スタン・ハンセン 日本での活躍を支えた“デストロイヤーの言葉”

今年3月に88歳で亡くなったプロレス界のレジェンド、ザ・デストロイヤー。デストロイヤーの言葉に励まされ日本で戦い続けたのがスタン・ハンセンだ。ハンセンがデストロイヤーとの秘話を紹介する

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デストロイヤーの遺影を持った息子カート・ベイヤーさんを中心に、夫人のウィルマさん、和田アキ子、スタン・ハンセン、徳光和夫らがリング上に集う

「デストロイヤーが生きている時に、直接お礼を言えなかったんです。今回の追悼イベントには、奥さん(ウィルマさん)や息子さん(カート・ベイヤーさん)も来ると聞いた。彼らにシッカリ感謝の気持ちを伝えようと、来日を決めました」

こう話すのは現役時代ウエスタン・ラリアットを得意技とし、“ブレーキの壊れたダンプカー”の異名を持つスタン・ハンセン氏(70)だ。ハンセン氏は11月15日に大田区総合体育館(東京都)で行われた、ザ・デストロイヤー氏(今年3月に逝去、享年88)の追悼イベントに参加するために来日。日本で活躍した外国人レスラーの大先輩、デストロイヤー氏との思い出を語った。

今年70歳となったスタン・ハンセン。日本で最も成功した外国人レスラーと言われる。’73年1月にデビューし’01年1月に引退。28年の長きにわたり活躍した

――追悼イベントでは、リング上で右腕を大きく振り上げ「ウィー!」と叫ぶおなじみのポーズも出ましたね。
「実は『ウィー!』とは言っていないんですよ。私が新日本プロレスに入った時は、アントニオ猪木さんも坂口征二さんも年上でした。外国人レスラーのタイガー・ジェット・シンもね。だから若い『ニュー・ジェネレーション・パワーを見せてやる』という気持ちで、『ユース(YOUTH)!』と叫んでいたんです。それが日本のファンには『ウィー!』に聞こえたのでしょう」

――デストロイヤーさんとの最初の思い出はなんですか?
「蔵前国技館で行われた日本でのデビュー戦(’75年9月)は、相手がデストロイヤーだったんです。まだ無名の私に対し、『日本は外国人レスラーが活躍するには素晴らしい国だぞ』と声をかけてくれたのを覚えています」

――新日本プロレスから全日本プロレスに移籍する際にも、背中を後押しする言葉をかけられたとか。
「デストロイヤーの言葉は今でも忘れません。移籍したのが良かったのか悩んでいた私に、こう声をかけてくれたんです。『スタン、君の判断は大正解だ。私は全日本立ち上げから(ジャイアント)馬場と一緒に戦ってきたが、一度もイヤな思いをしたことがない。存分に暴れまわってくれ』と。この言葉にどれほど励まされたことか。日本文化に馴染み活躍できたのは、デストロイヤーのおかげです。デストロイヤーに習い、テリー・ゴディなど後から来日した外国人レスラーには、日本での生活についてアドバイスするようにしました。居酒屋での食事の仕方や箸の使い方などね」

――どんな相手にも、アグレッシブに向かっていく姿は日本のファンを魅了しました。馬場さんも「ムチャクチャなリズム」と独特な表現で絶賛しています。
「私は極度の近視なんです。手当たりしだいに暴れたのは、そのため。相手が痛がっているとか苦しんでいるとか表情がわからないので、お構いなく攻め続けました。まぁ大きな身体であれほど動けたレスラーは、私とブルーザー・ブロディぐらいじゃないかな」

――現在はどんな暮らしをしているんですか。
「コロラド州の田舎町でのんびり暮らしています。(妻で日本人の)ユミをサポートするために、食事や庭の芝刈りをしていますよ」

デストロイヤーの言葉で、すっかり親日家となったハンセン氏。引退後も、朝食には納豆を欠かさず食べているという。

ザ・デストロイヤーの追悼イベントに参加しリングへ向かう和田アキ子。日本テレビのバラエティー番組『金曜10時! うわさのチェンネル!!』でデストロイヤー共演し話題となった
会場にはプロレスの熱狂的なファンで知られる山田邦子の姿も。ザ・デストロイヤーの遺影の前でポーズ
ザ・デストロイヤーの追悼イベントに参加しリングへ向かうスタン・ハンセン。日本でのデビュー戦で対戦するなど公私にわたり交流があった
  • 撮影吉場正和

Photo Gallary5

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