國松長官狙撃事件 誰が指示を?事件の「謎」と「狂信」が残された | FRIDAYデジタル

國松長官狙撃事件 誰が指示を?事件の「謎」と「狂信」が残された

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狙撃事件によって一時は危篤状態に陥った國松孝次長官。時効成立後には警察の捜査について「不合格」とコメントし、悔しさを滲ませた

オウムが関わったとされている事件の中でも、多くの謎が残されたままなのが「國松長官狙撃事件」だ。

’95年3月30日、南千住(荒川区)のマンションで國松孝次警察庁長官(当時)が狙撃されたこの事件。折しもその10日前には地下鉄サリン事件が発生しており、捜査の攪乱を狙ったオウムが起こした犯行だと取り沙汰された。

この事件ではオウム信者だった警視庁巡査長が取り調べを受け、犯行を認める供述までしていたが、物証が見当たらなかったために’97年には立件見送りが決定。それから2年後には捜査のやり直しが行われ、前出の巡査長や教団建設省幹部が逮捕されるも、嫌疑不十分で不起訴に終わった。さらにオウム犯行説の他にテロリストによる犯行説なども入り乱れて、捜査は難航。そして、この狙撃事件では、捜査を主導していた警視庁公安部が巡査長の供述を警察庁に一切報告せず、ダンマリを決め込んでいたことも発覚。当局内の縄張り意識が事件の迷宮入りを招いてしまったのだ。

「結局、長官狙撃事件は’10年3月30日に時効を迎えてしまいました。公安部は、オウムの犯行であることを念頭にこの事件を捜査していました。公安部の判断には、いまでも疑問が残っています」(前出の原氏)

はたして、麻原は國松長官狙撃を指示していたのか、否か――。今回の死刑執行で、この事件の真相も永遠に封印されてしまったのだ。

犯人が狙撃の際に使用したとみられるコルト・パイソン

事件現場に残された北朝鮮のバッジが、一層謎を深めることに

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