大学ラグビー 父はあの「明治の怪物」、早稲田・河瀬諒介の急成長 | FRIDAYデジタル

大学ラグビー 父はあの「明治の怪物」、早稲田・河瀬諒介の急成長

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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11月10日の帝京大学戦、早稲田の15番をつけた河瀬諒介/写真アフロ
11月10日の帝京大学戦、早稲田の15番をつけた河瀬諒介/写真アフロ

余力を残した勝者として

早稲田大学が、帝京大学を9年ぶりに退けた。秋の青空の11月10日、東京・秩父宮ラグビー場での関東大学対抗戦、両校の攻防を「20094」もの観客が見つめた。

シーソーの展開が続く。

進む時計で後半44分を過ぎる。3点を追う早稲田は、あわてず、直截的な攻撃を仕掛けた。2シーズン前まで9年連続の全国制覇、さすが帝京の守りもしぶとい。

いよいよ前者は陣地の最深部へ。国内屈指のハーフ、齋藤直人主将が、ここでいきなり宙に浮遊、タックルの上へ消え、インゴールへと着地した。

34対32の幕切れ。近年の対戦成績やスコアからすると劇的な結末であるはずで、もちろん、大いに喜ぶ光景はそこに繰り広げられたのだが、感動の発散という雰囲気とはどこか違っていた。

早稲田はもたつきながら勝った。少し前までの「満点の出来なら帝京にも手が届く」という位置を脱した。この日の敗者がそうであるように勝者も余力を残す。赤黒のジャージィは力をつけている。象徴は背番号15のスポーツ科学部2年生だ。

河瀬諒介。新人でレギュラーに名を連ねた昨年度と比べて、それどころか、先のワールドカップ期間中の「公式戦休止」のあいだにも、明らかに頑強になっている。

開始19秒でわかった。

自陣からのハイパントをチェイス、キャッチ直後の帝京の8番にタックルを浴びせる。その一撃が深い。ぐっと前へ出て倒した。球を奪い返すターンオーバー。ヒットした相手、安田司はパワーランナーで名をはせ、当日も何度か突進を披露している。だから、なおさら細身のフルバックの充実を感じた。

約9分後、こんどは自身のラン。キックのカウンターで複数名のタックルを振りほどいて、ぐんと前進を遂げた。連続攻撃、こんどはパスを受けて走り、また複数のタックルをはじき引きずり大きくゲイン、仲間のトライをもたらした。

カワセ、強くなった。いや、長くラグビーを見てきたので本当はこう思った。強いカワセの息子のカワセ、強くなった。このことについては後述する。

試合後、クラブのブレザー姿の本人に確かめてみた。ずいぶん強くなりましたね?

「去年からフィジカルを強化しようとやってきたことが、ことし、徐々に表れてきたのかなと思います」

身上である速さを落とさずにたくましくなったような。

「下半身が強くなったので体重が増えてもスピードが落ちなくなったのではないかと」

心も体も分厚くなって

重くなれば遅くもなる。でも20歳の男子なら重くなって速くもなれる。昨年度の帝京戦の公式記録のサイズは「183㎝・80㎏」。ざっと1年後、身長はそのままで体重は「86㎏」に達した。増えた筋肉をよく稼働させるのもまた筋肉、どう鍛えましたか?

「スクワットです」

しなるバーベルを肩にかついで腰を深く落とす。あれである。数値は。

「ことしに入ってのマックスが175㎏だったんですけど、それが一気にポンと190㎏まで上がりました」

いつごろ?

「9月です。なんで急に上がったかは自分にもわからないんですけど」

青春がすでに太古の身には生々しいほどの成長である。そんな具体的な数字の伸びは芝の上に体現された。アメリカン・フットボール用語の「セカンドエフォート」。ヒットされ、捕まっても、粘り、もうひとつ向こうへ進む。ジャパンの松島幸太朗(サントリーサンゴリアス)が広く示した能力でもある。

有力な後進だろう若者は言った。

「もっとできるようになりたいですね」

大阪の東海大学付属仰星高校出身。しなやかな走りと決定力で全国制覇を引き寄せた。注目の才能がいっそう注目されたのは父、それは強かったカワセ、敬称略で、泰治の存在も理由だった。1980年前後の明治大学のナンバー8、突破力とスマートなゲーム運びで鳴らした。早稲田好きには憎らしいモンスターだった。東芝府中へ進んでジャパンでも活躍する。第1回ワールドカップ、優勝候補のオーストラリアとぶつかり、ひとり、まったく通用した姿を覚えている。現在は、摂南大学の部長兼総監督を務める。

あの河瀬泰治の子が赤黒ジャージィをまとっている。古きファンの感慨もきっと観戦の楽しみだろう。

そして、明治の怪物の息子は、当たり前であるが、早稲田の世界を生きている。

シーズン序盤、文学部3年の南徹哉にフルバックでの先発を譲った。こちらは福岡県立修猷館高校の卒業、花園の経験はない。

帝京戦後、河瀬諒介は、みずからのポジションに限らず、部の雰囲気をこう話した。

「強い高校の出身でない部員は、ウエイトの数値やラグビー理解は高くないかもしれませんが、それでもAチームに入りたいと必死に努力する。そんな姿に焦ることもある。もっと自分もやらなくてはと」

筋線維が太くなった。そのとき心も分厚くなっている。

※この記事は週刊現代2019年11月23・30日号に掲載された連載『ラグビー 男たちの肖像』を転載したものです。

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『北風』(集英社文庫)、『序列を超えて』(鉄筆文庫)

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