ラグビーW杯・南ア監督がいまごろ「決勝前の映像」を公開したワケ

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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2019年ラグビーW杯を制した南アフリカのラッシー・エラスムスHC/写真 アフロ

ロッカー室で語った言葉

塹壕を語るな。正確には「塹壕のなかのことは語らない」。好きな一言だ。

昔、井伏鱒二の『鶏肋集・半生記』(講談社文芸文庫)に収められた「南航大概記」で知った。塹壕、トレンチコートのトレンチ、そこでの出来事は秘めろ。『井伏鱒二対談集』(新潮文庫)には「あれは森鴎外の言葉です」とある。

ワールドカップ優勝監督がこのほど塹壕を語った。2月9~10日、南アフリカ代表スプリングボクスを率いた知将、ラッシーことヨハン・エラスムスが自身のツイッターで大会期間中のミーティング部屋および決勝前のロッカー室におけるチームトークの一部映像を公開した。異例である。チームトーク、すなわち指導者が選手やスタッフの士気を高め、可視はかなわぬインスピレーションをその空間に浸透させ、ひとりずつの内面に定着させる。情熱と冷徹。合理と非合理。燃えるハートの奥の突き抜けた落ち着き。いずれにせよ、そこにいる者のためだけの言葉である。

ラグビーは本物の戦争とは違う。命の危険はそうはなく、人を殺める悲劇にもさらされない。しかし、観客と膨大な視聴者が目を凝らす芝の上のバトルに臨むのも闘争である。身体を鍛え上げ、理屈を覚え、技巧を身につけ、なお、決戦を前にすると、それだけでは勝てない。私たちは何者なのか。私はどうするのか。もっと述べればどう生きるのか。そこが問われる。コーチ、監督は選手のハートに引火を試みる。

ラッシー・エラスムスは、母語アフリカーンス(オランダ語系)のなまりを隠さぬ英語で「スプリングボクスに選ばれるということ」を説く。以下、多くの一流コーチの通訳を担い、ラグビーの表現に通じるエキスパート、上條弓子氏の「監修」を仰いで、ビデオクリップの音声を日本語にした。

いま47歳のラッシー・エラスムスの凄みは自身のいわば恥をさらすところにある。

「フィールドの上の出来事よりもチームのセレクションのほうに多くの意味がある。私はハードな道を経てそのことに気づかされた」

かつてスプリングボクスのフランカー、テストマッチ17連勝を遂げた隆盛の主力であった。報酬と名声を手にできた。2000年、ハリー・フィルヨーンがスプリングボクスの新監督に就任した。現役時代は地区代表級のスクラムハーフ、負傷で不完全燃焼のまま退くと、実業の世界に能力を発揮、巨万の財を築いた人物だ。

「そんなラグビーよりもビジネスを追ってきた監督に私は代表から落とされた。どうしてだ? まわりの仲間に聞くと返された。『お前が××(取り扱い注意の用語。あえて訳せばクソか)だからだ。選ばれるのが当たり前のラッシーになってしまった。チームのウィルスにも近い。すべてを得て、練習では不平分子になっている』と」

国代表の務めを問うて

そして本人は選手を前に明かした。
「私のワイフさえ、それくらい悪い人間だったと言うのだ」

一貫して話すのは、選ばれて当然とみずから認める愚についてだ。

「スプリングボクスであるためには犠牲を払わなくてはいけない。名誉に浴し、見返りを手にしても、犠牲は続く。まだ犠牲を払わなくてはならないのか。そう思うようなら、それを『選ばれるのが当たり前になった連中』と呼ぼう。試合の出場時間は短くなっているのに、ずっと代表にいたからまた……と思うような人間だ」

慣れるな。古い言い回しの「ダラ幹(堕落した幹部)」が思い浮かぶ。

オウナーシップ。幾度もそう繰り返した。「主体性」や「当事者意識」と訳すのだろうか。ひとりずつの意識にそれがあれば「チームがうまくいかなくなったとき」にも「自分からうまくいくように動ける」。個のオウナーシップがチームに欠けていると「クソをクソとも言えない。ダラ幹ムードだ」。

ファイナルのキックオフが迫る。タックル成功率など「個人のスタッツを気にするな。自分のことなどどうでもいい」。ホワイトボードを背に言った。「120回のタックルで80回成功したほうが、50回で4回だけのミスよりも上なのだ」。しくじっても決して頭を下げるな。それよりも次になにをするかだ。

「南アフリカの社会で起きていることを考えたら、いまの大変な思いなど苦しみのうちに入らない」

大会序盤だろうミーティングではチームにみずから関わる主体性をうながし、厳しい顔で、国代表の務めを問う。いざ決勝の前は、柔らかな表情で、ひとりひとりが役を果たせば自然に勝つという確信へと導いた。塹壕の空気は一通りではなかった。

おしまいに知る人ぞ知るチームトークを。
1973年1月6日。東京・秩父宮ラグビー場での全国大学選手権決勝ハーフタイム。早稲田は戦力不利とされながら明治を9対3とリードしていた。当時はグラウンドで円陣を組んで後半に備えた。

松元秀雄監督は、15人の緊迫の視線を浴びながら、ひとつの声を発した。

「空を見ろ」

青い。青かった。12対13の敗北。澄んだ空のせいでは絶対になかった。

 

※この記事は週刊現代2020年2月22・29日号に掲載された連載『ラグビー 男たちの肖像』を転載したものです。

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『北風』(集英社文庫)、『序列を超えて』(鉄筆文庫)

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