日本代表で身体を張ったトンプソン ルークが離日直前に語った思い
この国のラグビーファンが愛するトンプソン ルークの住まいは島之内にあった。
市域は東大阪。日本を代表する作家・司馬遼太郎が居を構えたのも同じ市内である。
愛称「トモ」の足は自転車。近鉄ライナーズの本拠地・花園ラグビー場へは10分ほどで到着する。
威勢がよく、義理人情に厚い旧国名「河内」で15年を過ごす。この4月で39歳。その間、ネリッサを妻にもらい、3児を授かった。
もうかりまっか。
ぼちぼちでんな。
そんな受け答えは普通になった。
こんなに長くいると思っていた?
「全然。1、2年で戻ると思っていたね。こんなに長くいられたなんて、やばいっすね。でも17年、すごい早かったよ」
三洋電機(現パナソニック)の助っ人として、生まれ育ったニュージーランド(NZ)から来日したのは2004年。最初の2年は群馬にいた。そして、紺とエンジの段柄ジャージーの近鉄に移籍する。2010年には日本国籍も取得。新生児が高校生に育つ長さをプロ選手として過ごし、現役を退いた。
2月5日、関西空港からNZに戻って行った。
故郷は南島の中心・クライストチャーチ。「世界の庭」と言われるほど緑は美しく、気候は温暖だ。国際リーグ・スーパーラグビーのクルセイダーズの本拠地でもある。
「帰ったら牧場をやるね。鹿を飼う。食用もあるけど、角は漢方薬の材料になる。中国や韓国に輸出するね。あとは牛や羊ね」
クライストチャーチから車で30分ほどの所に350エーカーの牧草地を求めた。東京ドーム約30個分の大きさ。トモは笑う。
「牧場としては小さいね」
とは言うものの、第2の人生の舞台は、100×70メートルのグラウンドより、とてつもなく広い。
現役時代、トモはロックとして体を張った。196センチ、110キロのサイズでラックには頭を入れ、タックルは体を折り曲げ、低く入る。
そのスタイルは輝かしい実績を呼び込む。日本代表キャップ(協会が定めた国際試合に出場した数)は71。ワールドカップ出場は2007年から4大会連続。松田努、元木由記雄に次いで3人目の快挙。「ジャパンの顔」と言っていい。昨年、初の8強に進出した日本大会でも5試合中4試合に出場した。
「アイルランド(19-12)とスコットランド(28-21)の試合がとくに覚えているね。勝ててうれしかった」
欧州6か国に数えられる2チームとの対戦ではともに先発する。アイルランドからは史上初、スコットランドからは1989年以来30年ぶり2回目の白星の一助となった。
トモは2015年のワールドカップ後、代表引退を表明した。「ブライトンの奇跡」と言われた南アフリカ戦(34-32)に先発し、3勝を挙げた大会で満足感を持った。
ところが、近鉄で現役を続けていく中、再び世界と渡り合いたい思いが強くなる。ネリッサに背中を押され、昨年、スーパーラグビーのサンウルブズ入り。テストと同様の試合をこなし、本格的に代表復帰を果たした。
三洋電機と近鉄を合わせたトップリーグ通算試合出場数は135。今回のリーグ戦が始まるまで歴代10位の記録だった。
「近鉄での思い出はたくさんあるね」
真っ先に口から出たのは、22年ぶりの神戸製鋼からの勝利だった。2010年10月3日、深紅のチームを25-22で破る。前回は1988年11月6日。関西Aリーグ(トップリーグの前身)で9-4だった。トップリーグの覇者からの白星は今でも忘れられない。
最後の2季は下部のトップチャレンジで戦った。シーズン最終戦は1月19日の対栗田工業。東京・秩父宮ラグビー場には先発するトモの最後の雄姿を見ようと14599人が詰めかけた。通常1000人を下回るこのリーグでは超異例。試合は74-0。7戦全勝でリーグ戦優勝を果たす。「有終の美」だった。
「今年の秩父宮と花園も特別ね。お客さんがいっぱい来てくれた。優しい人が集まってくれた。雰囲気はとってもよかったね」
地元最終戦はその1週前の1月11日。ヤンマースタジアム長居で釜石シーウェイブス を迎え撃ち、76-12と圧勝。こちらも6251人がスタンドを埋めた。
近鉄はその功績を高く評価。81年の歴史の中で初となる引退直後からのアドバイザー契約を結ぶ。内容を吉村太一チームディレクターは説明する。
「あちらでは選手のリクルート。こっちに来てもらっている時は、チームや会社のPRをしてもらいます。時間が合えば、練習や試合なんかも見てもらうつもりです」
双方に義理人情は息づいている。
「アドバイザーになるのは楽しみ。僕にとって大切なチームだし会社だからね。できるだけの協力はするよ。残してもらってくれた近鉄に感謝している」
トモをねぎらうのはチームだけではない。日本代表の主将でもあるリーチ マイケル(東芝)が中心になって、5月のリーグ戦終了後、記念試合の計画が進められている。リーチはトモの7歳下。セント・ビーズ高、そして地元クラブのベルファストでも後輩だった。
「その時はもちろん帰ってくるよ。うれしいを通り越してはずかしい。リーチや関わってくれるみんなに感謝したい」
今でもレジェンドの道を突き進むトモ。静かな完全引退はまだまだ先の話である。
◆トンプソン ルーク(Luke THOMPSON) 1981年4月16日生まれ。38歳。196センチ、110キロ。ロック。ニュージーランド・クライストチャーチ出身(日本国籍保有)。ベルファストクラブで競技を始める。セント・ビーズ高→リンカーン大。大学ではスポーツマネジメントを学ぶ。2004年に来日。三洋電機(現パナソニック)で2年間プレー。2006年から近鉄で15年間プレーを続けた。2007年4月29日の香港戦で日本代表デビュー。ワールドカップは2007、2011、2015、2019年と4大会連続出場。代表キャップは71。トップリーグの通算試合出場数は135。2019年には国際リーグ・スーパーラグビーのサンウルブズでもプレーした。家族はネリッサ夫人と3子。
- 取材・文:鎮勝也