花園ラグビー 部員2名から始まった公立校「御所実業」がみた夢 | FRIDAYデジタル

花園ラグビー 部員2名から始まった公立校「御所実業」がみた夢

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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東大阪市花園ラグビー場 /写真 アフロ
東大阪市花園ラグビー場 /写真 アフロ

名もなき公立校を率いて

お客さんになるな。スポーツライターの掟である。新年7日。大阪の花園ラグビー場。全国高校ラグビーの決勝。試合中は踏みとどまれた。そっけない顔で観戦ノートにペンを走らせたつもりだ。

お客さんになったのは決着がついてからである。「この人の笑顔を見たかったなあ」。敗北の監督のたたずまいに思い、時計の秒針が回るたび、じわじわと思いは募った。

この日の前まで過去3度もここで散ったのだもの。地方の公立校なのだもの。

奈良県立御所実業高校、敗れる。

竹田寛行監督は芝に折れる教え子を微動だにせず凝視する。名高き修験者のように姿は透き通っていた。ややあって黒いジャージィの失意の少年たちは恩師の厚い胸に額をこすりつけた。

覇者は神奈川の桐蔭学園高校である。

23対14。見事な攻守だった。ボール争奪の接点の確かさ、状況を把握して戦法を素早く切り替える聡明さ、個の能力、その個を個のままに放置せぬ文化の堅牢。こちらは2度目の全国制覇だ。ただ前回は東福岡高校と引き分けて両校優勝。「初の単独」。そんな必勝の動機があった。藤原秀之監督の築いたチームはいったんは0対14とされながら、息を吸うみたいに引っくり返した。

御所実業は、指の先に触れた日本一を逃した。もし、いくつかのミスがなく、あのまま先行を守れたなら、まれなる荒々しきフェアリーテールは完結を迎えるところだった。

勝負を生き抜く当事者にとって「負けてもよくやった」はありえない。ただし記者席や放送席を働き場とする立場なら許される。

竹田寛行、59歳。悔いを残す黒星を喫し、なお名将である。独自性に富んだ攻防理論。体格の劣勢を補う体力醸成。なによりもラグビーでは名もなき公立校をここまで牽引した情熱と実行力。際立つ指導者である。

ちょうど11年前のいまごろ。

花園で初の決勝進出を果たしてほどなくの御所の地を訪ねた。コーチングの哲学を記事にするためだった。途中、幻めく「部歌」について語ってくれたのを忘れられない。

「こんな歌詞なんですよ」

竹田監督が言った。あわててメモを取る。

〈道標なくした俺たちが〉
いきなりこうだ。なんというのか、よくあるクラブソングとは異質ではないか。
「ま、そんな学校でもあったんです」
そして、こう続く。
〈やっと見つけたこの道で〉
ラグビーだ。ほら。
〈ラグビー馬鹿がなぜ悪い〉
さらに。
〈兔と亀の競争と夢砕かれたこともある〉
ウサギとは? 天理高校。後半に次のたとえで登場する。
〈高くそびえる白い壁〉
1928年の第10回以来、63度の全国大会出場、うち6度優勝、純白のジャージィでおなじみの古豪で強豪である。

あと、ほんの少し

竹田監督は徳島県立脇町高校で楕円球と出合い、おもにナンバー8を務め、天理大学を経て奈良県教員に採用された。当初に赴任の県立大淀高校ではサッカー部のGKコーチを経験。「ラグビー流の生タックル」で鍛えた教え子に、京都パープルサンガ(当時)などで活躍の福西範宏がいた。

’89年、御所工業(当時)でラグビー指導を始める。部員は2名のみ。凡人ならあきらめる「打倒天理」にそこから突き進む。現在の先進スタイルとは大違い、ひたすらモールのごり押しで距離を縮めた。「天理は素早いラック戦法。同じラグビーでは勝てない」。3人を残して12人で前へまた前へ。とうとう7年目に県予選決勝で31対15の歴史的勝利を収めた。奈良県における「公立校初の全国大会出場」でもあった。

勝つためならなんでもした。「完全犯罪」に手を染めたこともある。教室の窓に新聞を貼り、部室に隠した布団を敷いて、部員の持ち込んだ食料を楽しみながら一緒に眠る。朝の5時起床、いま登校したかのように練習に励んだ。やんちゃな部員と「秘密を共有したかった」。そう話してくれた。

道標なくした俺たちのラグビー部は、いまや県外の志望者も続く魅力の集団となった。

2019年度。フォワード、バックスに偏りのない充実のチームができた。「御高節」と呼ばれる前述の部歌、かつての同僚の数学教師、坂田充司の手がけた歌詞のおしまいは現実になりそうだった。

〈そんな俺たち日本一〉
力をつけると一時は不似合いにも感じられた歌は、さらに突き抜けて、むしろ誇るべき過去を描くようだ。

またも準優勝。竹田寛行が記者団に囲まれた。「一所懸命やってきたことを一所懸命やろうとしてくれました」。深い一言だ。

最後に述べた。
「うちは私学ではない。ここだけは間違わんでください」

筆者は鼻息を吐いて笑ってしまった。礼を欠いて映ったかもしれない。限られた条件でこれほどのチームをつくった。なのに巨大で立派な相手にほんの少し届かなかった。そうするよりほかない気持ちだった。

※週刊現代2020年1月25日号より

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『北風』(集英社文庫)、『序列を超えて』(鉄筆文庫)

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