追悼・野村克也さん 教え子に語った“俺の全盛期はヤクルト時代”

2月11日に84歳で亡くなったノムさん。妻サッチーを愛した名将が生前に見せた気遣い

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19年2月に撮影。車椅子に乗ってはいたが、血色のよい顔で柔らかな笑みを浮かべた野村克也氏

あのぼやきを聞くことはもうできないのか……。

最愛の沙知代夫人(享年85)が亡くなって2年。後を追うように野村克也氏が、2月11日、虚血性心不全で死去した。

享年84。戦後初の三冠王を獲得した名捕手であり、監督として3度の日本一に輝いた名将だった。

野村氏がヤクルトの監督だったころ、4番バッターを任されていた野球解説者の広澤克実氏は声を詰まらせながら、こう振り返る。

「野村さんと最後にお会いしたのは、今年1月の半ばで、車椅子に乗っていましたが、お元気な様子でした。僕が『長生きしてください』と言うと、野村さんはいつもの調子で冗談めかして、『何のために?』と答えていましたね。その時、野村さんが『ヤクルト時代が監督として、俺の全盛期だった』と呟(つぶや)いていたんです。思わず『本当ですか?』と聞き返すと、『あの時が一番楽しかったな……』とも言っていましたね。そんな風にあらためて過去を振り返っていたことが印象に残っています。

野村さんは、よく言っていましたよ。『いつも弱い球団ばかり任される』って。でも、そこで勝つから凄い。そして、チームを離れても、ずっと選手のことを気にかけている。偶然お会いすると、ぼやくような口調で相手を気遣う言葉をかけてくれるんです」

野村氏は何があろうとも最後まで50年近く連れ添った妻のサッチーを愛し、そして、野球のことだけを考えつづけた人生だった。ゴルフはしない。サッカーにもラグビーにも興味はなかった。タバコも吸わず、酒も飲まない。趣味は高級腕時計の収集くらいだった。晩年は自宅にいると、一日中テレビの前に座り、高校野球やプロ野球にチャンネルを合わせて、ぼやき続けていた。

教え子の一人である野球解説者の江本孟紀氏は、恩師についてこう語る。

「野球一筋、とにかく自分が考えている野球を周囲に伝えたかった。仕事で一緒になると、地方のゲームの現場に解説で行きたいとよく言っていました。最後まで現場にいたかったんでしょう。いまはノムさんに『向こうでは野球から離れて、少しのんびりしたらどうですか』って言ってあげたいよ」

生前、墓石が二つ並んだ墓所を自宅近くに購入していた。サッチーの隣で、いまもノムさんは日本球界に対してぼやいていることだろう――。

都内にある行きつけの寿司店にて。食欲は旺盛で20貫とデザートをペロリと平らげていた(’19年2月11日)
田園調布にある自宅で、息子の克則氏(当時12)と沙知代夫人(当時53)とくつろぐノムさん(本誌’85年8月2日号)

『FRIDAY』2020年2月28日号より

  • 撮影吉場正和(1~2枚目写真) 池田栄次(3枚目)

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