「ママ、大丈夫!」ものまねタレント・安室奈美似の奇跡の介護 | FRIDAYデジタル

「ママ、大丈夫!」ものまねタレント・安室奈美似の奇跡の介護

意識が戻る可能性は1%と診断された母を、驚異の回復に導いた明るい介護日誌

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「動けない母を見ると、動ける私がもっと楽しんでこれまで以上にお客さんを魅せる方法を考えるようになった」と語る安室奈美似
「動けない母を見ると、動ける私がもっと楽しんでこれまで以上にお客さんを魅せる方法を考えるようになった」と語る安室奈美似

2018年9月、多くのファンに惜しまれながら引退した、元歌手でダンサーの安室奈美恵。抜群の歌唱力で今も熱狂的なファンを持つ中森明菜。今は表舞台から姿を消した2人の一挙手一投足を「完コピ」し、ファンを楽しませているそっくりさんタレント、安室奈美似(中森あきない)は、プライベートでは介護の達人だった。地方公演で飛び回る中、2014年11月以降、脳挫傷で深刻なダメージを負った母・瑛子さんの介護を続けていることはあまり知られていない。「99%意識は戻らない」と医師から言われたが、現在、瑛子さんは指で意思表示できるレベルにまで回復した。術後、瑛子さんが目を覚まし、わずかに反応する一部始終を記録したYouTube動画(2015年1月公開)は、実に再生回数135万回。奇跡的な回復をもたらし、多くの人に勇気を与えているこれまでの介護を安室本人が明かした。

公演の最中にかかってきた電話

安室奈美似は15歳の時、TV局の番組企画でスタートしたアイドルユニット「桜っ子クラブ」の第1期メンバーとしてデビュー。同クラブの卒業生には、女優の中谷美紀、菅野美穂、井上晴美などそうそうたるメンバーがいる。

ステージやグラビアで活躍していた20歳の頃、当時、一世を風靡していた安室奈美恵のそっくりさんタレントとして民放キー局の物まね番組に出演する機会を得た。「全日本そっくり大賞」(テレビ東京)を皮切りに、「ものまね王座決定戦」(フジテレビ)などのバラエティー番組に出演。本家・安室と見間違えるようなダンスアクションは「完コピ」と称され、現在に至る地位を築いたが、多忙を極めていた2014年11月下旬、衝撃の知らせが届く。彼女が当時を振り返る。

「飲食店を営んでいた母が地下1階の店舗を閉めて帰宅する際、約20段の階段を真っ逆さまに転落し、救急搬送されたという電話でした。医師からも『娘さんの許可がないと手術ができないし、このままでは命が危ない。今すぐに戻ってきてほしい』といわれたのですが、私はステージに穴をあけられない。なので『終わったらすぐに駆け付けますので手術してください』とお願いしました。ステージを終えて病院に向うと、手術途中に間に合いましたが、手術室から出てきた母は、ピクリとも動かない。私の方もハンマーで頭を殴られた状態。医学書やインターネットで情報を集めましたが、微動だにしない母を見守りながら途方に暮れていました…」

医師の診断は、脳挫傷と左鎖骨骨折。意識は戻らず、「脳のダメージで、今後は眼球運動と瞬きしかできない『ロックドイン症候群』(閉じ込め症候群)になる。回復は望めない」と告げられた。

非情の宣告から約2週間後、希望の光が差し込んだ。「大好きだった父の歌を聞けば、母が反応するかもしれない・・」と考え、亡くなった父であり、瑛子さんの夫でもあった三男(みつお)さんの歌を流すと、一瞬、瑛子さんの目が開いた。すぐに閉じてしまったが、その目は安室に焦点が合っていた。

「父の歌声が聞こえている! 脳が反応している。元気な母に戻してみせる!」と決意した瞬間だった。手術後、転院したリハビリ施設を訪れては、反応がなくても「お母さん、来たよー、元気?」「お母さん、大丈夫だよ。絶対に治すから」と言葉を投げかけ続けた。母を勇気づけながら、自身をも鼓舞するキーワードは「大丈夫」だった。

母・瑛子さん(右)の腕が動くようにリハビリをする安室奈美似。母の意識がある時もない時も声を掛け続けた
母・瑛子さん(右)の腕が動くようにリハビリをする安室奈美似。母の意識がある時もない時も声を掛け続けた

母・瑛子さんの奇跡の回復を追った動画はコチラ

大事なのは声掛けと笑えるいたずら、そして適度なストレス

手術から1か月以上経過した頃、安室が介護スタッフと話している最中、瑛子さんが涙を流した。母を思いやる安室の言葉に対する感謝の涙だと確信した。翌月には、おならをした瑛子さんは恥ずかしそうな笑みを漏らした。瞼も開き、左手もわずかに動いた。2か月後には「ジャンケンポイ」と声をかけると、必死になってチョキやパーを出そうとした。「イケる。母は元に戻りつつある」と思うと、涙が止まらないほど嬉しかった。

「脳挫傷や脳梗塞で四肢が不自由になっても、声は、本人に聞こえているのです。だから声掛けは重要。それも、本人に気力の残っている1か月間が勝負だと感じます。耳が機能し、脳が生きていれば、回復の可能性はありますよ」

そう断言する安室は、瑛子さんだけでなく、他の患者からも、同様の反応を引き出した。脳梗塞で倒れた友人の父親を見舞った時のこと。ベッドで横たわる友人の父親に、「お父さん、私の胸を見ているわね。いやだわ」と、冗談交じりに話しかけたところ、無反応だったその父親が、「ふふふ」と笑い出したのだという。

自宅介護になっても、安室のマネージャー業を務める夫や親族とローテーションを組みながら、公演と介護を両立させてきた。午後2時から翌朝の午前7:30まで母を見守り、そのまま地方興行へと出向き、帰宅後、また夜通し介護する。安室の睡眠は移動中の車ということもよくある。そばで見ていた夫・雅也さんはこう明かす。

「僕も正直、母がここまで回復するとは思っていなかった。『奇跡が起きるんじゃないか』と思えるまで3年ぐらいかかりました。でも、何より彼女が信じ続けたことが力になりました。母が動いていないのに彼女が声をかけ続け、『動いた』『動いた』って言い続けることによって、本当に顔や手が動き出した。それは、彼女が自分に言い聞かせているわけでなく、母を失いたくないという必死の叫びが伝わったのだと思います。だからこそ、僕の役割は、彼女のフォローだと考えていました」

安室の介護で特徴的なのは、“嫌がる刺激”も逆利用することだ。たとえば、「お母さん、ワンちゃん(飼い犬)が粗相をしちゃった。これ、ウンチだけど、臭いを嗅いでみる?」と、チョコレートソースをスプーンに乗せ、顔に近づけてみる。嫌がる感情を利用して瑛子さんが顔を背けようとすることで、首が動くようになった。ジャンケンで負けたら、罰ゲームとして瑛子さんの顔に○や✕をマジックペンで書き込む。落書きだらけの顔を見ると、喜怒哀楽が出て、おのずと表情が豊かになるからだ。「普通の人と同じで、適度なストレスは生きる力の一つ」と考え、時折、笑えるいたずらを仕掛けることがこの上ないリハビリになった。安室が続ける。

「実は母の事故が起きる1週間ぐらい前、母が階段から落ちる夢を見たのです。でもその後、母が喋るようになった夢も見ている。これまで、それ以外のことでも、夢に出てきたことがほぼ百発百中あたってきているから、きっと喋るようになると信じています」

現在、瑛子さんは徐々に動くようになった左手で、「あ・り・が・と・う」などと、安室の手のひらで文字をなぞり、意思表示できるレベルにまで回復。安室のステージ会場を訪ね、我が娘の勇姿を客席から見守ることもあるという。母・瑛子さんに奇跡的な回復をもたらした、声掛けと笑えるいたずら、そして嫌がる刺激によって、瑛子さんはいつの日か、元通りの言葉で、ステージの感想を話してくれるに違いない。

【動画】安室奈美似の明るく笑える介護

「介護もエンターテーメント」。老人ホームで開くステージでは、みんなで踊りながら手話を覚えることもしているという
「介護もエンターテーメント」。老人ホームで開くステージでは、みんなで踊りながら手話を覚えることもしているという
  • 取材・文佐藤修

    1963年生まれ 産経新聞社では営業局や事業局を経て、取材記者に。千葉県警、千葉県政、千葉市政担当記者、サンケイスポーツ社会面担当記者として活躍。2012年10月からフリー。取材活動の傍ら、千葉市中央区で古民家カフェ「アオソラカフェ」を営む

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