金田正一400勝の秘密!先発、救援と「殿堂入り2人分」の活躍 | FRIDAYデジタル

金田正一400勝の秘密!先発、救援と「殿堂入り2人分」の活躍

今年、86歳で鬼籍に入った不世出の大投手・金田正一。なぜ400もの白星を挙げることができたのか。記録を仔細に見てみると・・・。

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1964年のオールスター戦で7奪三振と大活躍し、殊勲、優秀投手賞に輝く国鉄の金田正一投手(神奈川・川崎球場)
1964年のオールスター戦で7奪三振と大活躍し、殊勲、優秀投手賞に輝く国鉄の金田正一投手(神奈川・川崎球場)

今年も多くの野球人が物故したが、中でも大きなショックとなったのが史上最多の400勝を挙げた金田正一の逝去だろう。1933年生まれ、86歳だったが、今年に入ってもメディアで健在ぶりを示していただけに野球ファンに衝撃を与えた。

プロ野球にはアンタッチャブルとされる記録がいくつかあるが、金田の「400勝」は、王貞治の「868本塁打」とともに双璧だろう。
今では金田の半分の「200勝投手」でさえ絶滅危惧種とされる。何しろ現役最多勝は、石川雅規の171勝なのだ。金田と石川はともに「スワローズの左腕エース」だが、その差はあまりにも大きい。

金田はいかにして「400」もの白星を挙げることができたのか。金田の成績を先発・救援に分けることでその秘密が見えてくる。

プロ野球は昭和期の試合ごとの詳細なデータは公表していない。以下のデータは野球研究家・田畑智則氏が国立国会図書館に通って当時のスポーツ紙のデータから数字を拾って作成したものだ。
1950年代前半は、自責点を記載していない記事が多く、防御率が不明な年がある。あくまで非公式記録だ。
セーブ(SV)、ホールド(HD)は現在の基準でつけたものだ。

1950年 国鉄
先発20試6勝9敗135回 率
救援10試2勝3敗1SV 0HD 29.2回 率
1951年 国鉄
先発44試19勝19敗319回 率
救援12試3勝2敗4SV 0HD 31回 率
1952年 国鉄
先発41試18勝19敗286.1回 率
救援23試6勝6敗5SV 0HD 71.2回 率
1953年 国鉄
先発33試19勝11敗266.2回 率
救援14試4勝2敗5SV 0HD 37回 率
1954年 国鉄
先発39試19勝19敗304.1回 率
救援14試4勝4敗3SV 0HD 41.1回 率
1955年 国鉄
先発37試22勝14敗318.1回 率
救援25試7勝6敗6SV 1HD 81.2回 率
1956年 国鉄
先発29試13勝14敗242.1回 率
救援39試12勝6敗16SV 0HD 125回 率
1957年 国鉄
先発35試17勝13敗275.1回 率1.83
救援26試11勝3敗4SV 0HD 77.2回 率0.93
1958年 国鉄
先発31試19勝9敗253.1回 率1.35
救援25試12勝5敗6SV 0HD 79回 率1.14
1959年 国鉄
先発25試9勝13敗188.1回 率2.77
救援33試12勝6敗9SV 1HD 116回 率2.17
1960年 国鉄
先発31試12勝17敗252.2回 率2.42
救援26試8勝5敗7SV 0HD 67.2回 率3.19
1961年 国鉄
先発32試15勝13敗262.2回 率2.23
救援25試5勝3敗9SV 1HD 67.2回 率1.73
1962年 国鉄
先発30試14勝13敗263回 率1.81
救援18試8勝4敗4SV 0HD 80.1回 率1.46
1963年 国鉄
先発30試18勝11敗248回 率2.18
救援23試12勝6敗2SV 0HD 89回 率1.42
1964年 国鉄
先発31試19勝10敗268.1回 率2.85
救援13試8勝2敗3SV 0HD 41.2回 率2.38
1965年 巨人
先発17試8勝5敗121.2回 率1.70
救援11試3勝1敗2SV 0HD 20回 率2.70
1966年 巨人
先発12試1勝5敗60.1回 率3.73
救援7試3勝1敗3SV 0HD 24回 率2.63
1967年 巨人
先発22試12勝5敗144.2回 率2.49
救援11試4勝0敗5SV 0HD 25.1回 率1.07
1968年 巨人
先発19試6勝7敗103.1回 率4.09
救援13試5勝3敗2SV 1HD 35回 率1.54
1969年 巨人
先発11試2勝3敗56.2回 率3.97
救援7試3勝1敗0SV 0HD 15.2回 率5.17
通算 
先発569試268勝229敗4370.1回 率
救援375試132勝69敗96SV 4HD 1156.1回 率

金田正一だけではないが、当時のエースは先発の傍ら、救援でもマウンドに上がるのが普通だった。金田正一もローテーションの合間に救援投手としてマウンドに上がっていた。

今の救援投手はほとんどが1イニング、長くても2イニングほどだが、金田はロングリリーフすることが多かった。
金田は他の先発投手が好投していても5回未満で降板させて、勝ち星を得たと言われたが、キャリア前半にはそういうケースは少ない。同点のままマウンドを引き継いで最後まで投げることが多かった。
しかし1960年代に入ると先発投手の勝ち星を奪う例が散見される。例えば1962年9月9日の中日球場の中日-国鉄戦では、先発して3回まで零封していた巽一(たつみはじむ)が降板して4回から金田が登板して6回を零封し、19勝目を挙げている。

金田の400勝目は巨人移籍後の1969年10月10日、後楽園球場の巨人-中日戦だが、この試合も城之内邦雄が4回まで自責点1で投げて、この間に巨人が3点を奪うと5回から金田が登板して9回まで5イニングを自責点1で投げて得た白星だった。

金田は1951年から64年までNPB記録である14年連続20勝を記録している。これもアンタッチャブルだが、先発だけに限ればこの間、1955年に22勝を挙げているがあとは10勝台だ。救援での勝ち星があっての記録だったことがわかる。

通算セーブ数は96、救援登板が多いわりに少ないように思えるが、セーブは「先発投手が勝利の権利を得た後から登板して試合終了まで投げる(完了)」ことでつく。金田は先発投手が勝利の権利を得る前に登板することが比較的多かったので、それほど数字は伸びなかった。それでも96セーブは、1974年にセーブが公式記録として導入される以前では、最多とされる。

巨人に移籍後も金田は先発、救援で投げるが、徐々に先発での防御率が悪化する。
これは大投手によくみられることだが、キャリア晩年に入ると先発より救援で力を発揮することが多くなるのだ。
体力が落ちて先発で好投するパワーはなくなるが、経験値があるので短いイニングなら切り抜けることができるようになるのだ。

先発で268勝、救援で132勝96セーブ、これは優に大投手2人分の記録だ。今の基準なら2人とも殿堂入り候補になるだろう。

改めて思うのは「もうこんな投手は二度と出てこない」ということだ。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

  • 写真時事通信社

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