一時は廃業危機 カフェ店主が被災地・千葉で再開を決断した理由
令和元年の千葉県房総半島は、過去最強と言われる台風15号、続いて19、21号にも襲われ、甚大な被害をこうむった。個人営業の飲食店や宿泊施設の廃業が相次ぐ中、全壊レベルの被害を受けた富津市金谷の古民家カフェ「えどもんず」は、同じ場所からの再出発を目指している。新年を迎え、千葉県内で古民家カフェを経営する佐藤修氏が、「えどもんず」のオーナー・青山清和氏に被害当時の心境や今後の展望を聞き出した。
被害の規模は東日本大震災を上回った
「生まれて初めての経験で、言葉も出ませんでした。吹き飛ばされた部材が散乱し、屋根が無くなり、テロ被害に遭ったようでした。頭の中で、まさに台風が暴れている感じでした」
強烈な台風15号が上陸した、2019年9月9日夜の出来事を、青山オーナーはこう振り返った。
その日の午後9時ごろ、珈琲豆の発送作業に集中していた青山オーナーは、並外れて強い風雨に恐怖を感じ、近所の知人宅に避難。翌朝、店を確認しに行くと、屋根が消え、店内が水浸しになっていた。剥がれ落ちたトタンは周囲の道路をふさぎ、近所の民家を直撃しているものもあった。亡き父がコレクションしていた葛飾北斎、円山応挙、藤田嗣治などの美術品も、雨水でズタズタに。所蔵していた美術品の被害額だけでも、10億円はくだらないと見られる。15号に続き、10月に上陸した台風19号もあわせると、被災地の被害額は計1778億円にのぼるという試算もある。政府は、激甚災害、特定非常災害などを適用。災害救助法を適用された自治体は14都県にのぼり、その規模は東日本大震災を上回った。
「えどもんず」の開店は、その東日本大震災(3・11)とは切り離せない。青山オーナーはひなびた雰囲気の富津市が大好きで、開店する前から頻繁にこの地を訪ねていた。しかし、3・11後、日本中の海辺から人影が消え、東京湾に面した金谷もゴーストタウンのように静まり返ってしまった。この状態を見捨てておけなかった青山氏は、岐阜県・白川郷から移築した合掌造りの古民家を活かし、カフェとして営業することを目指した。大手商社に依頼して、世界中から最上級の珈琲豆を取り寄せ、そのこだわりが「美味しい珈琲を飲ませる店がある」との評判を呼び、やがて繁盛店へと成長。NHKの番組にもとりあげられて知名度が上がり、1杯1500円という高価な珈琲が、週末や休日には1日200杯も売れる名店となった。
度重なる台風接近で、今まで積み上げてきたものが全て無に帰し、呆然としていた青山オーナーとスタッフだったが、散乱したトタンや部材を片付けないことには、何も始まらない。以来、苦行のような片付けの日々が続いた。「なんとか、店を再生させたい」という願いと、「廃業か・・」という思いが交錯する毎日。やり場のない気持ちに押しつぶされそうになりなったとき、支えになったのが、店のファンによる応援だった。12月までのボランティア支援は延べ約500人にのぼった。青山オーナーが続ける。
「毎日のように、缶詰やカップ麺、飲料水などを差し入れていただいて……。解体業を営む男性経営者が業務用の大型発電機を運び込んでくれて、照明や家電が使えるようになったし、多くのライダーが、ツーリングの際に立寄ってくれて、支援物資が運び込まれたこともありました。骨組みだけになった店舗を、特殊フィルムでラッピングしてくれた施工会社もありましてね。そこの会社の若い社長さんがわざわざウチに来てくれて、『ぜひお手伝いさせてくれませんか』と言ってくださった。消失した屋根の部分を『シュリンクシート』と呼ばれる特殊フィルムによってラッピングすることで、天候の影響を受けずに、屋根の下で、店内の片付けが効率よく進められるようになったんです」
被災地での再出発を後押ししたもの
10月29日には、ボランティアセンターに登録していたラグビーワールドカップの日本代表選手5人が現れた。HO堀江翔太、PR稲垣啓太、SH流大、SO松田力也、HO北出卓也はえどもんずを訪れると、雨水を吸い、約100キロの重さになった畳や廃材を、黙々と店外へ運び出してくれた。
「実は昨春(2019年3月)、日本代表の方々が千葉県市原市で合宿を行っていまして、合宿地にカフェカーを出し、選手たちに珈琲を提供したことがありました。ですから、代表選手が5人も現れた時は、『あれ、合宿の時のデジャブ―?。何が起きたの?』と(笑)。そして、こんなふうにご縁が続くこともあるのだなぁと。奇跡としか思えなかったし、言葉が見つからないほど感動しました。3度続いた台風には、えらい目に遭わされたけれど、多くのファンが駆けつけてくれ、小さな支援が積もり積もって、このような奇跡が起きたのだと思いました。そして、もっともっと大きなサプライズが続く予感さえしてきたのです」
店内の廃材をほぼすべて運び出した11月のある日、沈黙を続けていた合掌造りの店が、息を吹き返したように感じたのだという。支配人の美光さんが明かす。
「マスターも私も、合掌造りの古民家が大きく深呼吸したように感じたのです。生気を取り戻して『まだ生きているよ』『早く元に戻してよ』と訴えかけてきたというか・・。不思議な感覚で、私たちのスイッチもONされた瞬間でした」
12月15日、1日限定で屋外の屋台営業も行った。ハンドドリップとフレンチプレスで抽出した珈琲を提供した。SNSでの告知のみだったが、店舗の目覚めと2人の覚悟を知ったかのように、関東一円から150人を超えるお客が集まった。
「やはり、カフェを続けよう。えどもんずを再建する!」
「廃業」という2文字は脳裏から消え去り、「復活」へと突き進む決意で頭の中がいっぱいになった。
青山氏は今後、クラウドファウンディングにもチャレンジしながら、7月24日の東京五輪開会式へ向けて、再スタートしたいと思っている。
「もう後ろは振り向かない。将来は、メイドインジャパンの珈琲豆で世界を席巻してみたいんです。珈琲の実験室や研究所のような施設も作り、そこで輸入した豆の新たな加工法を確立させ、逆に世界へ向けて輸出販売するビジネスも展開したい」
まだ乗り越えるべきハードルはいくつもあるが、思いは「世界一のカフェ」。わずか3か月前、失意のどん底にいた青山氏は、多くのファンに支えられ、幾多の奇跡に遭遇して元気を取り戻した。夢を語りだした青山氏はきっと、新たな「ミラクル」を引き寄せて、えどもんずを「世界一のカフェ」へと押し上げるのだろう。同じく千葉でカフェを営むオーナーとして、そんな予感がしてならない。
※佐藤修氏の取材によると、カフェ「えどもんず」は現在でも復旧作業を継続しているため、支援物質の受付は終了した。また、アポなしの訪問も青山オーナーやスタッフが現場で対応できない場合、かえって迷惑をかけてしまうことになるため、お断りしているという。
- 取材・文:佐藤修
- 写真提供:青山清和(えどもんず)、佐藤修
ライター
1963年生まれ 産経新聞社では営業局や事業局を経て、取材記者に。千葉県警、千葉県政、千葉市政担当記者、サンケイスポーツ社会面担当記者として活躍。2012年10月からフリー。取材活動の傍ら、千葉市中央区で古民家カフェ「アオソラカフェ」を営む