歴史に残る早明決戦 早稲田が大学選手権11季ぶり優勝の背景

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11年ぶりの勝利に沸く早稲田の面々。中央が相良南海夫監督、その右が齋藤直人主将(写真:つのだよしお/アフロ)

久保修平レフリーが群青の空に笛を響かせた時、緑の芝の齋藤直人は近くにいた岸岡智樹と抱擁。2人は、早大ラグビー部で1年時から司令塔としてコンビを組んできた。

2020年1月11日、約5万7000人が集まった新国立競技場で大学選手権決勝が開催された。早大は2季連続14回目の優勝を目指す明大を撃破。11年ぶり16回目の頂点に立った。大学日本一になった時のみ口にできる第2部歌、『荒ぶる』を熱唱する。

就任2年目の相良南海夫監督は、自身が最上級生の時に歌えなかった『荒ぶる』を歌って感無量。その後の記者会見でその思いを「いいもんだな」と明かしたが、隣に座る齋藤は生来のストイックぶりをにじませる。

前半を31―0とリードしながら45―35で終わった学生生活最後の80分について、こう口にしたのだ。

「気を緩めたわけではないのですけど、ああやって追い上げられたのはどこかに気の緩みがあったから。そこは反省したいですけど、最後、結果として勝ててよかったと思います」

さかのぼって2015年。元プロ選手の山下大悟前監督は、18年の創部100周年に備え高校ラグビー界の綺羅星への受験支援を強化。なかでも自身と同じ桐蔭学園高校出身の齊藤へは、早くから接触した。16年に正式に監督に就任すると、同じ新1年生の岸岡、中野将伍、そして齋藤を不動のレギュラーに遇した。ある新興強豪校の指導者は「通常なら(推薦入試などで)不合格となる早大志望者が今年は合格している」と天を仰いだものだ。

当の斎藤は、当時の取材に「何で自分が(試合に)出てんのかな…」と漏らしていた。

ボールをさばく際のテンポとコース取り、パスとキックの飛距離と精度、タフな防御と、このスクラムハーフに求められるすべての項目で高評価を得ながら、上級生のライバルには劣ると自己分析していた。

3年生だった2018年には学生で唯一の日本代表候補となるが、その時の嬉しさよりも2017年に中野が自分より早くナショナル・ディベロップメント・スコッド(日本代表首脳が主催する若手強化機関)に呼ばれた悔しさの方をよく覚えている。齋藤とは、そういう人物だった。

ちなみに山下は2017年度限りで退任し、創部100周年にあたる2018年度には相良が新指揮官に就任。長男の隆太が桐蔭学園で齋藤の1学年後輩だったとあり、もともと齋藤の人となりは知っていた。「試合中はうるさいけど、普段は喋らない。どちらかというと寡黙」。実際に会ってみたら、思った通りの男だと感じた。

このシーズン早大は、準優勝した2013年度以来の4強入りを果たす。しかし最後は、正月2日の秩父宮での準決勝で明大に27―31と敗れた。その日新人フルバックとしてプレーした河瀬諒介は、ロッカールームへ戻ってからの出来事を記憶している。齋藤が最上級生以外の出場選手を集め、「いまのこの悔しさ、絶対に忘れるなよ! 来年は絶対に優勝するぞ!」と叫んでいた。

最上級生になった齋藤は、主将に就任。最上級生同士の選任投票で、ほぼ満票を得たという。打ち出したスローガンは『For ONE』。全部員やスタッフやファンを巻き込んでチームがひとつになる、一番を目指す、練習中の1対1の勝負でも勝ちにこだわる、と、様々な解釈のできる言葉をあえて選んだ。

岸岡や中野ではなく幸重天を副将にしたのは、自分たちと違って下級生の頃に試合に出られぬ経験をしているからだった。私生活を引き締める寮長には、高校時代に主将と副将の間柄だった柴田徹を指名した。風呂場に日々書き換える「本日のトークテーマ」というボードを作ってもらうなどし、普段のコミュニケーションを活発にした。主力選手と控え選手との交流不足は1、2年時の課題と指摘されていた。部員数3桁台の大所帯にあって、自身も下級生を個人練習に誘った。

「発信する機会が増えたから(すべきことを)やらなきゃいけなくなったし、(すべきことを)やっているから色々と言えるようにもなりました」

2019年の9月から11月まではワールドカップ日本大会があり、当時選外だった齋藤も一部のメディアや関係者からはメンバー入りを期待されていた。指揮官の相良もまた、齋藤に声がかかるなら快く送り出し、加盟する関東大学対抗戦には主将不在で挑むつもりだった。

春先に腰を痛めていた齋藤は結局、日本代表の大会8強入りに傍から触れる立場となった。

「怪我もあって、日に日に(日本代表が)遠い存在になって、『常に高みを目指すというの(思い)が、ここ最近なかったな』と。上を意識したうえで成長するという意欲を忘れていました」

当事者がこう語るのを、寮長の柴田は直接ではなく報道を通して知った。仲が良いゆえに、かえってデリケートな質問がしづらかった。

一方、4年生ウイングの桑山淳生が耳にしてよく覚えているのは、明大との対抗戦最終節(12月1日・秩父宮)を7―36で落としてからの齊藤の言葉だ。

「いまのままじゃいけない。これからどうしたら優勝できるのか。個人、個人で考えてみよう」

当時は、皆で意識し合っていたはずの主力と控えとの交流がやや薄れていた。12月21日参戦の選手権に際し、4年生同士でミーティングを実施。ロックやフランカーのできる三浦駿平は、ここから徐々に選手間の対話が増えたと実感した。

新しくなった国立競技場でラグビーの試合が行われるのはこれがはじめて。記念すべき一戦で早稲田が勝利(写真:つのだよしお/アフロ)

現役時代に三浦と似たポジションを務めた新任の権丈太郎コーチは、鋭いタックルとそれを可能とするための体勢作り(「勝ちポジ」と呼称)を徹底。2007年度の主将として気の緩む控え部員に「そんな調子で赤黒(1軍のジャージィ)が着たいとか言うな!」と怒鳴っていた熱血漢は、自身の現役時代のように『荒ぶる』を歌うべく基本の再徹底に注力した。

ノックアウトステージの選手権では日大、天理大を順に下し、決勝で明大と再戦することとなった。攻撃を担当する後藤翔太、武川正敏両コーチは、明大の防御の人数が順目(それまでボールが展開してきたのと同じ方向)に偏りがちになると看破。順目に球を運ぶと見せかけ、ショートサイドと呼ばれる狭い区画へパス。そんな攻めの形をすることにした。

キックオフ。課題を克服し、新しい知恵を得た早大は、序盤からトライラッシュを披露する。齋藤は中野や河瀬をショートサイドへ走らせたり、大外のスペースへ糸を通すようなパスを放ったり、7本あったゴールキックを全て決めるなど水を得た魚だった。

相棒の岸岡も長短を織り交ぜたキックで試合を作り、1年時に大怪我を負った桑山も後半34分のトライで逃げ切りを促した。柴田たちとの定位置争いに勝ち続けてきた三浦と幸重は、12月に差し込まれた明大との1対1で引けを取らなかった。

「メンバーの23人が結果を出して、支えてくれた多くの人や出られない部員の分の努力を肯定しようと話してきました。(結果を出せて)安心しています」

試合を終えて「反省したい」と話した齋藤は、こうも続ける。あまりの生真面目ぶりで武川コーチに「釣りにでも連れていこうかな」と心配される青年の、血の通った本心だったろう。

先のワールドカップを受け「4年後(2023年のフランス大会)をいまから目指す」と誓う齋藤は、間もなくサンウルブズへ合流する。スーパーラグビー(国際リーグ)の日本チームへ加わるのだ。

同級生の楽しむ卒業旅行へは、行かないつもりだ。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター。1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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