サッカー早川史哉 白血病から復帰「今後も病気と付き合っていく」
急性白血病の宣告を受けて3年7ヵ月。壮絶な闘病生活を経て、公式戦のピッチに戻ってきた
2019年10月5日J2第35節、アルビレックス新潟のホームスタジアム「デンカビッグスワン」のピッチに立った早川史哉(25)は、こみあげる涙をこらえ、必死に平静を装っていた。
「俺らと共に戦おう」
サポーターのチャント(応援歌)が痛いほど胸に刺さる。「急性白血病」と宣告されてから、3年7ヵ月。凄絶な闘病生活を経て、ついに戻ってきた公式戦のピッチだった――。
新潟で生まれ育った早川は、ジュニア時代から県内では知られた存在だった。中学時代にアルビレックスのユースチームに加入。本人曰く、「練習すればするだけ上手くなった」という。
全国的に早川の名前が認知されたのは、メキシコで開催されたU-17のW杯だ。現A代表の中島翔哉や南野拓実、室屋成、植田直通らと共に戦った早川は3得点を挙げ、ベスト8入りの原動力となった。
指導者としての勉強をするため筑波大学に進学。その後、アルビレックスに加入し、’16年2月の開幕戦でさっそくスタメンに名を連ねる。だが、この頃から身体には異変が起き始めた。
「最初は、少し疲れが取れにくいな、くらいのものでした。それが練習中のダッシュなどでも息切れして、満足いくプレーが全くできなくなった。毎日体力が1割ずつ減っていく感覚です。プロの重圧ゆえと考えて、誰にも相談しませんでした。でも、喉と鼠径部の痛みは日に日に増していき、ついに練習への参加も止められたんです」
異様なまでに喉が腫れ、食事すらままならなくなった早川は、’16年4月、新潟市内の病院で検査を受けることになった。何度かの検査の結果、下された診断は「急性白血病」。しかし早川は、絶望や恐怖よりも先に、安堵を覚えたという。
「だから、こんなにつらかったんだと、安心したんです。思い通りにプレーできない自分が歯がゆくて、大好きなサッカーも嫌いになりかけていた。でも、動けなかったのは俺のせいじゃなく、病気のせいだったんだ、と。自分が戦うべき相手がわかり、割り切ってその病気と戦おうと思いました」
5月13日からスタートした入院生活は、心身共に苦痛を伴うものだった。抗がん剤の副作用により髪は抜け落ちて、味覚障害に陥り、身体は無気力感に支配された。筋力も急激に落ちた。
本当に選手に復帰できるのか――。何度も心が折れそうになった早川にとって希望となったのは、周囲の支えだった。
「史哉に現役を続ける意志があればクラブは復帰までサポートしたい」
そう力強く伝えてくれた神田勝夫強化部長と相談し、6月13日、クラブのHPに急性白血病であることを公表。その後、しばらく早川の携帯電話は励ましのメールや電話が鳴り止まなかった。
11月中旬、血液をつくり出す細胞を投与する「造血幹細胞移植」を行った後も、再発の恐怖が繰り返し襲った。早川がようやく退院を果たしたのは、’17年6月だ。だが、復帰へ向けトレーニングを再開してからも、打ちのめされることの連続だったという。
「少しのランニングでも身体が痛くなって、常に再発の恐怖が頭から離れない。もうね、自分の身体なのに、自分の身体じゃないみたいなんです。ボールも重く感じて、頭のイメージに身体が全くついてこない。『プロサッカー選手』にほど遠い自分の現状を思い知らされて鬱状態になりました。それでもやはり、もう一度ピッチに立つことは諦めたくなかった」
退院から半年後にクラブハウスに戻り、ユースチームに交じり汗を流した。ユースの練習についていくのにも1年を要した。一進一退しつつもトップチームへの合流を果たし、’18年11月には契約凍結解除が発表された。そして、’19年10月5日、実に1287日ぶりに早川は公式戦のピッチに戻ってきた。右サイドバックでスタメン出場すると、追加点の起点となるなど勝利に貢献した。
「試合中に相手と接触したときの痛みで、やっとこの舞台に帰ってこられた、という幸せを何度も感じました。この感覚はもう言葉で表すことはできません」
闘病生活を経験したからこそ、見えてきたものもある。
「今でもロングボールの対応やスピードの感覚にはズレがあるし、守備の部分もまだまだ足りない。ただ、サッカーから離れたことにより流れを読む能力は伸びたと思います。感覚的にはまだ7割くらいですが、頭と身体のズレを少しずつ改善したい。そして、チームをJ1の舞台に復帰させるための戦力でありたいです」
『そして歩き出す』
早川は発売中の自著『そして歩き出す』の中で、一度も〝病気を乗り越えた〟という表現を用いていない。その理由をこう話す。
「白血病には完全に治るという概念はありません。再発はもしかしたら試合中かもしれない。その恐怖とずっと向き合わないといけないんです。だから、僕は乗り越えたとは思っていない。今後も白血病と付き合っていくしかありません。生死の境をさまよったからこそ、生きることがどれだけ幸せかわかった。僕はこれからも、僕の人生に素直に、着実に前へと歩き出していきます」
不屈の精神で早川は、走り続ける。
『FRIDAY』2019年12月27日号より
- 撮影:小松寛之