東京湾に豪華クルーザー 在日中国人社長“どん底からの成功物語”

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愛船「KOYO]内でピアノを弾く露崎強社長。音楽学校に通っていただけあり一流の腕前だ

‘00年に32万人ほどだった在日中国人は、今や3倍の100万人に迫る勢いだ。中には裸一貫で来日し、売上高100億円の企業トップへ上りつめた人物もいる。紹介するのは、学校やホテル、旅行会社など幅広い事業を手掛ける「シーエイチアイ」社長・露崎強氏(57、中国名は那強・ナーチャン)だ。ジャバニーズドリームを実現した、「華人一の富豪」と呼ばれる男の物語である――。

露崎氏が記者を招き入れたのは、ダブルベッドの置かれた寝室もある自家用の豪華クルーザーだ。価格は約14億円。船体は4階建てで長さは30m近くある。露崎氏が、船内に設置されたピアノを弾きながら笑顔で語る。

「月に何度か友人たちを呼び、ここでパーティを開いています。海から眺める東京の高層ビル群の風景は最高ですよ。船舶免許を取得し自分で操縦もします」

露崎氏の創業したシーエイチアイは全国に10ほどの高級ホテルを所有し、従業員は1000人以上。外国人観光客を相手に、インバウンドビジネスを展開している。だが’87年に来日当初の露崎氏は、一介の苦学生だった。

「私は北京で音楽を学ぶ学生でした。当時の日本はバブル景気が始まり、多くの中国の若者がジャパニーズドリームを夢見て来日していた。私もその一人です。しかし、成田空港に降り立った時の所持金は、わずか5000円。夢の実現にはほど遠い状態でした」

露崎氏は、風呂ナシでトイレ共同の6畳一間を友人とシェアし日本での生活を始める。牛乳配達のアルバイトで生活費を稼ぎ、中華料理店、国際結婚紹介所、航空券販売店など様々な仕事場で働いた。

「漁師に怒鳴られながら、漁場で魚をさばいたこともあります。貧しいどん底状態でしたが、苦しいとは思いませんでした。まだ若かったですし、憧れの日本で働けるのが楽しかった。遊びに行った記憶などありません。毎日、ひたすら働いていました。なんとか日本でビジネスを成功させ、日中の架け橋になろうという思いがあったんです」

シーエイチアイ本社でインタビューに答える露崎社長。倒産したホテルなどを買収し中国人観光客向けにリニューアルしている

転機は’01年に訪れる。当時、バルブ崩壊の後遺症を引きづっていた日本では不動産価格が低下。多くの競売物件が出ていた。露崎氏は、これに目をつける。東京や千葉で安価な物件を購入し、急増する中国人留学生のために日本語学校を開設したのだ。露崎氏は、アッと言う間に10棟のビルを保有することになる。

「爆買いの中国人観光客が増えていた時期なので、’04年からは観光業にも乗り出しました。破産した旅館やホテルを低額で買収したんです。ただ、日本の経営をマネしているだけでは成功しません。あくまで、中国人観光客をイメージしてリニューアルしました。中国人は日本の小さな作りの部屋を好みません。例えば富士山麓のホテルの最上階は、すべて100平方m以上の大部屋に。シングルベッドの幅は1.4m。背の高い中国北部の人たちのために、掛布団の長さも2m30cmにしたんです。客室内の電圧を変え、中国の電気機器のプラグをそのまま使用できるようにもしてあります」

買収した千葉県木更津のホテルには、巨大な門を設置し金文字で「東京湾花園酒店」と大きく刻字。中国式のド派手なデザインは、近隣住民の度肝を抜いた。

「『郷に入れば郷に従え』という言葉通り、外国人も日本の習慣にならうべきだという人もいます。日本に長期滞在するのなら、その通りでしょう。しかし、わずか数日間の旅行なら慣れない習慣に煩わされず気持ちよく過ごしてもらいたい。第一に考えるべきは、中国人観光客というお客様へのより良いサービスだと思います」

中国経済の拡大で、露崎氏の会社はさらなる成長傾向にある。来日時に所持金わずか5000円だった若者がかなえたジャパニーズドリームは、まだまだ続く。

みずからクルーザーを操縦。東京湾を自由に走行する
クルーザー内の寝室。ゆったりしたつくりでゲストなどが泊まるという
クルーザーの船首に立つ露崎社長。エンジンを3つ搭載した本格船だ
  • 撮影小松寛之

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