『麻取のS』が告白 「私は厚労省麻薬取締部のスパイだった」 | FRIDAYデジタル

『麻取のS』が告白 「私は厚労省麻薬取締部のスパイだった」

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麻取のSだった清水被告。仕事に困っていた頃に、知り合いのツテで覚醒剤の売人の道に足を踏み入れた

覚醒剤の取引に手を染めたことは、心から反省しているし後悔しかありません。ただ、それでも”麻取”のやり方は許せない。私のような人間を利用し、最後は切り捨てる。麻取の捜査方法は売人を使わなければ成り立たない。スパイありきなんです。内情を知るからこそ、麻取は解体したほうがいいと世に訴えたい。

’16年12月、麻薬取締官(通称・麻取)が、覚醒剤の売人の逃走を助けるという前代未聞の事件が明らかになった。厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部・奥村憲博取締官(46・当時)は、自身の実績のために売人をS(情報提供者・Sはスパイの頭文字)として囲い、警察の捜査情報を流していたのだ。

本誌は今回、奥村に利用された元売人・清水則史被告(51)に独占取材。東京拘置所に収監中の清水との数度の接見、そして50枚以上に及ぶ手紙のやり取りから見えてきたのは、行き過ぎた麻取捜査の実態だ。

奥村は’15年に台湾で売人仲間から紹介された。台湾の大物売人だったその人とは、親子の盃を交わしていたので「協力してやれ」と言われて断れなかった。

それ以降の2年間で、私が麻取の捜査に関わってきたのは20回以上。密輸は6件、実際に取引を行ったのは3回ほど。すべて、奥村の指示の下で行われました。

「関西のある暴力団に潜入するために必要なんだ」と奥村に言われ、彼が用意した20kgの覚醒剤を約6200万円で私が販売し、そのカネを彼に渡したこともあります。つまり、奥村はSを使って、捜査で押収した覚醒剤をサバかせ、その売り上げを自らの懐に入れていたんです。

本当は、もう覚醒剤を取り扱う仕事はしたくなかった。でも、辞めれば麻取に逮捕されるかもしれない。だから、奥村の「実績を挙げたら、カタギの仕事を紹介する」という甘言を信じて続けるしかありませんでした。

覚醒剤の密輸、捜査を逃れる方法はすべて奥村から教わりました。たとえば、密輸の際は、銅もしくはアルミで包めばX線に映りにくいこと。不正薬物探知装置による検査でも、ブツを入れた容器の外側を水で洗ってエタノールで拭けば反応が出にくいことなどです。

取引の際は、奥村からガムテープでぐるぐる巻きにしたGPSを渡され、私の居場所は把握されていました。

奥村に協力してきた清水は、’16年9月に覚醒剤密輸の容疑で逮捕。それをきっかけに、奥村も、ありもしない清水名義の調書を作成した調書偽造で’16年12月に逮捕された。(一審判決で懲役2年6ヵ月、執行猶予4年)

奥村は捜査活動費として私に金銭を授与したと話しているが真っ赤な嘘。私は奥村から1円ももらっていません。麻取とは運命共同体だと思っていたし、捜査当局の一員という自負もあった。だから、警察の取り調べでも裁判でも奥村のことを話さなかったのに、裏切られました。

奥村はあれだけ私を都合よく使っておきながら、自分の指示だったことを一切言わなかった。それが決別の決め手です。利用するだけして、切り捨てた奥村も麻取も許せない。

私は奥村の上司が、私をSとして獲得するよう指示したメールも確認している。奥村の裁判に出廷していた麻取の関係者は、裁判で麻取全体の関与を否認していましたが、間違いなく組織ぐるみです。

本誌が麻薬取締部に、本件の事実確認をしたところ、「捜査に関わることなのでお答えできません」との回答があった。

この事件をトカゲの尻尾切りで終わらせてはいけない。麻取は組織に溜まった膿を出し切るべきなのだ。(一部敬称略)

「信じていたのに、裏切られた気持ちでいっぱいです。本当に許せません」手紙には麻取と奥村への恨みが綴られている

麻薬取締部横浜分室が入っている横浜第二合同庁舎。清水被告はこの付近のカフェで奥村に会っていた

取材・文:栗田シメイ

撮影:濱﨑慎治(建物・手紙)

 

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