気分は足軽! 甲冑を着て山城を登る「イクササイズ」体当たりルポ | FRIDAYデジタル

気分は足軽! 甲冑を着て山城を登る「イクササイズ」体当たりルポ

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美濃金山城の山路を甲冑を着てのぼる「イクササイズ」
美濃金山城の山路を甲冑を着てのぼる「イクササイズ」

山城ブームが到来中!?

戦国武将の人気ランキングで、他を圧倒してぶっちぎりの1位といえば、織田信長。次の大河ドラマ『麒麟がくる』は、そんな信長に長年仕え、最後に裏切って「本能寺の変」を起こす明智光秀が主人公です。これはもう、信長が裏主役といっても間違いないでしょう。

光秀と信長が本拠地とした地は尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)です。戦国時代、群雄割拠の地だったこの付近は、大小さまざまな城跡が残っています。なかでも最近、急速に人気となっているのが、東美濃の「山城三名城」。ここ3年間で来場者数が1.5倍になっている“岐阜のマチュピチュ”苗木城跡(中津川市)、日本三大山城のひとつ・岩村城跡(恵那市)、そして森蘭丸の生誕地・美濃金山城跡(可児市)です。

近年は戦国を舞台にしたゲームやアニメが大人気のため、町おこしとして侍姿の案内役=武将隊が結成されたり、武者行列などがさかんに行われています。そんな中、三名城のひとつ、美濃金山城ではその一歩先をゆく試みが始まりました。なんと、訪れた客が甲冑を着て、実際の山城跡に上ることができる、という体験プログラムです。その名も「イクササイズ」! 果たしてどんなものでしょうか。

美濃金山城は、1537年、斎藤道三が下剋上でのし上がっていく頃に、斎藤大納言妙春という人物によって築城されたと伝わっています。その後、1565年になって織田信長の家臣で十文字槍の名手だった森可成(もり・よしなり)に金山城が与えられます。可成は、浅井・朝倉軍とのいくさで戦死してしまいますが、その跡を継いで息子の森長可(もり・ながよし)が城主となりました。織田軍団の中でも最もいくさが強かったと言われる“鬼武蔵”です。

長可の弟が、信長に愛された小姓の森蘭丸(乱丸)。彼は本能寺で信長と運命を共にします。長可は本能寺の変後も生き延びますが、小牧・長久手の戦いで流れ弾が眉間にあたって即死したと伝わっています。

町のあちこちに「森乱丸」キャラの幟が。「蘭丸」でなくて「乱丸」とあるのが地元らしいこだわりぶり
町のあちこちに「森乱丸」キャラの幟が。「蘭丸」でなくて「乱丸」とあるのが地元らしいこだわりぶり

そんな華々しい城主を持つ美濃金山城は、北に木曽川、南に中山道がある場所に位置する交通の要衝。といっても、現在は「兼山」と名前を変えた静かな城下町です。「イクササイズ」は、この町の「可児市観光交流館」が出発点。入館すると、森可成の十文字槍(レプリカ)や、甲冑がずらりと並んでいます。

「可児市には10もの山城があるんですが、この山城ブームのなか、あまり城にスポットライトが当たってなかったんです。せっかく観光資源があるんだから何か力を注ぎたい、と考えたのがイクササイズです。歴史好きの人に来てもらって甲冑を着て街中を歩いてもらえば目も引きますし」(可児市観光交流課・井野志哉さん)

甲冑だけで10kg以上! スタッフすら体験を嫌がる過酷さ

可児市交流館に展示してある甲冑。一度に5体までイクササイズに貸し出しされる
可児市交流館に展示してある甲冑。一度に5体までイクササイズに貸し出しされる

観光交流館に展示してある甲冑のひとつは、なんと市の職員の家の倉庫に長年あったものだそう。ですが、昔のサイズではさすがに現代人には入らない上に、歴史的な価値も考えて、甲冑は新たに市の予算で「既製品」を購入したといいます。

……既製品の甲冑ってあるんですか?

「あるんですよ(笑)。最近はコスプレブームとかもあって、けっこう需要があるみたいです。だいたい一体20~30万円です。赤糸、黒糸、金糸とかあって、胸板や草摺(くさずり)などは鉄製で忠実に再現されています。といっても、現在は鉄の製造技術が上がって鉄板を薄くすることができるので、戦国当時の甲冑よりは少し軽いはずです。それでも足軽甲冑で10kg弱、武将甲冑は12~13kgありますから、歩いていると確実に体力は奪われますね」(井野さん)

なんだか不安になってきましたが、もちろんここで引くわけにはいかない…。ということで、実際に着せてもらうことになりました。観光協会の3名の方々も「出演」のため、甲冑装着の上、同行してもらうことに。

「え、僕もですか…。撮影だけじゃだめですか? 僕だけ途中の蘭丸広場まで車で行ってもいいですか?」

体験者の井野さんの嫌がりぶりに不安が募ります。イクササイズは甲冑の数に限りがあるため、要予約制。衣装は一番外側のいわゆる「よろいかぶと」のほか、衣装と小袖・袴・地下足袋まで含めると3500円。地下足袋なしだと3000円です。

「地下足袋やめましょう! スニーカーにしましょう」

という井野さんの鶴の一声で、おとなしく3000円コースで着込みます。といっても、もちろん自分では着られない。交流館の方に着せていただきます。

「ほんとに行くの? いや~物好きだねぇ」と半ば呆れながら甲冑を着せてくれる交流館の係員さん。ちなみに甲冑の着付けだけなら1500円(小袖や袴なし)です。イクササイズになると汗をかくため、袴などのクリーニング代が入用になるということらしい。ちなみにサービス開始からの1年で山頂まで行った人って、どれぐらい…?

「まだ数十人しかいません」

可児市でチャンバライベントなどにも参加している井野さん(左)は手慣れたもの
可児市でチャンバライベントなどにも参加している井野さん(左)は手慣れたもの

Tシャツの上に袴をはき、脛当(すねあて)、佩盾(はいたて=腰から太ももを守るエプロンのような形のもの)、次に籠手(こて=ひじから手を守る)、胴と草摺(佩盾の上になり、胴と結ばれている)とつけていきます。胴が体の前後につくとずしっと重い! 籠手の上に袖をつけ、腰にぶっとい帯を巻き(ここに刀を差します)、兜をかぶれば完成。

「面金(かぶとの下につけるフェイスマスク)はいいですよね…?」という井野さんの言葉にまたも頷き、少しばかり軽めでの出発。

観光交流館の前で出陣のポーズをとる観光課の井野さん、大平周祐さん、松井奈穂さん。中央の十文字槍、右の火縄銃は交流館から外に出せないので撮影のみ。この後は3人とも刀を持っての山城攻略です。ちなみに筆者はカメラを持っているので刀は勘弁してもらいました…
観光交流館の前で出陣のポーズをとる観光課の井野さん、大平周祐さん、松井奈穂さん。中央の十文字槍、右の火縄銃は交流館から外に出せないので撮影のみ。この後は3人とも刀を持っての山城攻略です。ちなみに筆者はカメラを持っているので刀は勘弁してもらいました…

「これだけ着こんでいると簡単に脱げないし、とにかく動きづらい。これで戦えたのかな、と思います。特に武将甲冑だと肩回りが動かない。袖のない足軽は、防御力は落ちますがまだ多少は動きやすいですよね。機動力は足軽が担って、武将はどっしりと構えていたんだろうな、とよくわかります」(大平さん)

たしかに甲冑を着込んでみると、どこが弱点かよくわかります。たぶん急所はわきの下でしょう。ここは体内でも浅い位置に動脈が通っていながら、防御するものがありません。それを守るならば鎖帷子(くさりかたびら。鎖でできた下着)をつけなければいけません…が、と、とてもこれ以上重くするなんて考えられない!

いざ出陣!

交流館を出発し、国道21号に入るとどんどん道は上りに。頭がずっしりと重くなり、うっかり前後させると兜がずり落ちそうです。つい口数が少なくなりながらも、質問すると、皆さんがいろいろと教えてくれます。

「お、織田軍の槍って、たしか他より長く3mぐらいあったといいますよね? 構えた時、よく先端が下がらないですね」

「当時、信長は相撲を何度もやらせて屈強な男たちを選抜していたので、たぶん彼らが槍を使ったのでしょう。そのうちの一人が森長可です。長可は武田攻めでは指揮官だったのに自ら本丸攻めで槍を取って戦っています」

「信長自身が金山城に来たこともあるんですよ。信長公の休石といわれる石も城の近くに残っています」

館から徒歩15分ほどで大手口につきました。美濃金山城は標高276mの古城山を天然の要害として、本丸、二の丸、三の丸、2つの曲輪、そして出丸を巡らせる「梯郭式山城」(ていかくしきやまじろ=本丸が中心にない形)で、正面入り口にあたる大手口からはまず、大きく張り出した出丸へと向かう道が伸びています。もちろんず~~っと上りです(泣)。20分歩いて出丸に到着。

実はここからは明智城跡が手に取るように見えるのです。戦国時代、これだけ近くに他の氏族の城があれば、さぞや緊張の日々だったことでしょう。

出丸跡で明智城跡を指さす大平さん。可児市、美濃加茂市などが一望にできる
出丸跡で明智城跡を指さす大平さん。可児市、美濃加茂市などが一望にできる

45分ほどで本丸に到着しました。ぜえぜえ。

「金山城は1時間弱ぐらいで上がれますから、イクササイズは、ちょっと強度強めの運動としていいのではないでしょうか。もっと標高の高い岩村城や苗木城では大変だと思います」(大平さん)

標高276mでもこの絶景!周囲の軍勢を警戒するには絶好だ
標高276mでもこの絶景!周囲の軍勢を警戒するには絶好だ
本丸跡。すぐ下には防衛の虎口の石垣などもあり、甲冑を着ていると合戦気分が味わえる
本丸跡。すぐ下には防衛の虎口の石垣などもあり、甲冑を着ていると合戦気分が味わえる

かつては本当にこんな格好で使番(伝令)などが、城郭を走り回っていたんだと思うと驚嘆の念を禁じえません。武将だって、持ち場が変われば駆けつけなければなりませんし。

それどころか「本能寺の変」後の豊臣秀吉の中国大返しは、6月(現在の暦なら7月)の道を一日25km近く踏破しての200km行軍! 熱中症で倒れなかったのか。

昔の人は強かった。実際に甲冑を着て、当時の城郭を上るという体験をしてみるとよくわかります。イクササイズ後、車のハンドルを握る腕をプルプルさせながら美濃金山城を後にしたのでした。

イクササイズ/可児市観光交流館(TEL:0574-59-2288)

  • 取材・文・撮影花房麗子

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