芸能界復帰否定に「ホッ…」島田紳助氏に語り継がれる“暴君伝説” | FRIDAYデジタル

芸能界復帰否定に「ホッ…」島田紳助氏に語り継がれる“暴君伝説”

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「紳助軍団」の釣りコンテストを開催していた際に直撃すると、ポーズを決めた島田紳助氏(’14年9月)
「紳助軍団」の釣りコンテストを開催していた際に直撃すると、ポーズを決めた島田紳助氏(’14年9月)

‘11年8月に芸能界を引退した島田紳助氏の“ユーチューブ降臨”が大きな話題となっている。

紳助氏が動画に登場するのは約8年半ぶりで、引退後は初。人気番組『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ系)のメンバーだったmisonoのユーチューブチャンネルに登場した。

キャップをかぶり、ヒゲをたくわえた同氏は、

「釣りしたり、ゴルフしたり、筋トレしたり、健全な日々を過ごしています」

と近況を報告。引退後から伸ばしていたロン毛は周りから不評でバッサリ切ったという。話の大半はヘキサゴンの思い出だったが、昨今の芸能界について、

「芸能人がバラエティーに出て、これ言ったらアカンとか、不倫をしたらアカンとか。芸能人のなり手なくなるで。芸能人になるやつなんて世の中の痛いやつやん」

と苦言を呈する場面も…。

また、昨年大みそかに木下優樹菜と離婚したお笑い芸人・藤本敏史にも言及し、

「あいつ泣き虫やんか。電話でしゃべったら泣いてるしかないねん。結婚するとき、離婚するとき、俺が(芸能界)辞める時、いつも泣いてんねん」

と明かした上で、

「テレビで泣いたらええねんな。週に2、3回。タレントって個性やから。あいつ泣けるから。泣いたらええよフジモン」

と進言した。数々の“おバカタレント”を世に送り出してきた名プロデューサーならではの目利きぶりだ。

現役時代に比べ、いくぶん声はかすれていたが、頭の回転の早さと軽妙トークは変わらぬまま。何より驚くべきは現役時代の荒々しさが全く感じられなくなっていたことだ。当時を知る関係者の証言。

「紳助さんは一番いい時に辞めた。盟友の明石家さんまさんに『おまえは(芸能界で)天下獲った』と言わしめたほど。ただ、その裏では孤独で常にプレッシャーと闘い続けていた。ひと一倍臆病で繊細なため、本番前に大量の精神安定剤を一気飲みしていたのを何度も見たことがある」

紳助氏も動画で「芸能界を辞めて下痢も止まったしな。ストレスもなくなった。今、一番ええわ」と笑い話にしていたが、実際は「何度もトイレで吐いたりしていた」(同)という。

人に当たることも多かった。有名なのは、‘09年のTBS系『オールスター感謝祭』の本番中にお笑いトリオ「東京03」に殴りかかった事件だが、テレビ関係者によると、

「あの番組はスケジュールの都合で本番中に合流するタレントの方もいらっしゃるんです。その時も紳助氏は遅れてきたタレントと目が合ってペコリと会釈されるまでずっとニラミ続けているんです」という。

番組スタッフにも容赦がなかった。某レギュラー番組では都内にあるスタッフの自宅マンションで定期的に反省会があったが、紳助氏がひたすら罵声を浴びせることも少なくなかったという。

「胸ぐらをつかまれたり、灰皿が飛んでくることもあった。スタッフは反省会の日が来ると、朝から顔色が悪かった」(別のテレビ局関係者)

‘04年に勝谷誠彦の女性マネジャーの態度に立腹し、暴行を加えた事件も自分を制御できない紳助氏の“弱さ”が招いた結果だったという。

「紳助さんは辞め時を見計らっていた部分がある。‘11年に暴力団幹部との密接交際で芸能界を追われることになったが、あれは本人が乗っかった部分もある」(芸能プロ関係者)

数百億円規模で蓄財していた紳助氏は、引退後は悠々自適の生活を送っている。現役時代の荒々しさに戻ることは滅多にない。お笑い関係者によると、

「1度あったのは、自分の草野球チームで先頭バッターが三連続三振した時。『おまえふざけてるのか!』とブチ切れ、そいつを壁に押し付けたことはあった。ただ、すぐに我に返り、試合後は全員で慰労会を行ったそうです」という。

紳助氏は待望論が巻き起こっても頑なに復帰を否定する。それは精神に異変をきたし、寿命を縮めるレベルのストレスを受けてきたからだ。また、復帰を否定したことに、「ホッ」としているタレントやスタッフも多いだろう。

大崎洋会長を始め吉本興業の中にも復帰を熱望する声もあるが、芸能界の呪縛から解き放たれた紳助氏が今さら“地獄”に戻るワケはないのだ――。

  • 撮影小川内孝行

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