「乙武プロジェクト」の経過を注視していた。

山田:乙武さんはこのプロジェクトをやらなくてはいけない、発信しなければいけない理由を「使命感」だと『四肢奮迅』の中で書かれていました。すごく共感しました。乙武さんが僕にしてくれたことを僕自身もやらなければいけないと使命感があります。僕はいまインスタグラムで発信しています。手がなくても足がなくても関係ない、片手があれば人間充分にできることを見せています。フォロワーには、生まれてもって手がない子や足がない子を産んだ母親たちもいます。その方から「こんな明るい子に育ってほしい」とメッセージが来ました。きっと僕自身のライフスタイルを見た人は「こんなことができるの?」とか「片腕、両足がないのにこんなに楽しそうにしている」と思ってくれるでしょう。

乙武:その言葉を聞けてものすごく嬉しいです。このプロジェクトの一番大事な部分は「本当に誰かの役に立つのか」です。こうして生の声を聞く機会ができて、ますますこのプロジェクトの意義の解像度があがりましたよ。

明るく微笑む乙武洋匡氏と山田千紘さんは、ハンディキャップを持つ人たちが「ポジティブ」になれない辛さ、難しさも知っている  撮影:村田克己

比較することは何も生み出さない

ーーソケットのすぐ下に足部が付いた「スタビー義足」から練習は始まった。訓練の進行と共に義足はじわじわと高くなり、”身長”は約160センチメートルに達している。そして19年5月には、より安定した歩行を得るために義手を装着した。すると、乙武氏には“ある感情”が芽生えたという。

乙武:肩を覆うソケットからアルミ製のパイプが伸びただけの義手なのに、パイプをぶつけ合って「拍手」ができたことが感動でした。生まれてこのかた僕は拍手ができたことがない。両手が届かないからです。義手での拍手は「パチパチ」というよりも「カチカチ」だけど、これが拍手か! と感動しました。僕は座っても地面に手がつきません。でも義手だと普通に届きます。そのことが新鮮で床を何度も叩いていたら今度はドラムができるんじゃない? と。この先もっと義手が進化して肘関節がついたり指までついたら今度はギターもできる、料理もできる。

そのとき、「手があればそれができたんだな」と。これまで自分がそういう感情に陥ることはほとんどありませんでした。それが義手をつけた自分という比較対象ができたことで初めて自分はできないことだらけだ、と。今風の言葉で言えば、エモい状態になって、「パンドラの箱を開けちゃいけない!」と。山田さんは自分の手足があった頃と今の自分を比べてしまうことはありましたか?

山田:その感情とかなり戦っていました。でも僕は比較が好きではありません。いいことがないからです。片手、両足を失って最初はできないことだらけ。そのときは本当に比較しまくりでしたが、ただ悲しくなるだけ。ドラマで子どもを高い高いしているシーンを見るとマジ泣けるし、子どもと走り回っているシーンを見ただけで本当に辛い。

変えられることに全力投球する

山田:人は失ったものの数を数えがち。でもやめよう。それより何が残っているかを数えるようにしよう。僕には手が1本ある。自分の左手は20年間何をしてきたのか。「(右手と)同じ能力持っていたんでしょ? ならば頑張れよ!」と残った左手の可能性に気付いたんです。それがポジティブに変わった瞬間です。今でやってなかった料理も自分でするまでになりました。自分がやろうとしている行動の一つひとつが、これから成長していく子どもたちにとって道筋になると思ったとき、もっといろんなことがやりたいと。12月には沖縄でスキューバダイビングをする予定です。

乙武:いいね、山田くんなら楽勝。僕、スキューバの免許を取ったよ。自分は変えられるものと変えられないものに線を引くようにしています。例えば、Eテレで障害者らが出演している番組『バリバラ』の中の恋愛相談コーナーで若い脳性マヒの子が恋愛がうまくいかないという相談がありました。他局だと「障害と恋愛は関係ない、前向きに頑張っていれば必ずいい人が現れる」とキレイゴトで片づけてしまうでしょう。『バリバラ』が面白いのは「だって、おまえダッセーもん。そのファッションセンスでモテる気あんのかよ。まず服装から直せよ」と言ってしまう。どちらが本当にその人のためのアドバイスになるか。僕は後者だと思う。例えば脳性マヒや車椅子に乗らなければいけない障害がある。これは変えられない。ならばファッションを変えよう、おしゃれにしよう、トーク力を磨こう、というのが現実的なアドバイスだと思う。

変えられること、変えられないことというのはまさにそこです。僕らの障害は治ることはない。どんなに泣いても嘆いても手足が生えてくるわけではない。だから変えられる可能性のあるところに全力投球したらいい、というのが僕の考えです。

乙武洋匡氏に質問をする山田千紘さん。対談場所にはいつも通り義手・義足を装着して電車移動。「ぱっと見、ハンディキャップが分からないので、駅や電車内で人がぶつかって来るからキケン」と、屈託なく微笑む  撮影:村田克己

山田:本当によく分かります。僕にとってそれが義足でした。だから頑張るしかないと思いました。同じ障害がある人が1年かかるトレーニングを、僕は2倍頑張れば半年で終わると計算して、実際に半年でそのトレーニングを終えました。

乙武:僕自身も変えられるものをとことん努力で変えてきた。今よりよりよい方向にかえていく。それしかない。それは健常者だろうが障害者だろうが、関係のない汎用性のある態度だと思います。

これからは「しくみ作り」にも注力

ーー「義足プロジェクト」で乙武氏が行った階段登りの訓練動画(ビルの非常階段を”30階”登る! 当初44分かかったのが22分に短縮された)を見ながら山田さんは「この動きは本当にすごい」と驚いたり、航空会社勤務ということから、世界旅行中の飛行機の搭乗の流れなどを質問したり話題は絶えない。お互いのこれからの目指す方向、そして展望とは。

乙武:身から出たサビとはいえ世間の人の信頼を失い、2年間ほど立ち止まっている時期がありました。このプロジェクトで動き出すきっかけを与えていただき、一生懸命「物理的に」歩いています。このプロジェクトは何メートル歩いたから終わりというものではありません。私の活動を励みにしてくれる人がいることを念頭に、いろんなことに積極的に取り組んでいきたい。

山田:健常者としての20年の生活は本当に楽しかった。比較は好きではないと言いましたが、障害者になってからの7年間は、もはやそのときと比べても勝っているんじゃないかと思うぐらい楽しい。目標が一つあるんです。障害者としてのこれからの20年、胸を張って障害でよかった、超楽しかったよ、という人生にしたい。自分の生活、仕事、すべての面で障害者の身体でもできることを見せて、40歳のときに胸張って言えるように。僕が乙武さんを見て思ったように、僕を見た小さい子が将来大きくなったときに、「山田さんにお会いしたかった」といってもらうのが夢。ネガティブな自分はもういません。

乙武:最後に一つ。生来の性格的な問題で、どうしてもポジティブになれなかったり、コミュニケーション能力がそれほど高くなくて友達作りやネットワーク作りが苦手な障害者も当然います。怖いのは本当にしんどい思いをしている人に「頑張ればなんとかなる」というメッセージを押しつけてしまうこと。障害者が楽しく人生を送るために、必要とされる努力の平均値が健常者にくらべて非常に高くなってしまっている現実がある。そもそも健常者と障害者とでハードルの高さが違うことがおかしいと是正していく人も必要。「ポジティブ」担当は山田さんに任せて(笑)、僕はそうした「しくみ作り」にも力を注いで行きたいと思っています。

乙武洋匡氏と山田千紘さんが会うのは9月3日開催の「超福祉展」以来2回目。じっくり話すのは今回が初めてだ  撮影:村田克己
乙武洋匡氏の「義足プロジェクト」の2年間の記録が一冊にまとまった。『五体不満足』の前と後の話で、タイトルは『四肢奮迅』

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  • 取材・構成成相裕幸

Photo Gallary6

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