世界選抜バーバリアンズに選出 女子ラグビー齊藤聖奈が描く未来
女子ラグビー界にマイルストーンを打ち立てた。
齊藤聖奈は日本人として初めて「バーバリアンズ」と呼ばれる世界選抜に選ばれた。
白い歯がこぼれる。
「とってもエキサイティングでした。ひとつの目標でしたが、合流できるとは思っていませんでした。日本人が認められてうれしいし、よかったなって思います」
11月30日、カーディフのプリンシパリティー・スタジアム。この7万2千人収容の球技場を本拠とするウエールズと戦った。
「試合前に並んだ時、感動で震えました。グラウンドへは、炎が上がった間を通って出てくるのですが、それも初めての経験でした」
男子の同カードの前座として行われた試合は29-15と勝利する。フッカーの聖奈は背番号18。後半9分、もうひとりの日本人、プロップの南早紀(横河武蔵野Artemi-Stars)とともに交替出場する。
「サキが私と同じ時間帯に入ってくれて、右隣の3番にいてくれたことで、すごくやりやすかったです。もうひとり日本人がいるというのは心強くもありました」
バーバリアンズのジャージーは黒と白の太いボーダー。ストッキングは出身チームのものを使う。聖奈は所属する三重パールズの紺と日本代表の白をそれぞれ履く。
ジャージーは出身である大阪体育大と同じ色、配色だ。聖奈はラグビー部には所属はしなかったが、見慣れたものだった。
「親近感がありました」
大学の先輩でもあり、三重パールズのGMである斎藤久は現地で観戦した。チームの主将でもある聖奈のことを語る。
「スキルと体の強さは国内屈指。メンタルも強く、リーダーシップもあります」
バーバリアンズは世界中からトップ選手を集め、チーム編成がなされる。日本ラグビー協会のホームページにはこのような説明が載る。
<1890年にイングランドで創設されたクラブ。ウィリアム・パーシー・カープミールが作った。男子では林敏之、元木由記雄、田中史朗、ホラニ龍コリニアシ、藤田慶和の5人が招待される。2017年に始まった女子バーバリアンズの歴史では3年目で初の日本人>
男子では日本代表で歴代3位の79キャップ(協会が定めた国際試合に出場した数)を誇るセンターの元木(現京産大ヘッドコーチ)や、今回のワールドカップに出場し、75キャップを持つスクラムハーフの田中(キヤノン)らと聖奈は並んだことになる。

生まれは1992年5月30日。小1から大阪の富田林ラグビースクールで競技を始めた。四天王寺羽曳丘高から大体大に進む。クラブチームでプレーをしながら、大学2年の2012年、香港戦で15人制代表デビュー。愛称「サクラ・フィフティーン」ではキャップを23まで伸ばしている。
卒業後は半年近くニュージーランドにラグビー留学。2016年、正式名称「Mie Women’s Rugby Football Club PEARLS」、通称=三重パールズができると創設メンバーに名を連ねた。同時にメインスポンサーでもある住友電装の総務部広報グループに籍を置く。
「仕事は楽しいです。会社で使うボールペンや付箋やメモの発注に責任を持たせてもらっています。みなさんよくしてくださって、セミプロの扱いでラグビーを優先させてももらえます。ありがたいことです」
午前中は業務、午後はラグビーと会社はすみわけをしてくれている。バーバリアンズ戦は、11月10日に始まった日本代表の欧州遠征後にあったため、聖奈は業務を約1か月休んだ。それでも快く送り出してくれた。
遠征はイタリアに17-17と引き分け、スコットランドには24-20で勝利した。日本の世界ランク16位(当時)に対して、イタリアは6位、スコットランドは11位。ワールドカップの男子同様、格上の相手に、アウエーでの1勝1分は女子の未来を明るくする。
前主将だった聖奈は2試合とも初めてフランカーで先発した。これまでのスクラム最前列から最後尾の三列目に下がる。
「ヘッドコーチが変わって、サイズが大きくないのでフランカーに挑戦したらどうか、という打診がありました。私はこの年で新しいポジションにチャレンジできる、とワクワクしています」
チームを指揮するレスリー・マッケンジーは、164センチ、69キロの聖奈の生きる道を考えた。テストマッチ2試合では先発させた。ポジションを複数こなせられれば、チームとしての選択肢も広がって来る。
国際試合が終了した聖奈の目標は15人制の「第6回15人制日本選手権」を制することだ。決勝は来年2月に行われる。関西予選は2試合。名古屋レディースと合同チームと対戦する。
三重パールズは年度初頭の目標に「3冠」を掲げた。にもかかわらず、太陽生命シリーズの年間優勝、秋の国体優勝を逃した。それだけに最後のタイトルはなんとしても獲りたい。
「自分たちが楽しまないと、見ている人も楽しくありません。いいプレーも生まれません」
バーバリアンズで得た教訓を勝利につなげたい。今年5月、練習中に見舞われた右足首骨折は完全に治った。世界と戦った経験をこの愛するチームのために注ぎ込む。
取材・文:鎮勝也
(しずめかつや)1966年(昭和41)年生まれ。大阪府吹田市出身。スポーツライター。大阪府立摂津高校、立命館大学産業社会学部を卒業。デイリースポーツ、スポーツニッポン新聞社で整理、取材記者を経験する。スポーツ紙記者時代は主にアマ、プロ野球とラグビーを担当