ティファニーも傘下に LVMHベルナール・アルノーの凄腕伝説 | FRIDAYデジタル

ティファニーも傘下に LVMHベルナール・アルノーの凄腕伝説

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去る11月に、ファッション業界を大きく揺るがしたある一報。それは、LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(以下LVMH)が、ティファニー(TIFFANY & CO.)を買収するという衝撃的なニュースだった。

ティファニーといえば、米小説家のトルーマン・カポーティの短編をベースにした映画『ティファニーで朝食を』で、主人公のオードリー・ヘプバーンがNY5番街の本店をのぞき込むシーンでも有名なアメリカ発の高級宝飾品のブランド。今や世界中でアイコンとなっている、美しいサックスブルーのギフトボックスを知らない人はいないといってもいいだろう。

LVMH会長兼最高責任者(CEO)のベルナール・アルノー氏 写真:アフロ
LVMH会長兼最高責任者(CEO)のベルナール・アルノー氏 写真:アフロ

そのアメリカ随一の老舗を、LVMHが162億ドル(約1兆7496億円)というファッション業界史上最高額で買い取った。取引のスケールの大きさに驚くばかりだが、これまでにもLVMHが数多くのブランドを傘下に収めてきた経緯を鑑みれば、今回の買収劇もそう珍しい話ではない。だからこそ、クリスチャン・ディオール、ルイ・ヴィトン、ロエベ、セリーヌetc.……「ファッション&レザーグッズ」のみならず「香水・化粧品」「ウォッチ&ジュエリー」「酒類」に至るまで、今や75もの著名なメゾンを抱えているのだから。

会長就任以来30年、増収増益をキープし続ける辣腕

そんな世界屈指ともいえるブランドのコングロマリット、LVMHを率いているのは誰なのか?

それが、LVMHの会長兼最高責任者(CEO)のベルナール・アルノー氏。今回のティファニー買収を主導したのはもちろん、数々のブランドを傘下に収めることで、LVMHをここまでの巨大帝国へと導いてきたグループの中心人物だ。

彼が1989年にLVMHの会長に就任してから、グループ全体の業績は年々うなぎ上り。不況で物が売れないといわれて久しいこの時代にさえ、毎年増収増益を記録し続けている。そうしたLVMHの好調な業績を受け、2019年は株価も年初から上昇。アルノー氏の資産総額は7月16日の時点で1076億ドル(約11兆6208億円)。ブルームバーグが更新している世界長者番付のランキングで、マイクロソフト社のビル・ゲイツを抜いて2位に浮上した(1位はアマゾン創業者兼CEOのジェフ・ベゾス)。

今まさに向かうところ敵なしといったアルノー氏の快進撃はいつから始まったのか、そしてアルノー氏とは一体どういう人物なのか。それらが垣間見えるストーリーを少しかいつまんで追ってみよう。

理工系大学→建設会社→不動産業からファッション業界へ

ベルナール・アルノー氏は1949年、フランス北部のルーベで建設会社を営む裕福な両親の元に生まれる。そして、フランスの理系の最高峰といわれる国立理工科大学、エコール・ポリテクニークで学んだ後、71年に父親が経営する建設会社“フェレ‐サヴィネル”にエンジニアとして入社。そこでさまざまな管理職のポストを歴任し、早くも1978年に同社の会長に就任する。

その後、1982年にニューヨークに移住。アメリカで不動産事業に取り組んでいた時期もあったという。つまりもともとは意外にもファッション畑の人間ではなく、家業を継いで建設業界で生きていくはずだったアルノー氏。そんな彼に転機が訪れたのは、帰国後の1984年のこと。34歳のアルノー氏は、持株会社“フィナンシエール アガシュ”を立ち上げると、当時クリスチャン・ディオールを保有していたものの資金難に陥っていた、繊維会社の“マルセル・ブサック・グループ”を買収する。これが後に強大なLVMH帝国が生まれるきっかけとなった出来事だった。

米国ルイ・ヴィトン新工場落成式にトランプ氏が出席した際のツーショット 写真:アフロ
米国ルイ・ヴィトン新工場落成式にトランプ氏が出席した際のツーショット 写真:アフロ

その当時は、「なぜ不動産屋がファッション業界に?」とフランス経済界は騒然としたそうだ。しかし、実は70年代にアルノー氏が初めてニューヨークを訪れた際、タクシーの運転手に「フランスの大統領の名前は知らないが、クリスチャン・ディオールなら知っている」と言われて衝撃を受けたという頃から、密かにファッションビジネスに興味を持つようになっていたという。

そして、その後アメリカに渡った後、彼の扱っていた不動産が高所得者層を対象にしたものだったという背景が、彼の密かな野望の実現を後押しした。というのも、不動産販売を通して顧客と密に関わることで、不動産に限らず高級ファッションや宝飾品、香水や酒など、富裕層の嗜好を幅広く熟知することができたからだ。そんなアルノー氏がブランドビジネスに携わるようになったのは、むしろごく自然な流れであったとも言えるのかもしれない。

「カシミアを着た狼」の本領発揮

そうしてファッションビジネスに目覚めたアルノー氏がクリスチャン・ディオールを手中に収めると、それまで長年在籍していたデザイナーを追放。イタリア人のジャンフランコ・フェレを後継者に呼び寄せ、ブランドの大胆な改革を図る。そんなアルノー氏の決断は各方面から非難を浴びたものの、結局はそれが功を奏してコレクションは大成功。ブランドの大躍進が始まることとなった。

アルノー氏が次に狙いを定めたのは、ルイ・ヴィトンと酒造メーカーのモエ・ヘネシーの合併により1987年に誕生した、本丸のLVMH。経営陣同士の対立によって株価が低迷していたタイミングを見計らい、自身が持つクリスチャン・ディオールの親会社であったブサック・グループを売却して資金を調達。それを元手にLVMH株の一斉買いを行って、1989年に完全に経営権を握ることに成功した。こうしてLVMH会長の座を手に入れたアルノー氏は、ケンゾー、ゲラン、セリーヌ、ロエベ……と高級ブランドだけでなく、免税店のDFSやパリのデパートのボン・マルシェなど次々に買収の手を広げ、世界最大のブランド帝国を築き上げていったのである。

ティファニーブルーが象徴的な、パリの店舗の看板 写真:アフロ
ティファニーブルーが象徴的な、パリの店舗の看板 写真:アフロ

このように、多数の高級ブランドを手中に収めていることから「ファッション界の法王」と称される一方で、買収する際の用意周到で強引、かつ冷徹とも取れる手法に、「カシミアを着た狼」だと恐れられてもいるアルノー氏。確かに切り捨てられる側からすれば、そういった声が出るのも致し方ないのだろう。しかし、一時的に経営難で苦境に陥っているブランドをすくい上げ、大胆な改革により資産価値を高めるというアルノー氏流のやり方に、メリットを感じている人間も少なからずいるというのは確かだ。

停滞していたブランドに才能豊かな新鋭デザイナーを起用し、赤字のあるブランドには他からの利益を投じながら、時間をかけて再生できるように体制を整える。なおかつ、アルノー氏がグループを「独立を維持したファミリーの集合体」だと言っているように、中央集権化して統治するのではなく、各ブランド主を尊重しながら事を運んでいく。そうしたやり方は、心機一転を図りたいブランドやデザイナーにチャンスを与え、顧客には新しい感動を提供することにも繋がらないだろうか。もちろん全てがきれいごとばかりで済まされる話ではないだろうが、そういう側面もあるということだ。

大胆かつ冷徹なビジネスを支える、平穏な私生活

今に至るまで、自身の手がけるビジネスではほぼ負け知らずで勝ち進んできただけに、プライベートでも順風満帆な人生を歩んできたのかと思いきや、実は結婚には一度失敗しているアルノー氏。1973年に最初の結婚をして2人の子宝を得た後、1990年に離婚しているが、この時の結婚生活や前妻に関しては謎に包まれている。その翌年には現在の妻、カナダ人ピアニストのエレン・メルシエと結婚。「ピアノを弾くのが趣味」というほど音楽好きだというアルノー氏にとっては相性抜群のパートナーのようで、楽しみの一つが妻のエレン氏とともに各界の名士などを夕食会に招いてもてなすこと。結婚から30年経つ今も仲睦まじく暮らしている。

エレン夫人との間には3人の子を授かっているが、前妻との間にもうけた長女も含め、アルノー氏の子どもたちがみなLVMH傘下のブランドで要職についている。ちなみに余談ではあるが、長男のアントワン・アルノー氏の妻は、世界の長者番付で何年もトップ10入りを果たしたロシア人スーパーモデルのナタリア・ヴォディアノヴァ。彼女との間には現在5人の子を持つが、やはり5人の子持ちである父アルノー氏とのシンクロが面白い。

そういうわけで、若き日の結婚には失敗したものの、前妻の子を含めて家族関係も比較的良好のアルノー氏。叩けばどこかからホコリが出てくるのかと思いきや、私生活においても隙を見せないのは、アルノー氏の人生における一貫したスタイルなのかもしれない。

  • 取材・文河野真理子写真アフロ

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