春のセンバツ不要論も再燃 なぜ「甲子園」は春夏2回あるのか? | FRIDAYデジタル

春のセンバツ不要論も再燃 なぜ「甲子園」は春夏2回あるのか?

夏の甲子園に遅れること9年、1924年に始まった春の選抜高校野球。その歴史と意義を振り返る

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2019年の選抜で優勝し、マウンドに集まり喜ぶ東邦(愛知)の選手たち
2019年の選抜で優勝し、マウンドに集まり喜ぶ東邦(愛知)の選手たち

春の甲子園、選抜高等学校野球大会の代表校が決まった。日本の野球ファンにとっては、「球春の訪れ」を告げる風物詩だが、そもそもなぜ年2回、「春」と「夏」に甲子園があるのか?

話は明治末にまでさかのぼる。

1911(明治44)年、世間を騒がせた話題に「野球害毒論」があった。学習院院長乃木希典などが、学生たちが野球に夢中になって学業がおろそかになることを懸念し「野球は心身に害毒をもたらす」と主張したものだ。この意見を連載した東京朝日新聞は部数を伸ばした。これに対し毎日新聞傘下の東京日日新聞は「野球擁護論」を展開し、華々しい論戦を展開した。

しかしそれから4年後の1915(大正4)年、大阪朝日新聞は、突然、「全国中等学校優勝野球大会」を開催するのである。今の高校野球の前身だ。東京と大阪の違いはあれ「青少年への野球の害毒」を主張していた朝日が一転、野球推進派に回ったのだ。この大会は、大成功し、朝日の部数拡大にも貢献した。

そこで野球擁護論を展開していた毎日新聞は、1924(大正13)年、もう一つの野球大会である「全国選抜中等学校野球大会」を始めるのだ。これは、新興チームの台頭によって全国大会への出場ができなくなった和歌山中学など名門中等学校の関係者が、新たな全国大会の創設を毎日側に働きかけたものだ。

この大会は、優秀選手の個人表彰、選手歓迎会の開催、国歌斉唱、国旗の掲揚、開会式のダイヤモンド一周など独自色を打ち出していた。また朝日の大会が全国で予選をするのに対し、毎日の大会は有識者からなる選考委員によって出場校が選出された。

1回目は名古屋の山本球場で行われたが、2回目から朝日の大会と同じく、阪神甲子園球場で行われるようになる。以来「春の甲子園」は「夏の甲子園」とともに日本の野球ファンを沸かせる大会となった。

終戦後、甲子園球場は占領軍に接収され、なかなか使用許可が下りなかった。このとき、GHQを説得したのが大阪毎日新聞代表取締役編集局長の本田親男だった。本田らの尽力によってGHQの民生部門トップだった経済科学局長のマーカット少将は接収解除を認めた。

しかしマーカットは、本田らに一つの疑問を呈した。

「なぜ、大きな全国大会を年に2回も開催するのか?夏の1回だけでいいのではないか?」

本田親男は、予選からトーナメントの「夏の甲子園」と、選考委員会が選抜する「春の甲子園」の違いを力説し、マーカットの理解を得たという。

こうした経緯もあって、「春の甲子園」は、戦後も「夏の甲子園」とは異なる独自色を打ち出していた。

春の甲子園は今も建前上は「選抜」になっている。

実際には前年の秋季地区大会で上位に入った学校を中心に選考するが、日本高野連、選考委員は「当確」と決まった学校が、その後の試合で出場メンバーを落とすなど、手を抜くことを恐れて「ベスト4に入ったら当確」のようなガイドラインは出さない。事実、2002年秋季北信越地区大会のように、決勝に勝ち残った福井商が決勝で大敗したために選出されず、ベスト8止まりだった福井が選出されたケースもある。

成績が同程度の学校が並び立った場合は、勝敗以外の要素が考慮される。野球部の調査が行われ、部員の礼儀や生活態度が選考の参考になることもあるという。
また、2001年からは「21世紀枠」が設けられた。これは、部員不足、天災、施設面での困難を乗り越えた学校、他校の模範となるマナーを実践した学校などを評価して、特別枠で選出するものだ。2003年には、明治神宮野球大会で優勝した地区の出場校が一枠増やされる「神宮枠」が設けられた。

こういう形で「春の甲子園」は、今も続いているが、「球数制限」など高校野球改革の中で再び「甲子園で年に2回も大きな大会が必要なのか」という声が上がっている。

過去にも春の甲子園で酷使されたために夏の選手権予選前に消えていった選手もいる。過酷なトーナメントは1回で十分という声もあるのだ。

「春の甲子園」から「夏の甲子園(選手権)」までの間には春季大会、選手権の予選もある。試合日程が目白押しだ。これに対する疑問もある。

『球数制限』だけでなく試合日程も大事だ。選手の健康面を考えれば、春の甲子園と春季大会をやめて4月の新学期から夏の予選を日程を十分あけてやればいい」という意見がある。

また、「春が夏と同じトーナメントである必要はない。独自色を出すのなら、WBCのように1次はリーグ戦にして、そのあと決勝トーナメントにしてもいいのではないか」との声もある。

この大会から「7日で500球」の「球数制限」が導入されるが、春の甲子園は今後の日本野球のことを考えれば、もっと大胆に変わってもいいのかもしれない。

  • 広尾 晃(ひろおこう)
  • 写真アフロ

広尾 晃

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

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