【安倍総理は必読】野心を持つが国家と国民を愛した政治家は誰?

『歴史劇画 大宰相』第二巻「鳩山一郎の悲運」 解説:佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

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『歴史劇画 大宰相』「第二巻 鳩山一郎の悲劇」の登場人物(一部) さいとう・たかを(著・原作)

今の日本は小粒な政治家ばかりで、父や祖父の業績を汚しているかのような二世・三世政治家に溢れている。

「今しかない!」というタイミングで、さいとう・たかを氏の“異色作”『歴史劇画 大宰相』が蘇った。『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』などで知られる人気劇画家が描くのは「狙撃手」でも「火付盗賊改方長官」でもなく歴代の「首相」たちである。

原作は、政治評論家の戸川猪佐武(いさむ)による実録政治小説『小説 吉田学校』(全8巻)。1983年には同名タイトルで映画化され、『日本沈没』『八甲田山』などで知られる森谷司郎が監督を務めた。プロデューサーは山本又一郎。主人公・吉田茂森繁久彌が演じ、最大の政敵である三木武吉若山富三郎が扮した。

小説、映画と展開する話題作を、さいとう・たかを氏が全10巻の『歴史劇画 大宰相』として仕上げた。そして現在、第1巻「吉田茂の抗争」、第2巻「鳩山一郎の悲運」、第3巻「岸信介の豪腕」までの復刊が決まっている。

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『歴史劇画 大宰相』第2巻の主な登場人物①(登場順)

佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)は、第2巻「鳩山一郎の悲運」の解説に次のように記している。

(前略)本書で扱っている時期の保守政治家は、吉田茂であれ鳩山一郎であれ、共通の土俵に立っていた。それは、日本で社会主義革命が起きることをいかにして避けるかという命題だ。

吉田茂は、後に「吉田ドクトリン」と呼ばれる外交戦略をとることが、日本の国益を極大化すると考えた。その戦略の内容は以下のようなものだ。

1.東西冷戦下で、日本を西側資本主義国の一員と位置づける。従って、日米同盟が外交の基調になる。

2.安全保障はアメリカに依存し、日本の防衛力は最小限にする。

3.経済外交を重視する。

従って、講和(平和)条約では、社会主義国を含む全面講和論を排し、西側諸国だけとの講和を先行させるというアプローチをとった。

本書で詳しく説明されているが、サンフランシスコ平和条約を締結する過程でアメリカのダレス特使から、大規模な再軍備を迫られたのに対して、それを拒否した。憲法9条の規定を最大限に活用し、日本の国力が再軍備化によって疲弊することを回避したのである。この選択によって、日本の高度経済成長が可能になった。

鳩山は、吉田ドクトリンとは異なる日本の発展モデルを考えていた。憲法を改正し、軍隊を保持すべきと考えた。また、イデオロギーよりも地政学を重視し、ソ連、中国などの社会主義国との関係正常化を急ぐべきであると考えた。健康不安を抱える鳩山に代わり、ソ連との国交正常化に尽力したのは河野一郎だった。
(中略)
強力な意志を持つためには、思想と具体的な獲得目標がなくてはならない。鳩山の場合、その思想が友愛精神だった。さらに国連加盟とシベリア抑留者の帰国を実現するという具体的な目標があった。さらに鳩山の意志を体現し、ソ連側を相手に粘り強い交渉を行う政治的基礎体力がある党人派の政治家・河野一郎農林相がいたので、日ソ国交回復は可能になったのだ。日ソ国交回復交渉における河野農林相の働きは、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗そして安倍晋三の4政権において、鈴木宗男が果たした役割を髣髴させる。

鳩山一郎、吉田茂、河野一郎など、強い野心を持つが、同時に日本国家と日本国民を心から愛した政治家がいたことを忘れてはいけない。(2019年7月31日記)

『歴史劇画 大宰相』第2巻の主な登場人物②(登場順)

佐藤氏の解説(の一部)をお読みいただくとお分かりの通り、『大宰相』の時代にと、我々が生きる時代とは完全に地続きで、そこで描かれた課題が、今やより重大な課題としてのしかかっていることに驚く。そして『大宰相』に登場する政治家たちの二世議員や三世議員の活動の有り様を見ると、複雑な想いを禁じ得ない。

10巻全てが復刊されると、第4巻「池田勇人と佐藤栄作の激突」、第5巻「田中角栄の革命」、第6巻「三木武夫の挑戦」、第7巻「福田赳夫の復讐」、第8巻「大平正芳の決断」、第9巻「鈴木善幸の苦悩」、第10巻「中曽根康弘の野望」となり、ある世代の人々には懐かしい大宰相たちの生き様が俯瞰できる。

若い読者はもちろんだが、安倍晋三総理や麻生太郎副総理にも、この正月休みを利用してしっかりと読んでもらい、祖父や父たちの真摯な働きっぷりを噛みしめて欲しいところだ。

『歴史劇画 大宰相』第2巻の主な登場人物③(登場順)
『歴史劇画 大宰相』第2巻の主な登場人物④(登場順)

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《解説:全文掲載》 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

※無断転載厳禁

本書には「鳩山一郎の悲運」というサブタイトルが付けられているが、内容は1951年のサンフランシスコ平和条約締結の準備過程から、吉田茂と鳩山一郎との激しい権力闘争を経て、1954年12月に鳩山内閣が成立するまでを描いている。鳩山の歴史に残した最大の業績は、1956年の日ソ国交回復であるが、その経緯は、第三巻で扱われることになる。

 

本書を深く理解するためには、作品の背景にある歴史認識を押さえていなければならない。日本近代史に関しては、大きく分けて二つの見方がある。いずれもその鋳型(いがた)を作ったのは1930年代のマルクス主義者だ。

 

第一の見方は講座派によるものだ。1932年5月から33年8月にかけて岩波書店から『日本資本主義発達史講座』が刊行された。この講座には、野呂栄太郎、服部之総(しそう)、羽仁五郎、平野義太郎、山田盛太郎ら、当時、非合法化されていた日本共産党(国際共産党日本支部)の立場を支持する学者たちが参加した。明治維新は、絶対主義制度の確立で、日本は天皇を中心に地主と官僚と軍部によって支配される前近代的な封建国家なので、ブルジョア(市民)革命が必要で、その後、社会主義革命を行うべきとの二段階革命論が講座派の主張だった。

 

第二の見方は労農派によるものだ。『労農』は、1927年12月に創刊され、向坂逸郎、山川均、荒畑寒村、大内兵衛、土屋喬雄、大森義太郎など非共産党系マルクス主義者(社会民主主義者)が執筆陣に加わった。『労農』は、32年6月で終刊したが、後継誌の『前進』が同年7月から33年7月まで続いた。労農派は、明治維新を不完全であったがブルジョア革命と考えた。そして、日清戦争、日露戦争の勝利によって日本は帝国主義国となった。天皇制は、資本主義システムに吸収されている。従って、日本ではただちに社会主義革命が可能であるとの一段階革命論を主張した。

 

また、労農派は、日本共産党のような非合法政党を作ることは、非現実的で、社会主義者の広範なネットワーク(共同戦線党)を合法政党と労働組合に形成すべきであると主張した。また、日本でファッショ化の危機が迫っているので、マルクス主義者、非マルクス主義社会主義者、自由主義者などで反ファッショ人民戦線を形成すべきと呼びかけた。これに対して講座派は、左翼陣営で共産党の覇権を確立することを重視し、社民主要打撃論に立って、政府に対してよりも労農派に対する闘争を重視した。

 

社会主義陣営の内輪もめは、当時の政府にとって都合が良かった。労農派と講座派を争わせ、疲弊させた上で、特別高等警察(特高)が両者を徹底的に弾圧した。1936年7月にコム・アカデミー事件で講座派系の学者が逮捕、投獄された。37年12月と38年2月には労農派系の学者が逮捕された。こうして戦前の公共圏から、マルクス主義は追放された。

 

1945年8月の敗戦によって、日本の知的環境は大きく変化した。マルクス主義が社会のトレンドになった。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、天皇制打倒を強く訴えていた講座派系の理論に少なからず依拠した。不在地主をなくす農地改革がその例だ。もっとも、GHQと日本共産党の協調時代は長く続かなかった。アメリカとソ連の間で冷戦が始まるとともに、GHQは日本共産党に対する大規模弾圧(レッドパージ)を始める。

 

戦後の講座派は、まず、アメリカ帝国主義と売国的な日本の政府と買弁資本家(外国資本に従属して利益をあげ、自国を圧迫する資本家)を打倒して、民族独立を達成すべきで、それから社会主義革命を起こすべきと主張した。戦後においても二段階革命論を展開したのである。

 

これに対して、労農派は、日本は高度に発達した資本主義国で、日本の政府や財界は、アメリカと良好な関係を構築することが自らの利益に適うので、そうしているに過ぎない。そして、日本の社会主義革命は議会とデモを通じて流血を避けて行うことが可能であるという見通しを示した。ここでも一段階革命論が維持されている。

 

現下の日本の論壇で、日本はアメリカに完全に従属しているという見方をする。すなわち無意識のうちに講座派的な思考をしているのだ。一方、本書を含む『大宰相』シリーズは、日本国家の自立性を強調する、労農派的な見方に立っている。

 

本書で扱っている時期の保守政治家は、吉田茂であれ鳩山一郎であれ、共通の土俵に立っていた。それは、日本で社会主義革命が起きることをいかにして避けるかという命題だ。

 

吉田茂は、後に「吉田ドクトリン」と呼ばれる外交戦略をとることが、日本の国益を極大化すると考えた。その戦略の内容は以下のようなものだ。

 

1.東西冷戦下で、日本を西側資本主義国の一員と位置づける。従って、日米同盟が外交の基調になる。

 

2.安全保障はアメリカに依存し、日本の防衛力は最小限にする。

 

3.経済外交を重視する。

 

従って、講和(平和)条約では、社会主義国を含む全面講和論を排し、西側諸国だけとの講和を先行させるというアプローチをとった。本書で詳しく説明されているが、サンフランシスコ平和条約を締結する過程でアメリカのダレス特使から、大規模な再軍備を迫られたのに対して、それを拒否した。憲法9条の規定を最大限に活用し、日本の国力が再軍備化によって疲弊することを回避したのである。この選択によって、日本の高度経済成長が可能になった。

 

鳩山は、吉田ドクトリンとは異なる日本の発展モデルを考えていた。憲法を改正し、軍隊を保持すべきと考えた。また、イデオロギーよりも地政学を重視し、ソ連、中国などの社会主義国との関係正常化を急ぐべきであると考えた。健康不安を抱える鳩山に代わり、ソ連との国交正常化に尽力したのは河野一郎だった。
鳩山の命を受け、ソ連との国交正常化交渉に日本政府の全権として参加した松本俊一は、回想録にこう記している。
松本は、日ソ国交回復を可能にしたのは、鳩山首相の強力な政治的意志だったと強調する。

 

〈河野さんは、外交こそ素人であったけれども、内政で鍛えた腕前は、相手がブルガーニンであろうと、フルシチョフであろうと、またイシコフであろうと、臆するところなく日本の主張を述べて、なんとか、これを先方にのませるだけの手腕を示したことは、全く感嘆のほかないのである。この点は、従来の霞ケ関の伝統を踏む外交官が、ともすれば相手に呑まれて譲歩するか、あるいはむやみに強いことばかりいって交渉を破局に導くか、つまり人間同士の交渉について修練や胆力の足りないうらみがあったのに比べると、天性の外交家ともいうべき概おもむきがあった。ことに漁業交渉の際におけるブルガーニン、フルシチョフとの対話、あるいは最後のモスクワ交渉における領土問題に関するフルシチョフとの渡り合いはまことにみごとであって、河野さんならではあの成果はあげられなかったであろうと、舌をまいた次第である〉(松本俊一著/佐藤優解説『増補・日ソ国交回復秘録 北方領土交渉の真実』朝日新聞出版、2019年、177〜178頁)

 

鳩山は、車椅子でモスクワを訪問し、1956年10月19日に、ブルガーニン・ソ連首相等と「日ソ共同宣言」に署名した。その第9項にはこう記されている。

 

〈日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする〉

 

2018年11月14日、シンガポールで行われた安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領との会談で、両首脳は1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることに合意した。こうして、歯舞群島と色丹島の日本への引き渡しを軸にして、日本とロシアが北方領土問題を最終的に解決する機会が到来している。
前出の松本は、鳩山が日ソ国交回復に文字通り命を懸けたのには3つの理由があったと考える。

 

〈私のみるところでは、鳩山さんの熱意は、第一には鳩山さんがいわゆる友愛精神というものを生活並びに政治の信条として、平和に対してもあくことのない追求する心がけをもっておられたことにあると思う。つまりサン・フランシスコ平和条約の成立によって、日本はいわゆる自由諸国との間には平和が達成されたけれども、日本の隣国である強国ソ連と戦争状態がそのままになっておるということは、日本の平和、世界の平和のためにもおもしろくないと深く考えていたようである。

 

第二の理由は、日本の国際的地位の向上と自主独立の完成ということを念願していて、日本がソ連との国交正常化が未完成のために国連に加盟出来ないということは、日本の地位と発言権に対する大きな障害であって、この障害を取り除くことが鳩山さんの使命と考えておったようである。

 

第三に鳩山さんは、政治の要点はあくまで国民の生命と福祉とを守り抜くことにあると考え、戦後十数年を経ていて、いまなお異郷に抑留されておる数多くの人たちとその家族の心情を察する時は断腸の思いをするということを常にいっておったが、これがソ連との国交回復に鳩山さんの心をゆり動かした第三の理由であると思われる。抑留の是非や、責任などの理屈を超越して、一刻も早くこれら犠牲者たちの帰還の実現をはかることこそ政治家の任務である、と鳩山さんは堅く信じていたようである〉(前掲書173〜174頁)

 

強力な意志を持つためには、思想と具体的な獲得目標がなくてはならない。鳩山の場合、その思想が友愛精神だった。さらに国連加盟とシベリア抑留者の帰国を実現するという具体的な目標があった。さらに鳩山の意志を体現し、ソ連側を相手に粘り強い交渉を行う政治的基礎体力がある党人派の政治家・河野一郎農林相がいたので、日ソ国交回復は可能になったのだ。日ソ国交回復交渉における河野農林相の働きは、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗そして安倍晋三の4政権において、鈴木宗男が果たした役割を髣髴させる。

 

鳩山一郎、吉田茂、河野一郎など、強い野心を持つが、同時に日本国家と日本国民を心から愛した政治家がいたことを忘れてはいけない。(2019年7月31日記)

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