ラグビー田村優が初めて明かすW杯中にリーチ主将と交わした言葉

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12月11日、東京・丸の内をパレードしたときの集合写真。「ONE TEAM」の根底には田村優(右端)とリーチマイケル(左端)が支え合いがあった(時事通信)

今年のスポーツシーンで一番脚光を浴びたのは、ワールドカップ(W杯)で史上初めてベスト8に入ったラグビー日本代表だろう。チームスローガンの「ONE TEAM」は流行語大賞にも選ばれた。日本人のみならず、海外出身の選手が複数いる多国籍軍の中心にいたのが背番号10の田村優だった。前評判を覆して快進撃を果たすまで、指令塔の重圧、そして同学年の盟友、リーチマイケル主将との知られざる秘話を赤裸々に語った。

W杯開幕前は世界ランク1位だったアイルランドを撃破し、格上の伝統国、スコットランドにも勝って躍り出た決勝トーナメントの舞台。準々決勝は、この大会で優勝した南アフリカに敗れたが、それまでの快進撃の道のりは、ファンもメディアの予想もはるかに上回るものだった。田村が当時の心境を振り返る。

「僕は(グループリーグを)4連勝するつもりでいました。選手は試合に出る、出ないに関わらず、スタッフも含めて本当にチームとして成長したので、(勝因として)個人より全体の力が大きかったと思います。(ラグビーを)国民的なスポーツにしたいとか、みんなの憧れになりたいと思っていた選手もいました。どれだけ自分たちがいいスポーツをしているかというのを見せられたと思っています」

周囲の期待をいい意味で裏切ろうとすれば、その分、指令塔が背負うものは重くなり、孤独になる。しかしそれも田村にとっては想定内のことだった。W杯に備えて行われた夏場の宮崎合宿中、2015年のイングランドW杯で宿舎の同部屋で、大会のヒーロー的な存在になった五郎丸歩(ヤマハ発動機)から電話をもらった。

「気にかけて連絡をしてくれて……。結構キツイ合宿中だったので、(自分の疲れている表情を見て)『いい感じだね』って笑ってましたけど(笑)。4年前、彼の活躍を目の当たりにして、どういうプレッシャーがかかるかもそばで見ていた。そっくりそのまま同じものが来るとは思っていたんです」

そのプレッシャーは現実のものとなる。W杯開幕前最後のテストマッチとなった9月6日の南アフリカ戦後からはじまった。

「3、4日休みがあって、その後練習を再開したんですが、その休みからうまくいかなくなりましたね。休みでも(試合のことを)気にしちゃって。僕は代表期間中は眠るときに睡眠導入剤を使っていたんですけど、それでも開幕戦のロシア戦を迎える前までの10日間ほどは寝られなかった。目の下にクマができて、みんなに『大丈夫?』と言われました」

ロシア戦の翌日、「緊張で死にそうだった」と田村が告白したちょうどその時期、実は主将のリーチマイケルも人知れず、けがと戦っていた。

「お互いにコーヒーが好きで一緒によく飲みに行っていたんです。彼は外(公の場)では個人的なことを言わない人なので、2人で一緒にいるときに『調子、どう?』とか聞くようにしていたんです。でも、ロシア戦ぐらいまではずっと『脚が痛い、脚が痛い』と言っていて……。ただ、ロシアに勝って2戦目のアイルランド戦の頃からはあまりそういうことを言わなくなりましたね。けがは簡単に治らないので、たぶん気持ちが集中モードに入ったのかなと思います。
それでもキャプテンとしてプレー以外のいろいろなことをやろうとし過ぎていたので、僕から彼に『自分のことだけに専念してほしい。試合ではタックルとボールキャリー(ボールを持って前進すること)だけ100%でやればいい』と。そして『ゲームのリードは僕がする。うまくいかなくなった時は二人で話し合おう』とも言っていたんです」

W杯の開幕戦のピッチに立つ経験は誰にでも訪れる場ではない。しかもホスト国の重圧の中で戦うとなるとなおさらだ。そこを30―10の勝利で切り抜けると、田村は重圧から一気に解き放たれた。

「ロシア戦が終わると『やっと終わった』『ここからはこっちのもんだ』という感じでした。だいぶリラックスできて、寝る時間もしっかりとれるようになりました。アイルランド戦前日も10時間、スコットランド戦前日は13時間ぐらい寝てますから。(グループリーグの)残り3戦は、早く試合がしたいというワクワクした気持ちを抑えるのが大変でした」

ウォーミングアップを終えた後、ロッカールームに戻るときの独特の隊列は日本代表の「ルーティン」となった(アフロ)

田村が平常心を取り戻し、盟友・リーチもけがを抱えながら戦闘モードのスイッチが入った。2人だけでなく、お互いがチームの為に身を削る、まさに『ONE TEAM』 の日々が田村にとって楽しかった。

「毎日が早送りみたいな感じで、どんどん過ぎて行ってしまいましたが、特にW杯は毎日、みんなでき得る最高の準備をしたと思いますし、プレッシャーがかかる状況を楽しんでいました。
 『ONE TEAM』はこのチームが発足して以来、3年間掲げてきたスローガンですが、
『ONE TEAM』になってきたなと感じたのはW杯に入ってからです。(流行語大賞に選ばれて)この言葉が色々なところで使われるようになりましたけど、そんなに簡単にできるものではないんです。
みんなが『チームのためだったら何でもやる』というスタンスで過ごしていて、試合に出る選手はもちろん試合の準備をするのですが、試合に出ない選手からアドバイスをもらったりすることもありましたし、ノンメンバーがミーティングして相手チームを分析し、その動きなどを僕たちに伝えてくれました。それって、自分のためじゃなくて、チームのためなんですよね。そういうことを何も躊躇なくできるチームでした。『どれだけこのチームのことが好きか』ということが出せた大会だったと思っています」

だからこそ、準々決勝で南アフリカに3―26で敗れると、普段は冷静沈着な田村は人目をはばからず、涙を流していた。

「2回目のW杯ですべて出し切ったというのもあります。もちろんプレッシャーはすごくありましたし、(ベスト8で)負けましたけど、(史上初の)決勝トーナメント進出という目標は達成したという複雑さ、やっと終わったというホッとした気持ちもありました。頑張ってきた仲間もいろいろな感情の人がいたことを覚えています。寂しかったですね」

田村は4年後のW杯フランス大会を目指すかどうかについては明言を避けているが、所属するキヤノンでの目標は明確だ。

「僕自身は引退するまでキヤノンにいたいし、40歳までプレーしたいですね。そうしないと仕事がないです(笑)。まだキヤノンは若いチームなので、今は日本人選手が(突出した力を持つ)外国人選手の出来を気にしているんですが、(勝つために必要なのは)そこではない。まずはキヤノンはどんなラグビーをするチームなのかというベースみたいなものを作っていかないといけない。
僕は今、メンタル的に少し疲れていますけど、これから3、4年は調子がいいと思います。10番(SO)は歳を重ねるごとによくなっていくものだと思っています。W杯で自信もつきましたし、いろいろなことを経験して、ようやく試合で自分の力を100%出せる状況になってきているという実感はあるので、やっと始まったという感覚です」

田村はキヤノンで目指すのは、自身初となる日本一。そのために、「ONE TEAM」を浸透させたい。田村の言葉を借りれば「日本代表がアイルランドに挑戦するより大変かもしれない」が、新年1月12日からはじまるトップリーグで田村の新たな挑戦がはじまる。

  • 取材・文齋藤龍太郎

    1976(昭和51)年生まれ。東京都中央区出身。編集者兼ライター。編集プロダクション「楕円銀河」代表。出版社でラグビーのムックを担当後に独立。2015年、2019年のラグビーワールドカップをフォトグラファーとして現地取材した。著書に『オールブラックス・プライド』(東邦出版)

  • 映像編集木村匡希

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