入試で90年代から完敗続きも 早稲田が慶応を“再逆転”した理由 | FRIDAYデジタル

入試で90年代から完敗続きも 早稲田が慶応を“再逆転”した理由

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早稲田大学の創立者・大隈重信公(左)と慶応義塾大学の創設者・福沢諭吉翁。ライバル校として100年以上にわたりあらゆる分野で争ってきた
早稲田大学の創立者・大隈重信公(左)と慶応義塾大学の創設者・福沢諭吉翁。ライバル校として100年以上にわたりあらゆる分野で争ってきた

20対80――。

早稲田と慶応で同様の学部にW合格した際、どちらの大学を選んだか、’10年代前半までの比率だ。“私学の雄”として並び称される両大学だが、この20間年は慶応の圧勝だった。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏が語る。

「’80年代までは、早稲田のほうが上でした。ただ私学トップという座にあぐらをかき、改革を怠っていた。教育面でも、良い研究をしていれば学生は自然と集まってくるというおごりがあったんです。一方の慶応は’90年代に入ってから、改革を進めます。湘南藤沢キャンパスに、総合政策学部や環境情報学部を新設。バブル崩壊後の不景気でも、三田会というOB会のつながりで就職を有利に進めたんです。’90年代後半には、完全に人気が逆転しました」

だがこの数年、状況が少しずつ変わってきた。学部によって、W合格した受験生が早稲田を選ぶケースが増加。商学部や経済学部(早稲田は政経学部)では、偏差値で早大が慶大を凌駕し始めたのだ(河合塾によると両学部の’20年の偏差値はそれぞれ65.0対70.0、67.5対70.0と早稲田が勝利)。石渡氏が続ける。

「’00年代に入り、遅まきながら早稲田が改革に乗り出したんです。国際化をみすえ、’04年に国際教養学部を設置。’07年には第一文学部と第二文学部を文学部と文化構想学部に、理工学部を三つに再編しました。そして来年からは看板の政経学部の入試で、数学を必須にします。これからはAIやデータサイエンスが主流となり、数学を理解していない人間は社会で通用しません。志願者は減るでしょうが、長い目でみれば質の高い学生の確保できるはずです。逆に慶応は、ここ数年停滞しています。目立った動きは、’08年に共立薬科大学を吸収合併し薬学部を新設したぐらいでしょうか」

さらに、慶応の自滅も大きく影響しているという。

「不祥事が多発しているんです。’17年9月には慶応の広告研究会の学生が、神奈川県葉山町の合宿所で女子大生を酔わせ集団レイプ。書類送検されています。この事件を受け、同研究会が主催していたミスコンが中止に。’19年10月には複数の選手による盗撮で、アメフト部が無期限の活動停止。11月には、理工学部の教授が女性の下着を盗み逮捕され懲戒解雇になっているんです。ここまでトラブルが続くと、さすがに受験生や親が敬遠してもおかしくないでしょう」(石渡氏)

早稲田のイメージ刷新も、受験生にはプラスに働いている。

「早稲田に在籍する女子学生は以前“ワセ女”と呼ばれ、頭はいいが地方出身で化粧っ気のないもっさりした印象がありました。しかし最近の女子学生の大半は首都圏出身で、読者モデルとして活躍している女性もいて洗練されている。今の受験生にとっては、オシャレなイメージです。また早稲田は約5400人と、日本で最も多く外国人留学生を受け入れている大学でもあります(慶応の留学生は約1900人で全国14位)。国際教養学部の人気と合わせ、国際派大学のイメージが定着しているんです。昨年トップに就任した田中愛治総長は、『3年以内に慶応を抜く』と鼻息荒く話しています」

平成は慶応に負けっぱなしだった早稲田。令和に入り、早大が私学トップの座を奪還することになりそうだ。

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