小児がんを経て絵本『ぼくはレモネードやさん』を描いた12歳の夢
「みんなのレモネードの会」会長、『ぼくはレモネードやさん』著者・榮島四郎くんインタビュー
突然の病は人生の一大事。そして、それは幼い子どもたちにも容赦なく起こりうる。
年間2000人以上が罹患する小児がん。白血病や脳腫瘍などさまざまな種類があり、発見や治療がいまだ難しく、かつ、専門医や対応できる医療機関は少ない。
その当事者の声を広く社会に届けようとする、少年の活動が注目されている。小児脳腫瘍サバイバーである榮島四郎くんと家族、支援者たちが立ち上げた「みんなのレモネードの会」。神奈川県横浜市を拠点に、レモネードを販売するチャリティーイベントなどを通して、患者家族の交流と小児がんを巡る現状の周知に努める。
病を乗り越えて成長中の、弱冠12歳のリーダー。彼が描く夢の未来図とはーー?
すっぱいレモンは、レモネードにすればいい
「こんにちは!」
明るい声の主は、玄関のドアの向こうから弾むように飛んできた。横浜市に暮らす12歳の榮島四郎(えいしま・しろう)くん。読書と絵を描くことが大好きな、小学6年生だ。
「どうぞよろしくお願いします」と渡されたのは、かわいいイラスト入りの名刺。名前の上には「みんなのレモネードの会」という団体名が記されている。「みんなのレモネードの会」は、地域のお祭りやイベントでレモネードを販売し、小児がんに罹患した子どもたちとその家族の交流を促しつつ、募金と病気の理解を広げる活動を行う会。四郎くんと両親、そして周囲の有志で2016年から手弁当で始めたが、四郎くんは12歳にしてその会の「会長」なのである。
「いろんなところから、大人も子どももたくさんの人が参加してくれます。みんなでレモン狩りに行ったり、お泊まり会をしたりします。友だちもできるし、すごく楽しい」
なぜ「レモネードの会」か? それは、アメリカにいたひとりの少女のエピソードに起因している。
生まれてまもなく小児がんの一種である神経芽細胞腫を発症したアレックス・スコットちゃんが、同じ小児がんに苦しむ子どもたちのためにチャリティーでレモネードスタンドを開設。新しい医薬品や治療法の開発に寄付するための、100万ドルの募金を目指した。
彼女は8歳で天に召されたが、彼女の名を冠した基金は今も活動中。日本でもいくつかの団体が趣旨に賛同し、「みんなのレモネードの会」もそのひとつである。
「When life gives you lemons, just make lemonade(人生がすっぱいレモンをくれたなら、レモネードを作ればいいのよ)」は、アレックスちゃんが好きだった言葉。レモネードは、試練を克服するための知恵と勇気の象徴なのだ。
小児がんのこと、もっともっと知って
「アレックスちゃんの本(翻訳版『ちっちゃなアレックスと夢のレモネード屋さん』戎光祥出版・絶版)は、お母さんに読んでもらって知りました。レモネードは、会を始めるまでは飲んだことなかったけど、これを飲んでもらったら、みんなに小児がんのことを知らせることができるかなと思って」
四郎くん自身も、小児がんを経験したひとり。3歳のある日、吐き気と熱がおさまらず、クリニックで胃腸炎の治療を続けるも次第に意識が混濁する。痙攣も起こり、転院したこども病院で脳腫瘍との診断。5歳までの2年間に二度の手術、放射線治療、抗がん剤治療を受け、長期入院を余儀なくされた。
小学校3年生のとき、レモネードスタンドをはじめて開設。「自己紹介代わりに」と、四郎くんは自分のこれまでを物語にして紙芝居を製作し、さらに絵をつけて絵本化した。それが、昨年夏に生活の医療社から出版した『ぼくはレモネードやさん』である。
「絵も文も……うーん、どっちも難しかったです。書けないときはお母さんと相談したり、出版社さんからダメ出しがあったり(笑)。でも、出来上がったときはうれしかった」
注射が痛かったこと、抗がん剤治療で髪の毛が抜けてしまったことなど、幼い身にとっての闘病は過酷のひと言。それでも、病院で友だちと無邪気に遊んだ時間や、家族とのふれあいなど、日常の喜びが生き生きとしたタッチと色彩で描きこまれている。
《小児がんのすべてが治るようになったらいいな、
つらいこと、痛いこと、イヤなことがすべてなくなるといいな、
みんなが笑顔で元気になるといいな、と思いながら、
レモネードスタンドを開いています》
単なる闘病記に終わらず、作品に貫かれるのは「小児がんのことを、もっと知ってもらいたい」という四郎くんの強い意志だ。医療の発達した現在でも発見、治療が難しく、たとえ寛解・治癒したとしても再発の恐れは尽きないこと、成長がストップするなどの晩期合併症と向き合い、一生病院に通い続けなければならないこと……それが、若い患者から見たがん治療の現実。実際、四郎くんも、治療で分泌が阻害された成長ホルモンの注射を週に6日、打ち続けている。
病と闘う「同志」として、つながりたい
そして、患者だけでなく、それを見守る家族も治療の当事者である。四郎くんの母・榮島佳子さんも、8年前に突然、その一員となった。
「まさか自分の息子ががんになるなんて思いもしなかったので、病気のことも病院やお医者さんのことも、何の情報もないわけですよね。当時はまだスマホやSNSもそれほど普及していなかったので、ガラケーで必死に調べて、ブログで同じ病気の人を探してお話を聞き、情報をいただいたりして……。患者会の存在も、四郎が退院してからはじめて知りました」(佳子さん)
成長してからも長く付き合う疾病だから、アクセスしやすく気持ちを共有できる場が必要、と佳子さん。親だけでなく、闘病中、取り残されがちな患児のきょうだいたちが語り合う場も設けている。
「闘病中はどうしても病気の子が中心になるため、きょうだいはとても複雑な気持ちになってしまうんですよね。四郎が退院してから産まれた弟も、自分が主役になれないから『レモネード、大嫌い!』と言ったりしますから。でも、親には話せなくても、きょうだい同士でなら話せることもあるでしょうし……。
親としても、退院後も晩期合併症の対策をしなくてはならないし、セカンドオピニオンを聞きたい人もいる。病院や進学先でのことなど、皆で情報交換をしています」(佳子さん)
『ぼくはレモネードやさん』で広め、「みんなのレモネードの会」でつながる。当事者だから発せられるメッセージを投げかけることで、共感と理解、支援の輪が広がっている。
痛かったぶんだけ、強くなれた
《ぼくの目標は300才まで生きることです。
300才まで無理なく、ゆる~く、楽しく、
レモネードスタンドをがんばっていこうと思っています。》
絵本の中で、四郎くんはこんな目標を綴っている。今年は中学へ進学。マイペースに活動を続けながら、美術部に入り、立体的な絵に挑戦するのを楽しみにしているという。
「ゆる~く、楽しく」というモットーがいい。過酷な経験を乗り越えた彼が発するそれは、聞く者を勇気づけるだけでなく、肩に入った力を抜いてくれる。
「『すごく頑張る』って言うと、忙しくなっちゃうからね」(佳子さん)
「やりすぎると疲れちゃうから(笑)。注射が痛い、みたいにいやなこともたくさんあったけど、そのおかげで注射にも慣れました。大人になったら? えっと、お父さんとお母さんのように、鍼灸師になりたいです。針(鍼)は……嫌いだし自信ないけど、たぶん、できると思います!」(四郎くん)
榮島四郎 2007年生まれ。両親と4歳の弟の4人家族で横浜市に暮らす。「みんなのレモネードの会」会長として、読書部、UNO部などを立ち上げ、自身も率先して参加。創作意欲も旺盛で、夏の学校の宿題ではレモンから生まれたヒーロー部隊「レモンレンジャー」が活躍する紙芝居を製作。現在は、弟・一歩(かずほ)くんを主人公にして制作中の絵本『ぼくはチョココロネやさん』のアドバイザーもしている。
みんなのレモネードの会(会長のブログあり)https://minnanolemonade.jimdofree.com
日本の子どもの病死原因第1位の小児がん。そのがん死の最大の理由である小児脳腫瘍は種類も多いうえ情報も不足している。そこで、6月21日(日)軽井沢にて「国際小児脳腫瘍シンポジウム ファミリーデー」を国内で初めて開催。そのイベントの開催費用150万円を目標に、患者家族が中心となりクラウドファンディングを開始した。詳しくはコチラ
- 取材・文:大谷道子
- 撮影:田中祐介