井上尚弥・最強ボクサーが語る“勲章”となった「ドネアの疵」
2万2000人の前でレジェンド、ノニト・ドネアを倒したWBSS決勝戦。血まみれの死闘12Rを振り返る
WBSS決勝に臨み、井上尚弥(26)が最も警戒していたのが、WBAスーパー王者、ノニト・ドネア(37)の左フックだった。アジア人で初めて主要4団体すべての頂点に立ったレジェンドの必殺ブローは”閃光”と畏怖されている。
それでも1R、いつものように五感を駆使して相手を観察した井上の結論は「全然、いける」だった。
「スピードも反応も、すべて自分のほうが上回っていると感じた。ドネアの能力は想定の範囲内だった。1Rが終了してセコンドに戻ったとき、『いける、いける』って話しました。2Rからは”倒すボクシング”で行こうと決めました」
ところが2R2分、恐れていた”閃光”が炸裂する。ボディアッパーからの流れるようなコンビネーションの最後に放たれた左フックが井上の右目に直撃。キャリア初となる瞼(まぶた)のカット、そして右目眼窩底(がんかてい)と鼻骨の骨折という重傷を負った。
「あの左フックだけは貰っちゃいけない。そう考えながら準備してきたんですけどね……パンチ自体は見えていたんです。ドネアの目線と肩の軌道から『ボディに来る』と予測して、意識がちょっと下に向いたところに――フェイントですよね。一瞬のスキを突かれたというか、キャリアの差というか。プロで18戦闘ってきたなかで、あれほどモロに食らったパンチはなかったですし、一発で2ヵ所も骨が折れるなんて完全に想定外。初めて『ヤバい』と思ったパンチでした。ただ、パンチ自体は見えていたので、倒れることはなかったですね」
井上の強みのひとつが、相手との距離を正確に測り、かつスキを見逃さない「目の良さ」だ。閃光の直撃で右目がボヤける非常事態に陥ったが、井上はこの被弾こそがポイントだったと振り返る。
「『この視界じゃ絶対に倒せない』って、冷静になれたんですよ。3Rからすぐ、ポイントを取りながらジャブを突いて進めていく、本来、自分が得意とするスタイルに切り替えられた。もし、あの左を貰わずにラウンドが過ぎて行っていたら、ハイテンションな状態で貰っていたら、違った展開になっていたと思うんです」
恐怖は感じなかったのか。そう問うと井上は白い歯を見せた。
「なかったです。ただ、いま振り返ると、ゾッとしますね。カットの深さを考えたら、レフリーストップもあり得た。試合を観ていた方も『止められるかも』とヒヤヒヤしていたと思うんですけど、当の本人は一ミリも考えていなかった(笑)。自分でも『スゴいな』と思います。でも、一瞬でも頭をよぎっていたら、あの展開には持っていけないんですよ」
ドネアの猛攻をかいくぐり、中盤の7R~9Rを回復に充て、井上は終盤勝負に出た。迎えた11R、右アッパーからの左ボディでダウンを奪ったのだ。
「あれは一瞬の閃(ひらめ)きです。ビデオを見返したら、序盤に同じパターンでパンチを打っているんですね。そのときは何とも思ってなかったんですが、ふっと『これで倒せそう』という感覚が降りてきた」
目は封じられたが、日々磨き上げてきた「超感覚」は活きていたのである。
ドネアとの死闘を制した井上は1ヵ月ほどで再始動。’19年暮れには『最強スポーツ統一戦』(フジテレビ系)に元WBC世界バンタム級王者の山中慎介(37)、同元暫定王者で弟の拓真(24)らとボクシング代表として参戦できるまでに回復した。心配された視力の低下もないという。
2年連続で参戦しているんですけど、去年全然ダメだった15m先の風船をダーツで割る『ダーツスナイパー』のデキがよかった。去年の収録時、プロ野球やサッカーに比べたら、まだまだボクシングは認知されてないと思い知らされました。でも今年は、周囲の見る目が変わった実感がある。街中でも、女子中高生から声を掛けられるようになりました。WBSS決勝、会場を埋めた2万2000人の大観衆を見て、『僕が見たかった景色はこれだったんだ』と感動しました」
’20年から戦いの場は米国に移る。ドネア戦での苦戦から危惧する声もあるが、井上は逆に「不安が払拭できた」と言う。
「早い回で終わる展開が続き、チャンピオンクラスと12R闘った経験がなかったんですよ。ドネア戦で不安が半分くらいは取り除けたかなと思います」
激闘の疵(きず)は勲章となった。












『FRIDAY』2020年1月10・17日号より
撮影:花井 亨 山口裕朗(4枚目写真)写真:UKJ Pictures(WBSS)