ゴミ屋敷注意し壮絶な逆襲にあう 元農水次官・熊沢被告がみた修羅
今年6月、東京都練馬区の自宅で長男の英一郎さん(44=当時)をナイフで刺して殺害したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官、熊沢英昭被告(76)に対する被告人質問が12月12日、東京地裁(中山大行裁判長)で開かれた。
弁護人に現在の気持ちを聞かれた熊沢被告は「取り返しのつかないことをしてしまい、いまは息子の冥福を祈るしかない」と涙ながらに語った。

逮捕当時にニュースで報じられたときと変わらぬ姿に、スーツを着て法廷に現れた熊沢被告は、証言台の前に座り、小さい声ながらも冷静な語り口でしっかりと質問に答え続けた。
事件が起きたのは6月1日の15時過ぎ。熊沢被告は長男の胸や首をナイフで刺し、失血死させた。その刺し傷は30箇所にも及んでいる。死亡後に自ら110番通報し、逮捕に至った。前日の初公判で「間違いありません」と起訴事実を認めており、事実関係に争いはない。
被告人質問では、長年、熊沢被告が長男と関わり合いながら、見守り続けてきた様子が明らかになった。中学生の頃から家庭内暴力が始まり、妻に暴力を振るうようになった長男に熊沢被告は、時に手で制止し、時に言葉で諌めながら向き合ってきた。高校卒業後、長男は日本大学の理工学部に進学したものの休学。

「製図の授業が嫌いで拒否感があった。息子の意向を聞いたところ、日大に通うよりアニメ関係の勉強がしたいと」(熊沢被告 以下同)
そこで、代々木アニメーション学院へ進学させた。卒業後、長男は日大を退学し、流通経済大学へ編入。その進路も、熊沢被告が探してきた。
「最初から受験して入学するのは難しい。編入できる大学はないか、いくつかの大学の総務課に相談しました。そうしたところ、幸いその中で、編入を受けてくださるというところが見つかった」
日大に進学したときから、アパートで一人暮らしを始めていた長男の元へは、月に一度は顔を見に行っていたという。
「薬を届けないといけないので、必ず月に一度は訪ね、生活状況や精神状態を観察し、また長男はゴミの片付けができないので、私が片付けをして、そのあとファミレスで一緒に食事……コミュニケーションを図ることを心がけていました」
被告人質問のこの日、長男の主治医だった精神科医も証人として出廷した。長男は前の主治医からは「統合失調症」と診断され投薬治療を続けていたが、証人が主治医になる際に改めて診察した際「アスペルガー症候群」だと診断したという。投薬治療は事件が起きるまで続けられており、事件直前まで一人暮らしをしていた長男の元へ、熊沢被告が薬を届けることもあったようだ。
担任に恵まれ、無事長男は流通経済大学を卒業。修士課程にも進み、いよいよ就職活動となったタイミングで、世はまさに“就職氷河期”まっただ中だった。希望するアニメ関係の会社も不採用になったため、またもや熊沢被告は「大学の担任になんとか就職先を、と相談したが良い返事がないので、何か後に役立つかもと、パン学校を見つけて通わせました」という。
前述の主治医のツテで熊沢被告が就職先を決め、長男はしばらくそこに勤務していた。被告は当時、駐チェコ大使を務めていたため、長男の様子は、
「息子はブログを開設していたので毎日チェックしていました。すると上司の悪口をかなり書き込んでおりました。私としては非常にご迷惑をおかけしていると心を痛め、国際電話やメールで、上司の言うことをよく聞いて、おとなしくして仕事をするようにと忠告を何度もしていました」
だが、勤務先からもブログの文章からも、長男の勤務態度が改まらない様子が伝わり、海外勤務を終えたタイミングで熊沢被告は、長男の退職を願い出た。すると勤務先からこんな連絡を受ける。
「英一郎さんが明日、社会的事件を起こすかもしれない。上司を包丁で刺すと言っている」
そんな長男の元へ飛んでゆき、説得すると「長男はカバンから包丁を出して台所に置きにいきました。本当に刺すつもりだったのかとびっくりしました」。その後は、再び代々木アニメーション学院への入学させたり、「何か目的を持たせたほうがいいと、コミックマーケットに出品してはどうかと申し出た」り、妻の所有する目白の戸建てに長男を住まわせ、近所の駐車場や賃貸物件の賃料で生計を立てられるようにと準備を整えたりと、熊沢被告は長男の今後を考え、様々に世話をしていた。
事件に至るきっかけは、その約1週間前の長男からの電話だった。一人暮らししている目白の家から戻りたい、と連絡があったのだ。すぐに迎えにゆき、長男との数十年ぶりの同居が始まった。しかし翌日、熊沢被告は長男から初めての、そして熾烈な暴力を受ける。

「その数ヵ月前から目白の家に行くたび、ゴミを片付けようとすると『帰れ』と言われてゴミが溜まっていた。ゴミ屋敷になったからいられなくなったのかなと思っていた。その日も私は、目白の家がゴミ屋敷になっていることが頭に常にあり、掃除しなきゃ、ゴミを片付けなきゃ、と言葉で発したと思います。
すると『ゴミ捨てろ、ゴミ捨てろばかり言いやがって』と長男が逆上し襲ってきました。殴る蹴る、そのあと、髪の毛を鷲掴みにされ、サイドテーブルに叩きつけられ。必死に玄関のところまで逃げましたが追いかけられ、また殴る蹴るされ、玄関ドアやコンクリートの三和土に叩きつけられました。必死に外に逃げましたが、そこにも追いかけてきまして、殴る蹴るされ、鉄製の物置の壁に頭を打ち付けられました……」
だが熊沢被告は「まず息子の精神を安定させ目白の家に戻すことが大切と思いました」と、暴力を受けて2日後に、長男が住んでいた家に向かい「ゴミ屋敷になっているところを、3時間ほどかかったと思いますが、生活ゴミとペットボトルに分け、45リットルのゴミ袋13袋ぐらい作りました」と、痛みをこらえ片付けを続けたと語る。
以降、熊沢被告は妻と2階の寝室で主に過ごしていたという。事件は6月1日の15時過ぎ、1階に降りた際に、拳を握ったファイティングポーズの長男から「殺すぞ」と言われ「本気で殺される」と慌てて包丁を手に取り、もみ合いながら胸や首を刺し続けた……と熊沢被告は語った。
「暴力を受けたあと、体の傷もですが、体が震えるほどの恐怖心があり、精神的に震えがありました……。
今は、反省と後悔と悔悟の毎日です。大変辛い人生を送らせてしまったことを、
この日、農水省の後輩が証人出廷した。熊沢被告を長く慕っているというこの証人は、1609通の嘆願書を集めただけでなく、面会して熊沢被告の社会復帰後の仕事についても話をしているという。だが証人は言った。
「熊沢さんからご家庭のことで、相談を受けた人はいらっしゃらない」
熊沢被告は、長男の家庭内暴力のこと、長男が原因で破談となり自殺した長女のこと、そして妻も自殺未遂をしたことなどを、誰にも相談することなく一人で抱えていたようだ。特に家庭内暴力については行政にも相談することはなかった。
「結局、行き場所がなく、引き取るのは私たち。(相談したことがわかれば)親子関係が悪化するだけで良いことはない」
どうすれば事件は防げたのか。その後、検察側は懲役8年を求刑、判決の言い渡しは16日を予定している。
取材・文:高橋ユキ
傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。