2つのサッカー界をリードした釜本姉弟対談「磨くべきは個の強さ」

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サッカー界の伝説のストライカー、釜本邦茂氏とブラインドサッカーを日本に最初に持ってきた釜本美佐子氏(右)。2人が会うのは一昨年5月以来だという

東京オリンピック、パラリンピックの年を迎え、サッカーU-23代表や全盲の人がプレーするブラインドサッカーにも注目が集まっている。釜本邦茂氏は前回1964年の東京五輪に出場し、1968年メキシコ五輪では銅メダルを獲得。国際Aマッチで75得点をあげて歴代1位となった日本を代表するサッカー選手だ。一方、姉の釜本美佐子氏(79)は、目の病気により70歳を過ぎて全盲になりながら、ブラインドサッカーを日本に最初に持ち込み、2018年10月に日本ブラインドサッカー協会理事長を退任するまで、普及に尽力したことはあまり知られてない。このほど実現した対談の中で、健常者、障がい者関係なく、共通して大切なことがあると訴えた。

――お互いにどんな存在?

邦茂 姉さんは僕にとって怖いよ、賢い人ですから。小さい頃、野球をやっていてエースで4番。川上哲治さん、藤村富美男さん、別当薫さんに憧れてね。ただ、小、中学生の先生方たちは放課後、ボール蹴りをすることが多くて、姉さんは小中学校の担任の先生に「(弟に)サッカーをやらせ」と言ったみたい……。サッカーをはじめたのは、姉さんの策略だった(笑)。もし、言われてなかったら野球やるつもりだったから。

美佐子 弟の名前がこれだけ有名になりましたから、私はよく「あの釜本邦茂さんの姉」と紹介されることが多いんですが、「いや、私の弟です」って言い返しますよ(笑)。

――邦茂さんが早稲田大学2年の頃に、1964年の東京オリンピック(五輪)を迎えます。

邦茂 当時はまだ日本代表に選ばれるかどうかはわからなかった。早大の1年生の時から試合出してもらって、ちょっと目立っていたんでしょう。千葉県検見川の東大グラウンドで3カ月間合宿があって、46人ぐらい来て、ふるいにかけて23人に絞る。最後にメンバーをA、Bの2つに分けて、Aはヨーロッパへ50日間、Bは東南アジアへ3週間行く。Aが五輪の主力になることは明らかだったわけです。メンバー発表とき、Aの最後ぐらいで呼ばれました。その後、ロシアに遠征したんですが、点取り屋の先輩の主力選手が試合でけがをして僕に出番が回ってきた。そのときに内心、(チャンスが)手のひらに乗ったと思ったね。

――邦茂さんの場合、1968年のメキシコ五輪の7得点がクローズアップされますが、その4年前の東京五輪でも初戦のアルゼンチン戦でアシストしました。

邦茂 僕は点を入れるのが仕事です。なのに前回の東京五輪では1点しか決められなかった。そのとき思ったのは、日本では一流の選手かもわからんけど、世界では三流の選手だって。そこからはどないして一流になれるかってずっと考えていました。

美佐子 弟が高校、大学、そして五輪前に海外遠征に行く頃は日本サッカー協会にあまりお金がなかった。だから母などと一緒に奉加帳を持ってご近所を回って、(遠征費を補う)ご寄付をいただいていました。

邦茂 一流になりたいという明確な目標を持てたのも、五輪に出られたから。(周囲の力で)出してもらったわけやから。あの有難さは今でもいろんなところで話をします。だから姉さんが、視覚障がい者に可能性を広げ、さらに夢も与えられるブラインドサッカーを持ってきたことはすごいと思うよ。

2015年、釜本美佐子氏は日本で行われたブラインドサッカーアジア選手権の記者会見に協会理事長として参加。黒田智成(左から3人目)は今回の東京五輪パラリンピックでも代表候補だ(写真:アフロ)

――ブラインドサッカーとの出会いを教えてください。

美佐子 私は長い間、ツアーコンダクターをやっていました。サッカーも好きだったので、ブラジルへ行ったら聖地のマラカナン競技場まで試合を見に行きました。ただ、ブラインドサッカーのことは知らなかった。でも1993年に50代で網膜色素変性症を患い、私が視覚障がい者になった後、視覚障がい者の仲間から「ブラインドサッカーを知ってますか」と聞かれて、韓国へ見に行ったのがきっかけです。2002年にサッカーの日韓のワールドカップ(W杯)があるタイミングで、視覚障がい者も何かやろうという動きがあったんです。

邦茂 サッカーは「目」が大事なんです。味方、敵の状況を含めてどれだけ周囲が見えているか。視界に入っていなくても、(敵の)気配を感じることも大切で、それも視覚情報がもとになる。だから見えない状態でプレーをすることは、僕も何度かやったことあるんですが、怖いし、すごいことだと思います。

美佐子 韓国に行ったとき、まだかすかに見えたんですが、視覚障がい者がサッカーやってるという驚きが先にあった。サッカーの魅力である、ボールを奪い合う闘争、そこにサイドラインのかわりになるフェンス際でぶつかり合う格闘技のような一面も加わり、健常者のサッカー以上にイマジネーションも必要。やっぱり、視覚障がい者にこういうサッカーの楽しみというものを知ってもらいたいと強く思いました。

邦茂 ゴールを重ねるために必要なことは、ゴールを入れるまでの脚本が書けるかどうか、ということだと思っていて、何通りかある脚本通りにボールが来たら点になる。どんなゴールも1人では入れられない。ブラインドサッカー選手の場合、周囲を目で見ることができない中でリアルな状況を見抜く「心眼」がないといいプレーができない。だから、健常者のサッカーに比べて、ブラインドサッカーのほうが、より「個」の力がチーム力に与える影響が大きいんじゃないかな。

美佐子 目で情報をとれない分、ゴール裏にいて指示を出す「ガイド」の声など、耳で聞こえる情報をもとにプレーするんですが、「個」の強さはブラインドサッカーの方がサッカー以上に必要でしょう。
最近は障がい者についての報道も増えて、関心を促す風潮が出てきていること自体、いいことだと思いますが、障がい者は周囲のサポートに甘えすぎてはいけない。選手だけでなく、障がいがある方は「自立しよう」という個の強さがなければ生き抜けませんから。

邦茂 プレーする上で仲間は大切だけど、組織を強くするのは個の強さだと思う。その辺りは姉さんの考えに近い。
現役時代、僕は点をとる役目だったので守備はしなかった。力として8しかないものを周りの人によって10にしてもらった部分もあるけど、そのかわり、ゴールを決めることに関してはこだわったね。
メキシコ(五輪)で銅メダルをとったときも、僕は初戦のナイジェリア戦は緊張していて、肩に衣紋掛けを背負っているみたいだったけど、「(周りが)釜本に点を入れさすんだ」と言って、前半23分に先制ゴールを決められて、その試合ハットトリック。大会得点王になるきっかけになった。個の状態が、チームにいい影響を与えた典型的な例でしょう。今の選手を見ていると、全員が守備もして攻撃もして、と全部同じようなことをしようとしているから、いわゆる「凄い」選手が出てきていない。

――五輪パラリンピックに出場する日本代表選手たちへメッセージはありますか?

美佐子 ブラインドサッカー日本代表は過去3度、パラリンピックに挑戦して出られず、今回初めて出られるので、当然勝ってほしい。でも、アルゼンチン、ブラジル、中国など世界の列強がズラっと出場していますので、まずは予選を勝ち抜いてほしい。そしてブラインドサッカーだけでなく、パラリンピックに出られる人にはぜひ悔いのない戦いをしていただき、自分たちの後輩がこの世界に入ってきたいと思える結果を残してほしいです。

邦茂 U-23代表は昨年12月、東アジア選手権の決勝で韓国に負けて準優勝でした。ヨーロッパ、南米にはもっと強いチームがいるわけだし、五輪本番では厳しい戦いが待っています。なので、個々の選手のコンディションを一番力が出る状態に持っていってほしい。
私が東京五輪に出たとき、サッカーはマイナー競技だった。バレーボールを観たいと思ってもチケットがとれず、チケットが手に入ったサッカーを観にくれた子供たちがサッカーをやりはじめて底辺が広がったんです。姉さんが言うように、ブラインドサッカーに関心を持ってもらう人を増やすためにも、選手たちには頑張ってほしい。「心眼」で状況を見抜き、見えない恐怖心を乗り越えてプレーする、僕らには真似できないスポーツも多くの人に見てもらいたいよね。

現役時代の釜本邦茂氏。ゴール前の迫力は群を抜いていた(写真:アフロ)

 

  • 撮影西﨑進也

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