夏の甲子園 歴史に残る名勝負の舞台裏 当事者たちが語った秘話

星稜・松井秀喜5敬遠、横浜・松坂大輔ノーヒットノーラン、PL学園・清原和博の連続ホームランほか

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7月30日に行われた北大阪大会決勝。23対2の大勝で2年連続10回目の出場を決め大喜びの大阪桐蔭ナイン

8月5日、史上最多56校が出場する夏の甲子園第100回大会が開幕する。注目は大阪大会決勝最多得点となる23対2で大阪学院大高を破った、2度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭(北大阪)だ。

「決勝戦で6安打6打点と大当たりだった藤原恭大(きょうた)や投手とショートを自在にこなす三刀流の根尾昂(あきら)など、プロ注目の選手が多数います。清原和博と桑田真澄の”KKコンビ”を擁したPL学園や松井秀喜の星稜、松坂大輔のいた横浜のように、甲子園で新たな伝説を残してくれるでしょう」(スポーツ紙記者)

球史に残る名勝負を徹底取材。当事者たちが”夏の事件”の舞台裏を明かす。

「松井連続5敬遠投手」激白


「勝負したらやられたでしょう。ワールドシリーズでMVPを獲る男ですよ。打たれたら一気に流れが変わってしまう。今でも判断は正しかったと思います」

明徳義塾(高知)の元投手・河野和洋が振り返る。

’92年の2回戦、明徳義塾対星稜(石川)の試合は球場全体が異様な雰囲気に包まれていた。星稜の4番・松井秀喜が、河野から5打席連続敬遠されたのだ。

「1回戦の長岡広陵(新潟)戦を観戦して、松井のスゴさが身にしみてわかりました。『カーン』とバットに当たる音がしたら、もう打球は外野に飛んでいるんです。速くて追いきれない。高校生のスイングスピードではありませんでした」

河野が馬淵史郎監督から先発を命じられたのは、試合の3日前だった。

「『松井は相手にせぇへん』と言われました。敬遠するんだなと具体的にわかったのは、試合の直前です。監督からこう指示がありました。『捕手は座ったままで、松井にビビッてストライクが入らないように演技しろ』と。さすがに、あからさまな敬遠はマズいですからね」

3度目の敬遠から球場がザワつき始め、4度目にはスタンドから「勝負しろ!」「いくじなし!」とヤジが飛ぶ。5度目には、怒ったファンがメガホンなどを投げ込み試合が一時中断した。

「試合後(3対2で明徳義塾が勝利)、宿舎に戻ってから監督は泣きながら、『オマエらはようやった』と声をかけてくれました。いろいろな意見があると思いますが、甲子園は負けたら終わりです。勝つために、ルールの範囲内で最善を尽くさなければならない。観客は『逃げるな』と言いますけど、負けて悔しいのはボクら選手です。今でも松井と勝負しなかったことを、後悔していません。敬遠しなければ星稜には勝てませんでしたから」

明徳義塾は徹底した戦略で、これまで甲子園に春夏通算37度出場。’02年夏の大会では全国制覇をなし遂げている。

松井秀喜「5打席連続敬遠」

’92年2回戦 明徳義塾vs.星稜

松井が5打席連続敬遠されると、約5万人の大観衆からはヤジが飛んだ(写真上)。’13年のテレビ番組企画で21年ぶりに再会した松井と河野(同下)

決勝戦でノーヒットノーラン

’98年には怪物投手が現れた。横浜(東神奈川)の松坂大輔だ。当時の監督だった渡辺元智(もとのり)が振り返る。

「我が強い選手が多く、チームワークはいいとは言えませんでした。松坂が変わったのは、2年夏の予選準決勝で横浜商業に自身の暴投でサヨナラ負けしてから。松坂は何も言い訳せず、黙って涙を流したんです。エースの責任の重さと、チームワークの大切さを悟ったのでしょう」

3年夏の甲子園は、松坂の独壇場となった。準々決勝のPL学園(南大阪)戦では、延長17回250球を投げ切り完投。準決勝の明徳義塾戦では9回に登板し、0対6からの大逆転勝ちを演出したのだ。

「PL戦後の勝利者インタビューでは、私の横で松坂が話していましたが『明日は投げません』と言うのが聞こえたんです。カチンときましたね。『オマエに登板の有無を決める権限はないだろう!』と。翌日、迷いましたが結局、松坂は先発をさせませんでした。試合は8回裏の終了時点で4対6で負けていた。そこで『松坂を登板させ最高のメンバーで負けて帰ろう』と考えたんです。9回に松坂がマウンドに立つとスタンドの雰囲気がガラリと変わった。選手も、PLとの激闘で疲れきっていたはずが不思議と息を吹き返したんです」

松坂は9回表を3人で抑えると、その裏に横浜が3点をあげ逆転サヨナラ勝ち。次の京都成章(京都)戦では、史上2人目の決勝戦ノーヒットノーランを達成した。


「連投の疲れを感じさせず、尻上がりに調子が良くなっていった。それまでは悲壮感が漂っていましたが、最後の最後で楽しんでいたようです」

“怪物”松坂がエースとなった’97年の秋から、横浜は前人未到の公式戦44連勝を記録している。


松坂大輔「決勝戦ノーヒットノーラン」

’98年決勝 横浜vs.京都成章

史上2人目の決勝戦でのノーヒットノーランを達成した松坂(上写真)。当時監督の渡辺は「スタミナ、球威、制球力。すべてがプロレベルだった」と語る(同下)

二度とできない奇跡のプレー

「練習では必ず中継をはさめと言われていました。監督に怒られるのを覚悟で、直接捕手に向かって投げたんです」

こう語るのは、松山商業(愛媛)の元外野手・矢野勝嗣(まさつぐ)だ。

奇跡のバックホーム――。そう語りつがれる驚愕のプレーが出たのは、’96年の松山商と熊本工業(熊本)の決勝戦、3対3で迎えた10回裏のことだ。熊本工は1死満塁の好機を作り、サヨナラのチャンス。ベンチにいた矢野は、ライトの守備につくよう命じられる。

「満塁となった直後に、澤田(勝彦)監督から突然『行け!』と言われたんです。キャッチボールで、肩を温める時間もなかった。そこで私は、肩をグルグル回しながらライトへ向かいました」

迎えるは熊本工の3番・本多大介。初球を叩いた本多の大飛球が、ライトを襲う。矢野はランニングキャッチ。タッチアップには十分な距離と思われた。


「打たれた瞬間、ホームランかと感じるほどの大きな当たりです。それでも風に押し戻されたので、落下地点まで猛ダッシュ。走りながら考えたのは『ランナーを刺さないと試合が終わってしまう』ということです。中継をはさんでいては間に合わない。イチかバチか、ダイレクトでバックホームをしました」

ボールは三塁走者がホームにすべりこむ直前に、捕手のミットに直接収まった。判定は、アウト。矢野はガッツポーズを何度も繰り返しながらベンチに戻る。

「後々テレビで、あのバックホームを再現しようという企画があったんです。でも何度やっても、できなかった。なぜあの時あんなスゴいボールを投げられたのか、今でも不思議で仕方ありません」

試合は11回表に矢野の二塁打をきっかけに、松山商が3点を追加。夏の甲子園5度目の優勝を飾った。

延長10回裏「奇跡のバックホーム」

’96年決勝 松山商vs.熊本工

松山商のライト・矢野からのダイレクトバックホームで、ホームベース上は判定微妙なクロスプレーとなった

女子マネ練習参加で大問題!

’16年、大会開幕前の甲子園での練習。一人の少女がノックの手伝いをしたことが、大きな物議を醸した。女性がグラウンドに立つのはNGと、すぐに大会運営本部からベンチに戻るよう促されたのだ。大分高(大分)の女子マネージャーだった、首藤桃奈(しゅとうももな)が話す。

「松尾篤監督が誘ってくれたんです。『男子選手がスコアラーを務めるので、オマエ(首藤)をベンチに入れることはできない。でも大会前の練習はみんなと一緒にやろう』と。大会の『手引書』には、『女性が練習に参加してはダメ』とは書かれていませんでした。そこで余ったユニフォームを借りて、ノックの手伝いをしたんです」

だが、すぐに高校野球連盟のスタッフが手招きして注意をうながす。

「『女子は禁止なんだ。ゴメンね』と言われました。『まだ練習の途中なのに……』と残念な気持ちが強かったです」

翌日、スポーツ紙各紙がこの「事件」を大きくとりあげ事態は動く。女性のグラウンド参入を許可するべきだという要望が高野連に殺到。翌年春のセンバツから、認められるようになったのだ。


「『危ない』から入ってはいけないというのは理解できます。でも『神聖な場所だから』という理由で女性が排除されていたとしたら、納得できない。伝統があるのはわかりますが、時代に合わせてルールは変えるべきだと思います」

現在ハワイの大学に留学中の首藤は、野球の魅力を伝えられるような職業に就きたいと考えている。

女子マネージャー練習参加で物議

’16年大会直前練習 大分高

甲子園の練習に参加した大分高の首藤(写真上)。現在は米国に留学しハワイの大学で英語を学んでいる(同下)

マー君vs.佑ちゃん死闘のウラ


「1年生の頃から甲子園に出ていましたが、球場全体が『北海道ガンバレ!』と応援してくれていました。それが早実が相手だとウチの応援席以外、彼らのファンで埋め尽くされていた。これまで経験したことのないような雰囲気でした」

駒大苫小牧(南北海道)の元主将で、4番を打っていた本間篤史が話す。

’06年の早稲田実業(西東京)と駒大苫小牧の対戦は、史上2度目の引き分け決勝再試合となった。1対1で迎えた第1試合の延長15回表、駒大苫小牧最後の攻撃。2死ランナーなしで本間が打席に入る。初球、早実のエース・斎藤佑樹の速球を見て本間は驚愕する。

「147kmの速度表示が出たんです。心の中で『ウオッ!』と叫びました。あのクソ暑い中15回を投げ続けて、どこにそんな球を投げる力が残っているんだと。5球目まですべてストレートで、ボクは真っ向勝負にくるんだなと身構えました。すると6球目はフォーク。タイミングが外れて空振り三振です。『そりゃないだろ』と思う反面、『こんな状況でも冷静なヤツだな』と感心もしました」

翌日の第2試合も、斎藤の球威は落ちない。駒大苫小牧は9回表にようやく3対4の1点差に迫り、無死ランナーなしで本間に打席が回ってきた。


「普通なら、もうキレが悪くなるんですけどね。斎藤はここでも初球から146kmのストレートを投げ3球三振です。あの異様な雰囲気で顔色も変えず快速球を投げ続けた斎藤は、ただただスゴい……」

最後の打者・田中将大も三振に倒れ、前年まで2大会連続優勝していた駒大苫小牧の3連覇の夢は断たれた。

「田中は負けず嫌いなんで内心、相当悔しかったと思います。でも宿舎に戻ると『実は腹が痛くて打てなかった』と言って、みんなを笑わせていました」

田中は後に米国紙『ニューヨーク・タイムズ』の取材で、「斎藤との死闘は人生最高の時間だった」と答えている。

佑ちゃん対マー君「2日間5時間33分の死闘」


’06年決勝 早稲田実業vs.駒大苫小牧

上の写真は野球部を引退した早実の選手たち。右端が斎藤、左端が捕手の白川英聖。下の写真は高校2年時の駒大苫小牧ナイン。右から田中、鷲谷修也、本間ら

清原には攻める球がない!

「二番手投手のボクが、玉国(光男)監督から『決勝戦は先発で行くぞ』と言われたのは当日の昼食前です。相手は清原(和博)や桑田(真澄)を擁する、3年連続で決勝に進出していたPL学園(大阪)。緊張して食事がノドを通らなかったのを覚えています」

こう振り返るのは、宇部商業(山口)の元投手・古谷友宏だ。

’85年の決勝戦。古谷は低目を丁寧に投げ、強豪・PLを相手に3回を終わり1対0と最少リードを守る。4回裏、迎える先頭バッターは4番の清原だ。

「監督からは『清原の弱点のインコースを攻めろ』という指示が出ていました。カウント2―1と追い込んだ5球目。ボクは、得意のシュートを清原の胸元に投げ込みます。詰まらせました。『ゴキッ』というバットの根っこに当たる鈍い音を聞いて、レフトフライかなと思った。ところが打球を見ると、あっと言う間に弾丸ライナーがラッキーゾーンに入ったんです。内角へ自信を持って投げた球が、ものの見事にホームランにされた。清原を攻める球がなくなってしまいました」

しかし宇部商は6回表に2点を追加し、3対2とリード。その裏、古谷は1死ランナーなしで、再び清原と対戦する。


「もう内角はつけない。外の真っ直ぐでかわすしかないと考えていた2球目。ストレートが高目に甘く入ってしまったんです。打たれた瞬間わかりました。もう打球を追うこともできない。バックスクリーンへの、超特大ホームランでした」

清原がダイヤモンドを一周する間、当時の実況は「甲子園は清原のためにあるのか!」と怪物打者を称えた。

「結局スコアは3対4と僅差でしたが、ボクらには優勝を狙うという意識が薄かった。一方のPLからは『自分たちが優勝しなければいけないんだ』という、凄まじい気迫を感じました。特に清原には悲壮感すら漂っていました」

この年の秋、清原はドラフト1位で西武ライオンズへ入団。歴代5位のプロ通算525本塁打を放つことになる。

2年後の’87年――。PLは「最強世代」を迎える。3年生から橋本清(元巨人)、野村弘樹(元大洋)の2投手。野手では立浪和義(元中日)、片岡篤史(元日本ハム)と、4人のプロ野球選手を輩出したのだ。立浪が話す。

「清原さんや桑田さんの影響は強く受けました。清原さんはキツイ練習が終わっても必ず夜中までバットを振っていましたし、桑田さんは毎朝5時に起きてランニングをし、帰ってきたらグラウンドの雑草を取るんです。そんなスゴい先輩たちと一緒に練習するんですから、鍛えられないワケがありません」

’87年の大会も、PLは優勝候補の最右翼。下馬評どおり勝ち進む。

「一番気合が入ったのは、準決勝の帝京(東東京)戦でした。相手投手は、当時珍しくフォークを投げる芝草宇宙(ひろし)(元日本ハム)。打ち崩すのは容易じゃありません。そこで中村(順司)監督が奇策を立てたんです。『打順が奇数の打者は変化球を、偶数の打者はストレートを打て』とね。これが見事にハマッた。1番打者のボクは、初回に2球目のカーブを強振して先制のホームラン。その後も面白いようにヒットが出ます。帝京としては変化球もストレートも狙われて、どうして打たれているのかわからない。結局12対5で大勝しました」

PLは決勝でも、常総学院(茨城)を5対2で退ける。最強世代を擁したPLは、清原と桑田の”KKコンビ”でも成しとげられなかった史上4校目の春夏連覇を達成したのだ。(文中敬称略)


清原和博「2打席連続特大ホームラン」

’85年決勝 PL学園vs.宇部商

宇部商の古谷から2本塁打した清原(写真上)。「清原さんと比較されるプレッシャーは感じた」と語る立浪(同下)

撮影:会田園

 

Photo Gallary13

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