都庁、日本橋…。もしかしたら、こんな景色になっていた!? | FRIDAYデジタル

都庁、日本橋…。もしかしたら、こんな景色になっていた!?

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実在する建築の陰には、この世に存在しない、実現しなかった建築がある

記憶に新しいザハ・ハディドの「新国立競技場」設計案。あの流線形の斬新なデザインは、間違いなく、日本で実現しなかった最も有名な建築だ。

「もし、こちらの建築が実現していたら、首都東京の風景はどんなふうだったのか?」「あの都市の景色や人々の生活は、どう変わっていたのだろうか?!」と想像を巡らすと、今ある建築の見方もまた変わってくる。そんな、実現しなかった建築家たちの夢、もう一つの建築の世界を見てみよう。

実在しないけれど、語り継がれる“アンビルト/未完の建築”とは

技術的には可能だったが社会的な条件や制約によって実施できなかった建築、既存の建築に対して批評精神を打ち出すことに主眼をおいた提案…。建築の歴史を振り返ると、完成に至らなかった素晴らしい構想や、あえて提案に留めた刺激的なアイディアが数多く存在する。

そういった20世紀以降の国内外のアンビルトの建築に焦点をあてた『インポッシブル・アーキテクチャー』という展覧会。インポッシブルに打ち消し線が引かれているのは、「その建築は本当に建てることが不可能だったのか? 不可能にしたのは何だったのか?」と問いかける意味もあるという。

新型コロナウイルスによる肺炎の感染予防対策のため中止になったこの展示会。会場未公開作品も含め、その作品の舞台になった地の現在の風景とともにたっぷりと紹介しよう。見逃した人は必見だ!

東京都庁舎(東京・新宿)

お馴染み現都庁舎は、最も早く世界で評価された日本人建築家といわれる丹下健三の作品。「代々木第一体育館」や「フジテレビ本社ビル」など、その作品は世界中に多数(写真:アフロ)
お馴染み現都庁舎は、最も早く世界で評価された日本人建築家といわれる丹下健三の作品。「代々木第一体育館」や「フジテレビ本社ビル」など、その作品は世界中に多数(写真:アフロ)

あえて提案された「低層建築」は縦割行政へのアンチテーゼでもあった!?/磯崎新《東京都新都庁舎計画》

磯崎新《東京都新都庁舎計画》1986年 磯崎新アトリエ蔵 Arata Isozaki & Associates 磯崎新は、2019年プリツカー賞受賞。日本人では、丹下健三などに続き8人目。代表作は、「ロサンゼルス現代美術館」等
磯崎新《東京都新都庁舎計画》1986年 磯崎新アトリエ蔵 Arata Isozaki & Associates 磯崎新は、2019年プリツカー賞受賞。日本人では、丹下健三などに続き8人目。代表作は、「ロサンゼルス現代美術館」等
磯崎新《東京都新都庁舎計画、南北断面図》1986年 磯崎新アトリエ蔵 Arata Isozaki & Associates
磯崎新《東京都新都庁舎計画、南北断面図》1986年 磯崎新アトリエ蔵 Arata Isozaki & Associates

東京都庁の有楽町から新宿への移転にともない、1985〜1986年にかけて、都庁舎の設計者を選定する指名コンペが実施された。棟数の制限はないものの、実施要項を読めば「超高層2棟」が求められていたのは明らかだったのに対して、磯崎新は「低層案」を提出して論議を呼んだ。

低層といっても、地上23階建て、高さは97mに及ぶのだが。本庁舎は4つの主ブロックからなり、これらの間に高さ約90m、長さ約300mの十字の吹き抜けを設けて、ここを市民のための「大広間」とした。

この時の募集要項では、「21世紀に向けて発展する東京の自治と文化のシンボル、国際都市東京のシンボル」等、新都庁舎に執拗にシンボル性が求められていたが、彼は、高さや装飾にそれを求めず、市民のための大広間にシンボル性を持たせた。

ご存知の通り、現在、新宿副都心にそびえ立つのは、パリのノートルダム大聖堂の双塔の形を模したといわれる超高層の都庁舎。設計したのは丹下健三。磯崎新は、丹下の弟子。戦後日本最大と言われたこのコンペは、師弟対決としても注目された。

建築後、“バブルの塔”と揶揄された243mの超高層ビルに対して、十字の天から“市民のための大広間”に光が差すシティホール。落選したが、磯崎の作品は評価が高く、戦後のアンビルトを代表する作品とされている。

さまざまな風刺を凝縮させた“ガラスの城”/会田誠《東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図》 

山口晃《都庁本案圖》(会田誠提案による)2018年 個人蔵 撮影:宮島径
山口晃《都庁本案圖》(会田誠提案による)2018年 個人蔵 撮影:宮島径
会田誠《東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図》2018年 個人蔵
会田誠《東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図》2018年 個人蔵

現代の日本社会の課題に敏感に反応し、作品に反映させてきた美術家の会田誠は、《新宿城》(1995年)、《新宿御苑大改造計画》(2001年)など、過去に新宿をテーマとした作品をいくつか発表している。

2018年に提案した《東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図》は、雲を突き抜ける巨大なガラスの城。作品上に「発注・会田誠 受注・山口晃」と記されているように、画家・山口晃に“発注芸術”のスタイルをとった作品だ。

「現都庁より1.5倍は高いイメージ」、てっぺんには「ここは露骨に天守閣」、「和の建築っぽいところは僕はうまく描けないので、山口くん、おねがい♡」などと書き込まれたアイディアスケッチには、石垣部分には青っぽいミラーガラス、枠はアルミなど、素材まで指定されている。

会田氏曰く「金さえかければ、現実に作れなくはない」と、“未完の建築”の要因のひとつである「予算」を指摘している。 

大阪市中央公会堂(大阪・中之島) 

大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、「明治生命館」「ニコライ堂」を手掛けた岡田信一郎の原案に基づき、辰野金吾・片岡安が実施設計を担当。辰野金吾は、「現・東京駅丸の内駅舎」ほか、片岡安は「現福岡市赤煉瓦文化館」等が有名
大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、「明治生命館」「ニコライ堂」を手掛けた岡田信一郎の原案に基づき、辰野金吾・片岡安が実施設計を担当。辰野金吾は、「現・東京駅丸の内駅舎」ほか、片岡安は「現福岡市赤煉瓦文化館」等が有名

若かりし安藤忠雄が自発的に発表した大阪市中央公会堂の再生案/安藤忠雄《中之島プロジェクトⅡ-アーバンエッグ》

安藤忠雄《中之島プロジェクトⅡ-アーバンエッグ(計画案)公会堂、断面図》1988 年 ギャラリー ときの忘れもの蔵
安藤忠雄《中之島プロジェクトⅡ-アーバンエッグ(計画案)公会堂、断面図》1988年 ギャラリー ときの忘れもの蔵

安藤忠雄は、建築家として独立した当初から、誰に依頼されるでもなく、自分がいつか実現させたいと考える公共建築の改修案や設計案を発表してきた。大阪北区の中之島にある大阪市中央公会堂の再生案《中之島プロジェクトⅡ-アーバンエッグ》はその一つで、1988年に創案された。

当時、老朽化が進んでいた公会堂の再生案として、安藤が考えたプランは、建物内部に巨大な卵型の構造体を作るという大胆な発想のものだった。公会堂内部の1、2階吹き抜けの1500人収容のホール部分に、長径32m、短径21mのアーバンエッグ(卵型構造体)を内包させて、その内部を約400人収容の小ホール、外部をギャラリーとして再生させるというプラン。

この提案が実現することはなかったが、その後、イタリア・ベネツィアの旧税関倉庫を現代美術館に改修した《プンタ・デラ・ドガーナ再生計画》など、歴史的建造物の内部にコンクリートによる新たな空間を挿入することによって「再生」させるプロジェクトをいくつも手掛けている。そういう意味では、未完の大阪市中央公会堂の再生案を別の形で実現させたとも言える。

東京国立博物館(東京・上野)

現東京国立博物館は、渡辺仁の作品。代表作は、横浜ホテルニューグランド、和光(旧服部時計店)など
現東京国立博物館は、渡辺仁の作品。代表作は、横浜ホテルニューグランド、和光(旧服部時計店)など

募集要項に抗して、ル・コルビュジエに学んだ男が提案したミニマルなデザイン/前川國男《東京帝室博物館 設計案》 

監修:松隈洋[京都工芸繊維大学教授] 制作:京都工芸繊維大学 松隈洋研究室3回生 《東京帝室博物館建築設計図案懸賞募集(前川國男案)、模型(1:200)》2018年
監修:松隈洋[京都工芸繊維大学教授] 制作:京都工芸繊維大学 松隈洋研究室3回生 《東京帝室博物館建築設計図案懸賞募集(前川國男案)、模型(1:200)》2018年
「東京帝室博物館懸賞設計応募案 前川國男氏案 透視図」『国際建築』第7巻第6号コンペチシヨン号(国際建築協会、1931年6月、p.4)※本会場(国立国際美術館)には不出品。前川國男の代表作は、「東京文化会館」や新宿の「紀伊國屋ビルディング」等
「東京帝室博物館懸賞設計応募案 前川國男氏案 透視図」『国際建築』第7巻第6号コンペチシヨン号(国際建築協会、1931年6月、p.4)※本会場(国立国際美術館)には不出品。前川國男の代表作は、「東京文化会館」や新宿の「紀伊國屋ビルディング」等

1923年に起きた関東大震災で、ジョサイア・コンドル設計の本館などが大破した東京帝室博物館(現・東京国立博物館)。1931年、その再建の設計コンペに応募した前川國男の設計案は、落選したにもかかわらず注目を集めた。

建築様式の条件に「日本趣味ヲ基調トスル東洋式トスルコト」と定められていたのに対して、フランス留学でル・コルビュジエに学んだ前川の提案は、東洋風の瓦屋根ではなくフラットルーフで、装飾性のないミニマルなデザインが特徴。最先端のインターナショナル・スタイルだったモダニズム建築をあえて提案したのだ。

審査の結果選ばれたのは、コンクリートの建物に東洋風の瓦屋根という、いわゆる「帝冠様式」(鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根をかけた和洋折衷の建築洋式)の設計案。現在の東京国立博物館の本館だ。しかし、前川の落選案は話題を呼び、前川は「負ければ賊軍」という有名な一文を発表。モダニズム建築の「闘将」とみなされるようになった。

ポンピドゥー・センター(フランス・パリ)

現ポンピドゥー・センターは、イギリス人のリチャード・ロジャースとイタリア人のレンゾ・ピアノ等のユニットによる作品。この二人は、その後、建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞している
現・ポンピドゥー・センターは、イギリス人のリチャード・ロジャースとイタリア人のレンゾ・ピアノ等のユニットによる作品。この二人は、その後、建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞している

世界中から681件のプランが集まった国際コンペ/村田豊《ポンピドゥー・センター競技設計案》 

村田豊《ポンピドゥー・センター競技設計案、断面図(1:500)》1971年 村田あが蔵 国立近現代建築資料館協力。村田豊は、パビリオンなどの空気膜構造建築の第一人者として知られる建築家だ
村田豊《ポンピドゥー・センター競技設計案、断面図(1:500)》1971年 村田あが蔵 国立近現代建築資料館協力。村田豊は、パビリオンなどの空気膜構造建築の第一人者として知られる建築家だ

ド・ゴール政権下で「20世紀の美術館」の建築を一任されていたル・コルビュジエが1965年に急逝し、頓挫した新設美術館の計画。その後、政権を後継したポンピドゥー大統領が、現代芸術に特化した複合施設の構想を改めて推進し、国際コンペが実施された。

そして、1977年、イギリス人のリチャード・ロジャースとイタリア人のレンゾ・ピアノ等のユニットによる「ポンピドゥー・センター」が完成。エスカレーターや配管をむき出しにした斬新なデザインは、当時激しい非難を浴び、パリの新名所として認められるまで時間を要した。

この国際コンペは、他も実施案に勝るとも劣らないアナーキーな提案を集めたものだったという。

このとき、村田豊の案は佳作を受賞。4本の巨大な柱を建て、その頂部から8層に及ぶフロアを吊り下げた。これにより屋内に無柱の大空間が生まれるというアイディアは、直接師事したル・コルビュジエが提唱する“自由な平面”を意識したとも。建物のボリュームのすべてを吊ることで、その下にも広大な無柱空間が確保され、その姿は一本の大樹のようにも見える。

日本橋(東京・日本橋)

現在の日本橋は明治44年に完成。東京市の技師であった米本晋一が設計し、明治建築界の三大巨匠の一人、妻木頼黄が装飾設計を担当した
現在の日本橋は明治44年に完成。東京市の技師であった米本晋一が設計し、明治建築界の三大巨匠の一人、妻木頼黄が装飾設計を担当した

首都高の上に、さらに太鼓橋をかける!? /山口晃《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》、会田誠《シン日本橋》

山口晃《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》2012年 ミヅマアートギャラリー蔵
山口晃《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》2012年 ミヅマアートギャラリー蔵
会田誠《シン日本橋》2018-2019年 作家蔵
会田誠《シン日本橋》2018-2019年 作家蔵

「日本橋はいっそ首都高の上に、上れないくらい急斜面のやつを造ったらおもしろいんじゃないか」と考えていた会田誠は、先出の都庁案同様に、山口晃に描いてもらうことを思いつく。しかし、すでに山口の浮世絵《新東都名所 東海道中 「日本橋 改」》が存在することを知り、仕方なく自分でクレヨンを使って描くことにしたという。

東京・日本橋の頭上を走る首都高速道路については、地下化することが2018年に決まったが、会田、山口が思いついたのは、さらに木造の巨大な太鼓橋を架けて、首都高を覆い隠してしまおうというもの。

山口晃が《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》を描いたのは2012年、会田が《シン日本橋》を思いつく何年も前になる。会田の《シン日本橋》(2018〜19年)には、「ニセ口晃 こと会田誠筆」の署名が入っている。

 

20世紀初頭から約100年の間に、国内外で完成に至らなかった約40人の建築家、美術家の構想を、図面や模型、関連資料で紹介する展覧会『インポッシブル・アーキテクチャー―建築家たちの夢』は2月28日まで国立国際美術館(大阪市北区)でおこなわれていた。(※3月15日までの会期予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため変更になりました)

国立国際美術館の最新情報はコチラ

参考文献:『インポッシブル・アーキテクチャー』五十嵐太郎 監修(平凡社)

  • 取材・文井津多亜子作品画像提供国立国際美術館

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