あと一歩でフレディを救えず 日本発のエイズ治療薬の今 | FRIDAYデジタル

あと一歩でフレディを救えず 日本発のエイズ治療薬の今

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フレディの死の前年、1990年2月。英国最大のポップミュージックアワード「Brit Awards」に出演したクイーンのメンバー  写真:Shutterstock/アフロ
フレディの死の前年、1990年2月。英国最大のポップミュージックアワード「Brit Awards」に出演したクイーンのメンバー  写真:Shutterstock/アフロ

1991年11月24日、世界の音楽シーンに衝撃が走った。英国のカリスマ・ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーが、エイズ(後天性免疫不全症候群)による肺炎で45歳の生涯を閉じたのだ。その前日、事務所を通じて、自らこの病にかかっていることと闘病を宣言した矢先の訃報だった。

彼の生き様は、昨年公開され日本でも大ヒットとなった映画『ボヘミアン・ラプソディ』(フレディ役はラミ・マレック)に詳しい。クライマックスとなる1985年のライブ・エイド(アフリカ難民救済のための20世紀最大のコンサート)で、映画と同タイトルである最大のヒット曲で、「Mama ooo- I dont want to die(ママ、死にたくないよ)」と全身全霊で歌い上げた。事実にかなり忠実に映像化された作品だが、実際にはライブ・エイドの時点においては、HIV感染はまだ発覚していなかったとされる。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックス、ライブ・エイドのシーン。一部地域で続映中(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックス、ライブ・エイドのシーン。一部地域で続映中(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

20世紀末を生きた人にとって、血液などの体液を介したヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染により起こるエイズは、明日なき病と恐れられた。フレディの命日と世界エイズデー(12月1日)を期に人類とこの病との闘いの軌跡を振り返ってみたい――。

発端は81年、男性同性愛者(ゲイ)の間で流行する奇病の症例が、米国疾病対策センター(CDC)に報告されたことだ。83年には、エイズ患者からHIVが発見された。85年にエイズ罹患を告白した俳優ロック・ハドソン(同年死亡)が、同時に同性愛をカミングアウトしており、当初エイズはゲイや薬物常用者(注射針の使い回し)だけの病気と捉えられていた。

フレディが病魔に倒れた91年には、映画監督のトニー・リチャードソンも命を奪われ、米国プロ・バスケットボール(NBA)の花形選手マジック・ジョンソンはHIV感染を理由に現役を引退した。

フレディは14歳で男性と関係を持ち、その後はバイセクシュアル(両性愛者)として生きたとされる。性的少数者(LGBT)への偏見や風当たりが強かった時代、HIV感染者は二重のスティグマ(汚名)を負わされることになった。フレディの両親は戒律の厳しいゾロアスター教徒であり、息子の性的指向を恥じていたとされる。

93年には実話に基づいた映画『フィラデルフィア』が公開され、事務所を解雇されたゲイの弁護士(トム・ハンクス)が、HIV感染による解雇は不当だと、命の最期の火を燃やしつつ、偏見への闘いを挑む姿が大反響を呼んだ。

その後、母子感染や男女間の性交渉によってもHIVに感染するケースが急増し、当時は「エイズが世界を滅ぼす」とまで言われた。

――しかし令和の今、状況は一変している。世界保健機関(WHO)によれば、2018年時点で、全世界で3790万人がHIVと共に生きており、感染が収まったわけではない。しかし、画期的な薬物の登場により、適切な服薬さえすれば、エイズはもはや致死的な病ではない。この四半世紀で最も進化した薬は、抗HIV薬だというのは過言ではないだろう。

そして、その治療の道を切り開いたのは日本人、満屋裕明氏(現・国立国際医療研究センター研究所長)である。人類への貢献からすれば、ノーベル賞に値する偉業であり、年々、受賞の呼び声が高まっている。

米国立がん研究所に留学中だった満屋氏は、実験中に自らも感染するのではないか、との恐怖と向き合いながら治療薬開発に取り組み、元は抗がん剤として開発されたAZT(アジトチミジン)に、HIV増殖を抑える作用があることを発見した。87年、AZTは世界初のエイズ治療薬として、歴史的な速さで米国食品医薬品局(FDA)に承認された。翌88年、FDAは、生命を脅かす消耗性の病気に対する医薬品については治験期間を短縮して迅速に承認する制度を発足させたが、そのきっかけとなった薬でもある。

AZTは発売当初、1年間使えば1万ドル以上という当時として史上最高値の薬価が付けられた。これを憂えた満屋氏は、92年に2番目の抗HIV薬ddI(ジダノシン)、93年には第3番目の薬としてddC(ザルシタビン)を立て続けに送り出した。3剤とも副作用が強い上、効果のある人も限られ、さらには薬が効かなくなる耐性が現れることも課題だった。満屋氏は、これらが完全な薬ではないことを誰よりもよく分かっていた。もっと良い薬が出るまで、「生き延びよ、時間を稼げ」の掛け声の下に、抗HIV薬の開発に挑み続けたのだ。

大手製薬会社も続々参入して薬の開発が進められ、96年以降は、多剤併用時代を迎える。満屋氏も2006年には、HIVに特有な酵素の働きを抑える、新たなメカニズムの薬ダルナビルも発見。その後も新薬が登場した結果、現在はHIVに感染しても適切な服薬により、ほぼ天寿を全うできるまでになった。なおも副作用や耐性発現の課題はあり、満屋氏は今も手を緩めず挑戦を続けている。その葛藤と軌跡は、拙著『新薬に挑んだ日本人科学者たち』を参照されたい。

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抗HIV薬を巡る映画もある。やはり実話をモチーフにした『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)では、HIV感染が発覚して30日の余命宣告を受けたカウボーイ(マシュー・マコノヒー)が、治験中のAZTを不法に入手しようともがく。AZTで延命し、さらに独学で知識を蓄えたことで、より毒性が低いペプチドTやddCなどを求めて画策し、会員組織で提供するという使命を生きる原動力につなげた。

このように、エイズとの闘いは、虚実を問わず、たびたびドラマチックに映像化された。『フィラデルフィア』のトム・ハンクス、『ダラス・バイヤーズクラブ』のマシュー・マコノヒー、そして、『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じたラミ・マレックは、文字通り身を削り、体を張ってエイズ患者を演じた結果、3人とも米国アカデミー賞主演男優賞に輝いている。異論はあろうが、個人的には「エイズ熱演三大名優」と呼んでいる。

『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)の(マシュー・マコノヒー)・アカデミー賞主演男優賞を受賞  写真:Shutterstock/アフロ
『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)の(マシュー・マコノヒー)・アカデミー賞主演男優賞を受賞  写真:Shutterstock/アフロ
『フィラデルフィア』でアカデミー賞主演男優賞を受賞したトム・ハンクス  写真:ロイター/アフロ
『フィラデルフィア』でアカデミー賞主演男優賞を受賞したトム・ハンクス  写真:ロイター/アフロ

やや話が脱線したが、エイズは、決して過去の病ではない。とりわけ日本は先進国で唯一、HIV感染拡大に歯止めがかからない国で、2018年に新たに報告されたのは、HIV感染者が940人、エイズ患者は377人で、計1317人と近年は横ばい傾向にある。うち8割が日本国籍の男性で、HIV感染者は20~30歳代が6割、エイズ患者は40歳以上が最も多かった。かつては薬害による感染が社会問題にもなったが、現在は性行為を通じた感染が大半である。

標準的な治療では、耐性獲得や飲み忘れのリスクを避けるために3~4種類の薬を併用するが、飲み続ける限り、エイズ発症者でもウイルス数が減少し、一定範囲に抑えることができる。仕事を続けられ、健常者とほとんど変わらない生活が送れる。HIVの感染力はB型肝炎ウイルスに比べて100分の1と低く、血液、精液、膣分泌液、母乳以外を介して感染することはない。

日本では、HIV感染者は、病状に応じて身体障害者の認定を受けられ、収入に応じ医療費の助成が受けられるなど、経済面の不安も減少している。

とはいえ今のところ、残念ながらウイルスを排除する治療法はない。そして、世界的に見れば、治療を受けているのはHIV感染者の62%に過ぎない。

フレディの没後、再リリースされてチャートトップに躍り出た『ボヘミアン・ラプソディ』の印税97万4000ポンドは、その遺志によってエイズの基金として寄付された。 フレディは、自分よりも恵まれない人々が経済的支援を受けられないことを懸念していたという。

87年頃、HIV陽性と診断され、密かに治療を開始していたとされるフレディ。彼がHIVに感染するのがもう少し遅かったら…。満屋氏の発見・研究が実を結ぶのがもう少し早かったら…。私たちは73歳のフレディ・マーキュリーを見ることができたかもしれない。

残念ながら、満屋氏の成果はフレディを救うことにはならなかった。しかし、マジック・ジョンソンは元気で、今春までレイカーズの球団社長を務めた後、今もエイズ啓発に励んでおり、AZT以後の日進月歩の薬の進歩を身をもって証明していると言えるだろう。

間もなく、エイズ撲滅を訴える世界エイズデー(12月1日)がやってくる。エイズに散っていった人々、闘い続けている人々、そして満屋氏のようにエイズ撲滅のため研究を続けている人がいる。エイズを知り、“正しく恐れる”こと、そして人類の財産として開発された薬をむやみに使わないことは我々の責務だ。

実際のライブ・エイドで熱唱するフレディとクイーンのメンバー(1985年7月13日) 写真:Shutterstock/アフロ
実際のライブ・エイドで熱唱するフレディとクイーンのメンバー(1985年7月13日) 写真:Shutterstock/アフロ

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『世界を救った日本の薬 画期的新薬はいかにして生まれたのか?』

『iPS細胞はいつ患者に届くのか』

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  • 塚﨑朝子

    (つかさきあさこ)ジャーナリスト
    読売新聞記者を経て、医学・医療、科学・技術分野を中心に執筆多数。国際基督教大学教養学部理学科卒業、筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科修士課程修了。専門は医療政策学、医療管理学。著書に、『iPS細胞はいつ患者に届くのか』(岩波書店)、『新薬に挑んだ日本人科学者たち』『世界を救った日本の薬 画期的新薬はいかにして生まれたのか?』(いずれも講談社)など。

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