49年ぶりの新駅・高輪ゲートウェイ駅のため「山手線運休」の現場 | FRIDAYデジタル

49年ぶりの新駅・高輪ゲートウェイ駅のため「山手線運休」の現場

56万人に影響が出た「品川線路切替工事」を写真で振り返る

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11月16日午前6時すぎ、切り換えられていく山手線の線路。白い袋の中にはバラスト(砂利)が入っている
11月16日午前6時すぎ、切り換えられていく山手線の線路。白い袋の中にはバラスト(砂利)が入っている

「辰野金吾の設計によって赤煉瓦の東京駅駅舎が造られたのが大正3(1914)年。その後、大正・昭和時代にはいくつもの名駅舎が造られましたが、多くは解体されてしまいました。また平成時代には中央線の三鷹―立川間が高架化に伴って個性のないデザインが多くなってしまうなど、時代を代表する駅舎が失われて久しい。

そうした中、高輪ゲートウェイ駅は新国立競技場と同じく隈研吾(くまけんご)氏の設計です。折り紙をモチーフとしたこの駅舎は、令和を代表する駅舎となる可能性を持っていると思います」

『関東大震災と鉄道』などの著者・内田宗治氏は、山手線で49年ぶりとなる新駅への期待をこう語る。

11月16日、終電後の深夜1時頃から、「品川駅線路切換工事」が行われた。田町―品川間に誕生する高輪ゲートウェイ駅開業に伴う工事は、総事業費約5000億円をかけ、2011年から始まったが、この日の工程がヤマ場とされていた。

この工事は、従来の山手線のルートから新駅を通るルートにつなぎ替えるというもの。同時に田町―品川間で山手線と立体交差している京浜東北線の北行(大宮方面)線路も動かす必要があった。そのため、山手線内回りと外回りは大崎―上野間で16日16時までの15時間、京浜東北線は16日の終電まで田町―品川間で終日運行を停止した。その影響は56万人に及んだのだ。

令和の時代になっても、じつは線路を動かしたのは、人力だった。暗闇の中、工事に携わる人々が線路の下から白い袋を黙々と取り出していく。この白い袋の中身はバラスト(砂利)で、短時間で撤去しやすいようにと1ヵ月前に袋詰めのものに交換してあった。作業員の間を縫ってクレーンや作業車が動き、枕木やレールを大きく動かす作業が進められる。そしてレールを吊り下げる山越器(やまこしき)と呼ばれる器具を使いながら、敷設する箇所を人力できっちりと合わせていく。3ヵ所の切り換え作業に従事した人数は2000人に上った。

工事終了予定10分前の15時50分には試運転車が新しい線路上を走り、作業員たちは笑顔でその走行を見守った。

16時01分。山手線内回り新ルート始発列車には、新たな沿線の光景を楽しもうとする鉄道ファンが列を成して乗り込んでいったのだ。

「都心の大動脈である山手線を止めてまでの工事はJR発足以来初めてで、歴史的な出来事だったと思います。しかも新駅の建設地はもともと車両基地としてJR東日本が持っていた土地であり、その土地を活用することで、いわば〝元手〟をかけずに新駅と新しい街を作ることができたのです」(鉄道ジャーナリストの梅原淳氏)

高輪ゲートウェイ駅周辺では4棟の超高層ビルを中心に再開発が進んでおり、新しい街開きは2024年に予定されている。まもなく新たな「東京の貌」が誕生することになるだろう。

16日正午頃、大崎駅南側の「東京総合車両センター」に山手線車両が並ぶ。運行全面再開まであと4時間だ
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山手線工事当日、「高輪ゲートウェイ駅」構内が報道陣に公開された。近未来的なデザインが異彩を放つ
山手線工事当日、「高輪ゲートウェイ駅」構内が報道陣に公開された。近未来的なデザインが異彩を放つ
16日16時前、品川駅で山手線再開を待つ人々。新ルート一番乗りを目指して鉄道ファンが詰めかけた
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高輪ゲートウェイ駅を通過する、山手線内回りの始発列車が品川駅ホームに滑り込む。作業員も残っている
高輪ゲートウェイ駅を通過する、山手線内回りの始発列車が品川駅ホームに滑り込む。作業員も残っている

『FRIDAY』2019年12月6日号より

  • 撮影結束武郎写真時事通信(高輪ゲートウェイ駅)

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