槇原敬之容疑者『世界に一つだけの花』の制作時期にも覚せい剤使用 | FRIDAYデジタル

槇原敬之容疑者『世界に一つだけの花』の制作時期にも覚せい剤使用

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20年ほど一緒に暮らしていた元社長と槇原容疑者(’10年)
20年ほど一緒に暮らしていた元社長と槇原容疑者(’10年)

本当に“作品に罪はない”と言い切れるのだろうか――。

2月13日に2年前の“薬物所持”で覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された日本を代表するアーティスト槇原敬之容疑者。1度目の逮捕は‘99年。後に所属事務所の代表を務めることになる、同居パートナーのA氏と共に覚醒剤で捕まった。A氏をよく知る人物X氏に話を聞いた。

「2人の出会いは‘99年に逮捕される1~2年前と聞いています。伝言ダイヤルで知り合って意気投合し、自宅も近いということで会うことになった。もちろんその頃には槇原は有名人。出会う前のやりとりの中で槇原は素性を明かした上でA氏と会ったようです」

そして2人は親密になりしばらくして逮捕される。そのきっかけとなった薬物使用はどちらが原因をつくったのか。

「普段から2人で使用する薬物を調達していたのはA氏です。しかしA氏だけでなく、槇原容疑者もA氏と出会う以前から薬物を使っていたと言っていたそうです。A氏がきっかけで薬物に手を出したわけではないんですよ」(同・X氏)

そして‘99年、有罪判決が出たあと、半年が経たないうちに槇原容疑者はA氏の近況を心配するような電話をかけたという。

「裁判の中でA氏は槇原被告とはもう会わないと約束したが、またパートナーに戻ることになった。さらにその半年後にはA氏は自宅を引き払い槇原容疑者の自宅に転がり込んだ。後に事務所の代表も務めることとなり、公私共に四六時中一緒にいることとなりました。そうなると当然のように再び薬物を使う関係になったみたいですね。2週間に1度のこともあれば、1カ月に1度薬物を使うことも。2人で定期的に薬物を摂取していたようですね」(同・X氏)

槇原容疑者といえば、‘03年にSMAPに提供した『世界に一つだけの花』が300万枚を突破する大ヒット。薬物依存から脱却した象徴のようにこの曲が槇原容疑者を“返り咲かせた”のだ。

“ナンバーワンにならなくてもいい”という考え方が教育にハマったのか、同曲は教科書にも掲載されている。槇原容疑者はそれまで曲提供はほとんどしなかったが、この曲のヒットを契機に多くのアーティストや番組などから曲のオファーが来るようになったという。

しかし驚くことに日本中に旋風を巻き起こしたSMAPの大ヒットの裏で、A氏と槇原容疑者は共に薬物を使用し続けていたという。

「A氏はこれだけ大ヒットしている中で、自分はまだしも、槇原がまた逮捕されたらとんでもないことになると常に不安を感じていたみたいです。しかし薬物の前では2人は無力だった。ファンに申し訳ないと思いながらもA氏が持ってくる覚せい剤を槇原容疑者は断ることはできなかったようです」(X氏)

「女性自身」は大阪府警から流出した覚せい剤取締法違反に関する捜査資料を公開。そこには、槇原容疑者の本名とともに、‘03年12月5日という日付も書かれている。つまり、警察も彼の薬物使用を疑い、捜査していたのだ。

槇原容疑者これまでのインタビューで何度も『世界に一つだけの花』について、

「SMAPサイドから楽曲の依頼があり、制作期間はたったの2週間だった。しかし1週間で1曲完成させ持っていくとイメージに合わなかったようでボツとなった。ダメだったかと楽曲提供を諦めようとしたがSMAPサイドからさらに要請があり、残りの1週間で完成させたのが『世界に一つだけの花』だった」

と制作秘話を明かしている。2年前に槇原容疑者に別れを言い渡されたA氏だが、いまだに槇原容疑者の才能については認めているという。だが、楽曲制作のプレッシャーが槇原容疑者をクスリに走らせた原因のひとつである可能性は十分に考えられる。

どういう経緯で制作されたのかは別として『世界に一つだけの花』は日本人に愛された名曲であることに間違いはない。だが、曲を聴くと槇原容疑者の顔が脳裏によぎることも確かだ。この名曲に、作者である槇原容疑者自身が“傷”をつけてしまったのは、間違いないだろう。

 

  • PHOTO山田宏次郎

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