今季はエースの座を狙う! 阪神・青柳晃洋を覚醒させたアドバイス

青柳晃洋。今年阪神ファンが最も期待する選手ではないだろうか。昨年は9勝を挙げ飛躍の年になったが、今年はいかに?

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「今年こそ優勝争いの中で投げたい」と力を込める青柳晃洋投手(阪神タイガース)

昨年9勝を挙げ一気にブレイク、さらなる飛躍が期待される阪神タイガースの青柳晃洋投手。自主トレの合間に今季にかける意気込みを聞いてみた。

自身初の規定投球回をクリアし、2019年はセ・リーグ投手成績6位。勝利数もチーム内2番目の9勝を挙げて、虎党のハートをがっちりと摑んだ。サイドスローとアンダースローの中間から繰り出すストレートは140キロ台後半を計測。球界でも稀有な変則右腕は、更なる高みを目指して、優し気な瞳に新たな闘志を宿した。

一年の始まりは阪神鳴尾浜球場で、と決めている。

新人時代から汗を流してきた原点といえる場所。そんな始まりの地で青柳は自分の足元を見つめ直すように、その年の最初の一歩を踏み出す。

「他球団にあまり知り合いがいないんです。それと、阪神にも素晴らしい実績を持った先輩や見習うべき方がたくさんいるんですけど、自分と同じ投げ方の人ってなかなかいないじゃないですか。それもここで一人でやる理由なんです」

球団施設であれば充実した設備はもちろん、何かあればトレーナーが傍にいて対応してくれる。時間を無駄にすることなく、自分のやりたいことに没頭するにはこの場所が一番だった。

昨年一年間、先発ローテーションを守ったとはいえ、チーム内ではまだ「追う立場」であることは変わりない。今年でプロ5年目を迎える26歳。12球団トップのチーム防御率3.46の投手陣の中にあっては、すぐにでも自分の代わりが現れると危機感を持っている。

「阪神のピッチャー陣は本当にレベルが高いと思います。今年、先発ローテーションを争っている中でも、他球団に行ったら枠に入れそうな選手がたくさんいます。昨年一年間(先発ローテで)やらせてもらいましたけど、たった一年です。なんのアドバンテージもないなって思っています」

昨年の結果に驕るわけでもなく、かと言って悲観的に考えるわけでもなく、自分の立ち位置を客観的に見る。彼の実直な性格がにじみ出ていた。

青柳がそこまで謙遜して考えるには理由がある。

一昨年(2018年)のシーズン。青柳は2軍の本拠地である鳴尾浜球場で一年の大半を過ごした。2軍では先発ローテーションの一角として結果を残し、来る日も来る日も昇格の声がかかるのを待った。しかし、その声は一向にかかる気配がない。帝京大学から阪神に入団して、そのときプロ3年目。

鳴尾浜から甲子園まで車で約10分の距離が、やけに遠く感じられた。

そんなある日、当時、2軍の投手コーチをしていた福原忍(現1軍投手コーチ)と高橋建(現2軍投手コーチ)、さらに育成コーチの安藤優也も交えた3人と、じっくり話す機会があった。青柳は現役時代の実績豊富な3人に、こんな質問をした。

「先発とリリーフって何が違うんですか?」

すると、3人から異口同音に「全然違うよ」と返ってきた。
「リリーフは失敗しちゃいけない。だけど先発は失敗してもいい」

その言葉が二重にも三重にも深みのある言葉だと青柳は受け取った。先発の失敗にも幾つかある。序盤の失点で流れを相手に渡すこと、エラーやフォアボール、無駄な球数や投球テンポで攻守のリズムを崩すこと。青柳は入団1〜2年目の頃、それらを完璧にしようとする余りにそこから綻びが出た。

「だけど、初回に1点を取られたところで、『それがどうした?』と考えるのがプロの先発の考えのようで、残りの回を0に抑えて、6回1失点で帰れば上出来。6回3失点でも御の字。仮に初回に3点を取られても、残りを全部0で抑えたら9回3失点で完投出来るのが先発。だから何事も失敗して良いと言ったら言葉が変ですけど、失敗をいちいち悔やむ必要がないと。そこで自分の考えも大きく変わっていきました」

さらに高橋建コーチは、ピッチャーに大切な心構えをこう説明した。

「フォアボールもデッドボールもヒットも出るもの。投げていれば試合の中で絶対に出る。だから次のバッターをどう抑えるかを考えなさい」

その言葉が、青柳の胸に深く刺さった。

入団当初の青柳は、けっして制球が良い投手ではなかった。快調に立ち上がったと思ったら、直後のイニングで急に四死球で崩れだす。そんな安定性にかける投手だった。高橋コーチは自分に何を伝えようとしているのか、ここから自分がどう脱皮していくべきか、それらを深く考えた。すると、彼の心境にも、投球自体にも少しずつ変化が見られた。それは開き直りの境地とでもいうべきか。2018年の終盤戦になって、青柳は1軍行きの切符をようやく手にする。投げた試合は4試合。いずれも先発。5回以上を投げて、全て試合を作った。

弾みをつけた青柳は、2019年に入るとキャンプ、オープン戦と快調に飛ばした。オープン戦では3試合13回を投げて、失点3、自責点2で2勝を挙げる。三振の数はイニング数を上回る14を記録して、開幕ローテーション入りを勝ち取った。

「ここで(1軍に)上がれなかったらクビも危ういんじゃないかって。危機感を持って2019年は臨みました」

シーズン最初の登板となった巨人戦こそ5回5安打4失点で敗戦投手となったが、次の横浜DeNA戦では6回6安打1失点で内容にも変化が見られた。さらに4月17日の東京ヤクルト戦(神宮)では7回を5安打無失点に抑える快投。矢野燿大監督の信頼も一気に深まった。その2週間後の中日戦ではプロ入り初となる完封勝利を記録。5月が終わるまでの2ヵ月で4勝を挙げ、防御率は一時2点台前半を推移した。

着々とプロのローテーションピッチャーへ歩を進める青柳。それでも一年間、ローテーションを守るとなるとまだまだ厳しさもあった。6月19日の東北楽天戦(甲子園)から8月13日の中日戦(ナゴヤドーム)までの2ヵ月間は白星からも遠ざかった。

そんなとき隣のロッカーを使用する西勇輝が、青柳に声をかけた。

「勝てない試合を毎試合反省していたら、悪いところばかり目が行ってしまうけど、その試合の中でも良かったところは絶対あるだろ? だから悪かった時のことを考えるよりも、良かったところをどう広げて行くかが大事。あの場面はなんで抑えられたのか、そうやって良かった時のことに目が行くようになったら、もっと次の試合に活きてくるんじゃない?」

その言葉にハッとさせられた。試合後にスタッフからもらうチャート(投球表)の使い方も、よりポジティブに映像と見合わせるよう意識が変わった。

「このときのボールは良かったけど、なんで良かったんだろ? 普段打たれているバッターなのになんで抑えられたんだろ?」

意識の部分でも徐々にプラス思考に変わって行く自分を感じると、ピッチングにも良い影響を与えるようになった。

西はさらに、こうも付け加えた。

「練習も決められたことをただやるんじゃなくて、自分の体調に合わせてやった方が良いんじゃない?」

その言葉を参考に1週間の使い方も少しずつ変えてみた。

「開幕した当初は(チームから)与えられたことを全てやらなきゃというイメージだったんです。1週間のランニングメニュー、トレーニングメニューがほぼ決まっていたので、そのとおりにやっていたんですけど、後半戦になって、自分のボールが弱くなったり、早い回に打たれることが多くなって、周りから『ちょっと疲れているんじゃないか?』と言われたりもしました。そこでトレーニングメニューを自分で調節してみたんです。そこが前半戦と後半戦の大きな違いかなと思います」

8月13日の中日戦(ナゴヤドーム)は、白星こそつかなかったものの相手打線を7回零封で抑える好投。翌週8月20日の横浜DeNA戦(京セラドーム大阪)では再び5回2/3を無失点に抑え、2ヵ月ぶりの勝利を手にした。これで完全に息を吹き返した青柳は、そこからの6試合で33回を投げて自責点8、防御率2.18と先発陣の軸として活躍。リーグ最終戦の9月30日の対中日戦ではチームのクライマックスシリーズ進出がかかった大一番で5回を2安打無失点に抑え、チームの勝利に貢献した。これまでにない自信もつけた。

「僕の中では一年間を1軍で過ごすのが初めてだったので、よく出来たほうかなと思います。ただ目標は10勝だったので、そこに届かなかった悔しさはもちろんありますけど」

謙遜した言葉の裏に野心ももちろん秘めている。

前述したように、先発で140キロ後半を投げる変則投手は球界では稀有な存在。昨年を上回る数字を残せば、自ずと国際舞台、侍JAPAN入りの道も拓けてくる。その話題を振ると、やや照れ笑いを浮かべながらこう答えた。

「昨年、初めてのオールスターゲームを経験させてもらって、こんなところに自分がいるというのは本当に凄いことだなって。場違いだなとか思いましたけど(笑)。でも、そういうところで野球をやってみたかったし、野球を始めてからまだ代表に入ったことが一度もないので、そこを目指したい気持ちはあります」

1月の自主トレは、例年よりも投げ込み重視で過ごした。1月後半の時点で4勤中3勤はブルペン入りというから、かなりの熱の入れよう。球数は40から50球といったところだが、例年より1~2週間早くやって来る開幕に向けて、心も体も準備万端だ。

そしてもう一つ、少年時代から叶えられていない夢。「優勝」。

「昨年、クライマックスを経験しましたけど、クライマックスってシーズン中と全然違うんです。これがレギュラーシーズンの優勝争いだったらもっと違うのかなって。今年こそ、そんな中でやってみたいなと思います」

  • 取材・文・撮影永田遼太郎

    スポーツライター 1972年 茨城県出身 雑誌編集を経て、05年からフリーとして活動を開始。現在は文藝春秋「Number web」、集英社「web Sportiva」などスポーツ系Webサイトを中心に寄稿。

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